アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

3週間、5年、11年、17年

愛猫のコゲが死んで、3週間が経ちます。

最初の1週間は泣き通し、次の1週間は泣き疲れて放心し、こうして徐々に諦めを持って、コゲの姿が見えない生活、コゲの気配がない我が家を受け入れ始めました。

でも習慣から、帰宅してドアを開ける時はいつも無意識にコゲの姿を探してしまいます。2階の寝室に上がる時も、真っ先にコゲのベッドに目がいってしまう。そして空のベッドを見つける度に、姿の見えないコゲが私を見上げているような不思議な気がするのです。

コゲが使っていたものは、コゲが死んだ翌日に全て仕舞いました。もう食べてもらえないエサや減らない水の入ったお皿を見るのが堪らなかったから。でも、このベッドだけは片付ける気になれず、同じ場所に置いてあります。今でもまだ、コゲがそこにいるような気がしてしまって。

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コゲに餌をあげるのが大好きだったムスメは、毎日餌の置いてある戸棚を指して「ご飯をあげる~」とねだっていましたが、コゲが死んだ日以来、ピタリとやめました。死の概念など分からないはずですが、もうコゲがここにはいなくて、それがママをとても悲しくさせている、ということを理解したのでしょう。

でも同時に、ずっと以前から持っていて、しばらく全く読んでいなかった「ちいさなねこ」という絵本をしきりに読みたがるようになりました。毎日、シエスタと夜寝る前には必ず読んでとねだるので、二人で「ねこちゃん可愛いね~。コゲちゃんみたいだね~」と、絵本の猫をなでなでしながら読んでいます。


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(1967/01/20)
石井 桃子

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我が家の下駄箱の上には家族の写真が幾つも飾ってありますが、そこにコゲの写真も二つ並べました。そんな、コゲ亡き後の変化や、家族の小さな反応を一つずつ大事に胸に収めること、そして時折発作のようにこみ上げる涙を我慢しないことが、今はコゲへの供養というか、17年間の生活に区切りをつける大事なプロセスのような気がしています。

コゲがいなくなってから、一つ私にとって重要な変化がありました。突然お仕事の話しが舞い込んできたのです。世界中に支社を持つ国際企業のR市支社が日本語ネイティブを探していたため、問い合わせたところ採用となりました。お仕事の内容は、IT企業が新プログラムを開発した際の最終ネイティブチェックを行うというもの。使用言語は英語と日本語。

面接時には私の錆付いた英語のチェックも行われ冷汗をかきましたが、毎朝ムスメが保育園に行っている間の3時間だけパートタイムという形で社会復帰することになりました。幸いにもオフィスが保育園から8ブロックと比較的近く、朝はムスメと共に送迎車に乗り、私は途中下車して5ブロック歩いてオフィスへ。そしてお昼はムスメを迎えに行った同じ送迎車がそのままオフィスの前を通るので、ムスメと一緒に家に帰ることができます。

ただ、送迎車は他の子供達もピックアップしなければならないため、曜日によっては早く来たり遅くきたり、、、これだと最低勤務時間の3時間に満たない日もあるため、時にはダーリンの弟に家でムスメを待っていてもらわないとならず、実際はもう少しややこしいことになりそうです。

本音を言えばもう少し長い時間働きたい。でも、ムスメのリハビリもあるし、我が子と過ごす時間も確保したい。そう思うと、こうして1日3時間から始められることはきっと理想的なのだと思います。これまではこの朝の時間帯に家事全般や手続き関係、私の病院や、街中でのショッピングをこなしてきましたが、今後はそんな家事用事をいつやろうかと少々頭を抱えてしまいますが、これもまた世の働くお母さんが共通して持っている課題ですね。

仕事に慣れた暁には、自宅勤務の可能性もあると言うことでしたし、同時に先々まで続く仕事になるかもまだわかりませんし、今はあまり悩まずに緩く構えていようと思います。いずれにせよ、久しぶりのオフィスワークにドキドキしながらも、新しいことが始まる喜びに胸を弾ませています。

こんな大きな変化がコゲの死後1週間の内にあり、今になって改めて、コゲはきっと全部わかっていたんだな、と思います。だから「もう僕の面倒は見なくっていいから、他のこと頑張りなよ」って、このタイミングにさっと逝ってしまったんだと。

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実は私、去る3月26日にアルゼンチン生活満5年を迎え(ラテンアメリカ生活は満11年)、心の中で静かな転機を迎えたばかりでもありました。これまではどうしても根無し草的生き方が染み付いていて、嫌なことがあると「ムスメとコゲを連れていつかメキシコに引越しちゃお」と現実逃避していたのですが、5年という重みが思いの他心にずーんと響いて、今年の記念日には恐らく初めて、「喧嘩や文句の言い合いをしながらも5年も一緒にやってきた、この4人家族をもっと大事にして生きていこう」って腹が括れたと言うか・・・。

あんなに元気だったコゲが、そんな矢先に突然去って行ったのはきっと、ムスメも元気に育っていることだし、この危なっかしい飼い主にもどうやらようやく”家族”と根を張る決心がついたみたいだし、だからそろそろお役目御免かなって、そう思ったからでしょう。そして、老衰や病気で私に心配や手間を掛けることなく、本当に見事なほど潔く逝ってしまった。6ヶ月に1度の、ブエノス上京の日を選んで。

生き物の死の意味なんて全て後づけなんでしょうが、でも考えれば考えるほど、私が愛した猫の死に様とタイミングに、完璧なものを感じてしかたがありません。コゲは最後の最後まで賢かった。最後の最後まで私のことを想ってくれた。これ以上のお別れは、きっとなかった。

甘えん坊で、トイレにもお風呂にも一緒に入ってきたがった。買い物に出れば後を着いて来てスーパーの前で待っていた。仕事帰りにはいつもどこからともなく現れて、暗い家路を共に歩いて帰ってくれた。その延長で地球の裏側まで着いて来てくれたコゲ。高度4000メートルのラパスの生活にも耐えて、フランス経由で帰国した時にはパリの地下鉄にも乗って大冒険までして・・・思い出は尽きません。

コゲが死んで3週間。アルゼンチン生活5年間。ラテンアメリカ生活11年間。そして、コゲと暮らした17年間・・・。なんだか、長かった歴史が一つ、静かに幕を下ろした気がします。

そして、コゲがいなくなって初めて、この17年間いつもどこかでコゲのことを常に心配していた自分がいたことにも気がつきました。車に轢かれたりしてないか、毒餌を食べたりしてないか、2階から落ちたりしてないか、強い野良猫にコテンパンにされていないか、雨に濡れていないか、怪我をしたりしていないか、ご飯と水はちゃんとあげてあったか、よそのお家に迷惑かけていないか、、、etc etc...本当にいつもいつも心配してた。

でも今になって、「あ、もう心配しなくてもいいんだ。もういなくなっちゃったんだもの、、、」と気がついて、、、それは寂しさと同時に、どこか安堵にも似たものを感じさせてくれました。私の愛したコゲは、車にも轢かれず、毒餌も食べず、怪我もせず、病気もせず、長寿を全うして、家族みんなに愛されて、そして今ようやく木の下で安らかに眠っているのだと。

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生前お世話になった方々、本当にありがとうございました。

たくさんの励ましのメールもありがとうございました。

私もようやく、新しいことに向かってまた歩き出していけそうです。