アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

家族のかたち

アルゼンチンに来て1年が経ちました。それはつまり、ブログを書こう書こうと思いつつ1年が過ぎたとも言えるわけで・・・今さら何から書いたらいいのか見当もつかない・・・。

とにかく、新しい土地に来てから1年が過ぎたわけです。国を移動するたびに思うのですが、やはり最初の1年はどこに行っても大変です。町の地図を頭に入れたり、自分の中にイエローページを作ったり、どこで何が手に入るのか、誰に何を聞いたらわかるのかなどなど、一通り生活が軌道に乗るまで知らなくちゃいけないことが沢山あります。

更にスペイン語圏を移動する場合、各国で使われる単語、表現、発音に慣れるまでがまた一苦労。幸い、スペイン語大好き人間の私は、国ごとに異なるスペイン語を知ることが一つの趣味みたいなものなので、「通じないな~」と歯がゆい思いをしつつも、新しい表現を見つけるごとに「おお!」っと感動する毎日でした。

さて、今回のアルゼンチン生活開始に関しては、更にもう一つ大変なことがありました。それは、「共存」。アルゼンチン人のパートナーと人生を共にするためにやって来た南米大陸。甘い甘い新婚生活を夢見て到着したものの、現実はそんなに甘くなかった。そう、私のダーリンには5歳になる息子がいたのでした・・・。

駆け足で説明すると、その息子、セドリック5歳のお母さんはベルギー人。通称ピカ。ダーリンとピカはアルゼンチンで知り合い、結婚し、ベルギーへ渡り、そこでセドリックを授かるものの離婚。数年後に3人で再びアルゼンチンに戻り、現在ピカは別のアルゼンチン人パートナーと同じ市内で暮らしていて、セドリックは週の前半はピカの家で暮らし、後半は我が家で暮らすというサイクル。

まあそんなわけで、蓋を開けてみたら甘い新婚生活なんてものはほとんどなく、到着後いきなり“継母”になってしまった私。ダーリンと二人きりで過ごす”大人の週末”はただの一度もなく、土日は完全に家族デー。朝の7時に起こされ、夜10時まで子供中心の生活・・・。しかも当時セドリックは反抗期(?)まっただ中の難しい時期で、「ここはお前の家じゃない!」なーんて喧嘩売られて、私も大人げなくブチ切れる一幕も。

何度も出ていこうと思って過ごした1年間・・・でも、セドリックは日々驚くぐらい成長していたし、ダーリンは問題が起こるたびに辛抱強く話し合いをしてくれたし、喧嘩や数々の楽しい経験を通じて、気がつけば今はセドリックなしの人生なんて考えられないぐらいになりました。

ちなみに、こちらで生活する中で気づいたことですが、この国(ラ米?)では“継母”という発想はないようです。きっと、血の繋がったお母さんがお母さんだから、”母”がつくような立場は他にはないんですね。だから私はセドリックのお父さんのパートナーであり、セドリックの友達でお姉さん(おばさんかっ??)。そんな新しい家族の良い関係が、1年かかってようやく出来上がってきた今日この頃です。

余談ですが、実はダーリンの元妻ピカとその現在の彼氏は大の日本好き。これが幸いして、とにかくお二人には良くしてもらっています。私の誕生日祝いをしてくれたり、お茶飲もうと誘ってくれたりと、ダーリン抜きで私だけ出掛けることもあるぐらい。日本じゃちょっと考えれられない関係かもしれませんが、今振り返れば、ピカの助力もあってセドリックと早く仲良くなれた気がします。

ブログ初心者ですが、こんな色んな人たちに囲まれた私の一風変わった生活を、少しずつ書き綴っていきたいと思っています。