アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

凧を飛ばす

4月のある週末、ムスメとダーリンと3人でR市から車で40分のビクトリアという街へドライブしました。この日は朝から風が強く、出がけにふと「凧を持って行こう」と思いつき、セドリックが子供の頃によく揚げた古い子供用の凧を持って出発しました。

 

ビクトリアへ着く前に立ち寄った幹線道路沿いの空き地で早速試しに揚げてみたところ、どうも調子がイマイチで、一旦は高く上がるものの右に傾いて落ちてしまう。それを何度も繰り返しているうちに尾っぽの部分が無茶苦茶に絡まり、解くのにもものすごく時間がかかりそうだったので、諦めてそのままビクトリアへ向かいました。

 

DSCF5645_convert_20170614233130.jpg DSCF5651_convert_20170528220609.jpg DSCF5650_convert_20170528220453.jpg     二人してごそごそと準備中。お、飛んだ!

 

DSCF5653_convert_20170608194652.jpg     DSCF5649_convert_20170614233049.jpg

ビクトリアへ向かう道中はパラナ川の支流があちこちに流れ、緑に恵まれた綺麗な景色が続きます。

 

レストランで食事を待っている間、絡まった部分を全て解いて調整し直し、昼食後、レストランの敷地内にあるビーチ沿いの広場で再挑戦しました。

 

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この日はBoga(ボガ)という川魚を食べましたが、乱獲のせいか毎年魚が小さくなっていく気が、、、。

 

何度か失敗して最終調整を加えた後、凧が一気に青空へ駆け上って行った瞬間は、家族揃って思わず歓声を上げました。興奮したムスメが、お日様の光をいっぱいに浴びて砂浜の上を駆けったり飛び跳ねたりする、その躍動感も眩しかった。

 

DSCF5679_convert_20170608194911.jpg DSCF5690_convert_20170608195000.jpg DSCF5691_convert_20170608195051.jpg

躍動感あり、へっぴり腰あり(笑)。こんなに単純な遊びがこんなに楽しいなんて。

 

青空を漂う凧がこれほどの高揚感を与えてくれるものだということを、私はすっかり忘れていました。この時思い出したのは、子供時代のお正月の朝です。キンと冷たい清々しい空気の中、凧を手にした子供達が家の近所の空き地に集まり、それぞれの凧を思い思いに飛ばす光景が不意に脳裏をよぎりました。普段はちょっと遠い「空」という空間が、突然自分の手の届く世界になる喜びを、凧を揚げる子供達みんながきっと感じていたのだと思います。

 

この日、力強く空へ駆け上がる凧に、私の魂も乗って行くような言いようのない興奮を感じ、心が解放されほっと楽になるような不思議な感覚を覚えました。凧上げの由来には魔除けなど色々とあると言いますが、単純に”浮世の鬱憤ばらし”という面もあったのかもしれないと、ふと思いました。

 

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凧、と言えば、私にはもう一つ特別な思い出があります。小学校低学年の頃、近所のお習字教室に姉と2人で通っていたのですが、このお習字の先生のご主人が凧作りの職人さんで、30人ほどずらっと並んでお習字をしている後ろで、いつも古風な和凧を黙々と作っていたのです。彼の無駄のない手さばきで、筆でダイナミックに描かれた人物画を載せた和紙の凧が仕上がって行く様はワクワクするもので、お習字をしながらもこっそり彼の動きを目で追っていた幼い自分を思い出します。

 

記憶の中のお教室はなぜかいつも冬で、ジーっという石油ストーブの音と、サラサラと紙の上を走る筆の音だけが響く静謐な空間の中、柔らかい墨の匂いと、畳に胡座をかいて黙々と作業する彼の姿を今でも鮮明に思い出すことができます。

 

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こうして自分の子供時代に想いを馳せると、あの頃の自分は今よりもずっと地面にも空にも近かったことに気がつきます。足元を歩く蟻を追いかけて時間が過ぎ、ツツジを摘んで蜜を吸い、シロツメクサで花冠を編む。団地の角の茂みに基地を作って隠れ、公園の裏山に穴を掘って宝物を隠し、ブランコを高く漕いでは空へ飛んで行く自分を夢想し、そして凧を飛ばす。春先の池のオタマジャクシ、雨の日の水たまり、紫陽花の影のカタツムリ、朝露の光る芋の葉っぱ、金木犀の黄金の絨毯、そんな自然の中で見つけるもの全てがキラキラしていて驚きに満ちていた。

 

時代が変われば楽しみも変わるのはしょうがないこととは思いつつ、周囲を見ていて、今の子供達がどこに行っても携帯で遊んでいるのはなんとも残念で、そしてもったいないことだなと思ってしまいます。特にアルゼンチンでは治安の問題から、子供達が自由に外で遊べないので余計です。ムスメがいつか自分の子供時代を振り返った時に、懐かしく思える自然の風景や匂いや感覚を持っていられるように色んな経験をさせてあげたいなと、凧を見上げて走り回るムスメを微笑ましく見ながら改めて思いました。

 

DSCF5698_convert_20170608195745.jpg DSCF5695_convert_20170614234239.jpg DSCF5699_convert_20170614234123.jpg

走る走る走る。凧揚げができるような電線のない広い空間が減ったことが、日本で凧揚げが廃れてしまった原因だとか。

 

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結局この日は強い風に吹かれながら、何時間もの間ビーチに座って飛び続ける凧を眺めました。ムスメも疲れ知らずに空を見上げ続け、途中からは自ら糸を引いてビーチ中を駆け回っていました。普段は転ぶのが心配で、こんなに手放しで走らせてあげることができないのですが、砂浜なら転んでも大丈夫という安心感がありました。

 

そして私も、いつもなら風の強い日は嫌いなはずなのに、凧を見つめているだけで風の強さがちっとも苦じゃなかったことに後から気がついて驚きました。むしろ、風が強いことが特別な特典のように素敵なことに思えたから不思議です。もしかすると凧上げは、自分の力では対抗できない厳しい自然現象を少しでも楽しく感じられるような工夫であったのかもしれません。

 

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こうして楽しいひと時を過ごしながらも、ふと空に浮かぶ凧の糸を切ってあげたい衝動に駆られたのは、私の性格的なところでしょうか。せっかく空高く舞い上がっているのに、糸に繋がれてそれ以上高く飛べない凧がなんだか不憫に思え、どこまでも自由に飛んで行けと思ってしまう自分がいたのです。

 

いつかムスメが空高く羽ばたいて行く時にも、果たして同じように思えるのかな。

 

 

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おまけ① ビクトリアの教会。

メキシコのウルトラバロックには敵いませんが、小さな村の教会は小ぢんまりとしていて綺麗でした。

 

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おまけ②ビクトリアの町役場。コロニアル調の美しい建物で、ただ今一部修復中。

それにしても父とムスメ、二人して細長くてスパゲッティみたい。