アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

グッバイマイラブ

夕べ、17年間連れ添った愛猫のコゲが逝ってしまいました。

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コゲ、メキシコの我が家にて。

昨日はちょうどムスメの健診で、ダーリンと3人でブエノスへ上京し、一日留守にしていました。夜、家に帰る車の中でムスメとダーリンが、「おうちに着いたらコゲちゃんに煮干あげようね~」って話していたのに、玄関の鍵を開けても、いつものように飛んでくる気配もなく、妙な静けさを感じました。嫌な予感があり急いで二階へ上がってみると、いつも寝そべっているベッドにもいない。「下にコゲいる?」とダーリンに聞くと、セドリックの部屋にいたダーリンが「いないよ」と答えました。でも続いて、「あ、コゲまた吐いちゃったみたい!」と声が聞こえ、次の瞬間、、、、「ああ、ああ、コゲ、どうしたんだ!!!早く来て、早く!」と私を呼ぶ叫び声が・・・。

彼の声を聞き、頭の中が真っ白になりました。階段を駆け下りる途中から「NO NO NO NO NO NO NO!!!」と無意識に叫んでいる自分がいました。病気なんかじゃない。声も聞こえないんだもの。死んじゃったんだ、コゲが、死んじゃったんだ!!

私の大好きだったコゲは、、、セドリックのベッドと壁の間に、仰向けになって挟まったような格好で落っこちていました。そんな不自然な姿でピクリともしないコゲを見て、私は半狂乱になり、床に座り込んで頭を抱え、どれだけの間叫んでいたのか記憶にありません。私の泣き叫ぶ姿とコゲの様子を見て泣きはじめたムスメを、ダーリンがなだめながらリビングに連れて行ってくれました。

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5年前、アルゼンチンへ向けて発つ日。成田空港にて。

死後硬直でカチカチになったコゲを、そっと庭の芝生の上に寝かせてくれたのはダーリンでした。私は、触れなかった。直視できなかった。信じたくなかった。信じられなかった。だからセドリックの部屋の床に崩れおちたまま延々と泣き叫んで、爆発しそうに膨れ上がった体中の悲しみを叫んで吐き出すしかできなかった。そんな私をダーリンが抱きかかえてくれて、ずっと私の名前を呼んでくれていました。

1時間もそうやって泣いていたでしょうか。ダーリンがコゲを包んで、庭に埋めてあげると言ってくれた時に、ようやく立ち上がることができました。「私がやる」「いや、見ないほうがいい、ショックを受けるから」「いいの、私がやるの」と芝生に横たわるコゲに会いに行きました。コゲは・・・信じられないぐらい硬くなっていて、でもまだ鼻はいつものようにしっとり濡れていて、両目を少しだけ開いて何かを見てた。「もうねんねするんだから、目は閉じていいんだよ」と撫でてあげたけれど、その目を閉じることは出来ませんでした。

苦しんだ様子もなく、突然死だったのだろうとダーリンは言いいました。セドリックのベッドにはコゲが寝ていたらしい丸い窪みが残っていて、恐らく吐こうとしてベッドの縁まで行き、そこで嘔吐したところで心臓か呼吸器系の発作に襲われ、そのまま絶命し、壁にもたれかかるようにして倒れたところベッドと壁の隙間に落ちたのだろうと推測できました。

でもどうして私が一日家を開けた時に?もし私が家にいたら、助けてあげることができたかもしれない、否、もし助けてあげられなかったとしても、私の腕の中で眠ることができたかもしれないのに、、、。つい先日、いくつかのワクチンを打ちに獣医に行った時も先生から健康と太鼓判を押されていたし、ずっと痩せ気味だったのが最近ちょっとだけふっくらとしてきて、以前のコゲに戻りつつあると喜んでいた矢先の、本当に急なお別れでした。

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新天地、アルゼンチンの青空の下。

遺体から首輪を外して、コゲが好きだった鼻先と、耳の先っぽと、順番に体中撫でてあげました。肉球はまだふっくらと柔らかく、生き返るんじゃないかと思うほどでした。私の破天荒な人生につき合わせて、日本、メキシコ、ボリビア、そしてアルゼンチンと、文字通り人生と世界一周を共にしてくれたコゲ。飼い主の身勝手で、幾度も飛行機に乗せては大変な想いをさせてきました。私が異国で本当に一人ぼっちだった時も、コゲだけは一緒にいてくれた。ムスメが生まれた後の、人生で最も辛かった時も、コゲはいつも横にいてくれた。

でも、私はこの数年間彼にとっていい飼い主だったのか、コゲは幸せだったのか、と何度も何度も自問せずにいられませんでした。ムスメ生まれてからは、こうしてゆっくり撫でてあげたり、遊んであげたり、ブラッシングしてあげる余裕もなかった。歳をとってからはあちこちにおしっこするようになり、最近は叱ってばっかりいた気がします。私はコゲに全然優しくなかった・・・と後悔の波が次から次へと襲ってきて、「ごめんね、ごめんね」と泣きながら謝り続けました。

それでも、突然逝ってしまう前の晩は、ふと気がつくとコゲは私とムスメの間にまあるく納まり、気持ち良さそうに眠っていました。朝目を覚ますと、今度は左にムスメがくっつき、コゲは私の右腕を枕に眠っていて、私は身動きもとれず思わず笑ってしまったのでした。コゲと過ごした何千夜という夜も、あれが最後になってしまうとは・・・。

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セドリックとセドリック・ママからもらったお手製のおもちゃ。

コゲの遺体は、日本で一緒に寝ていたベッドに掛けていたコットンの布にくるみ、庭の赤い花の咲く木の根元に深い穴を掘って埋めました。ムスメにご飯を食べさせ終わったダーリンが、途中から代わってくれました。コゲを底に安置した後、ダーリンが鼻をグスグスさせながら泣いているのに気がついた時は驚きました。いつもコゲに「そろそろ天国に行く荷造りは済んだかい?」なんて皮肉な冗談ばかり言っていた、あの滅多に泣かないダーリンが黙って泣いている、、、。

コゲに土を掛ける前に、大好きだった煮干と鰹節を一緒に入れました。あんなに好きだったんだから、もっと沢山食べさせてあげれば良かった・・・と後悔で胸が一杯でした。庭の黄色いマリーゴールドもたくさん切って乗せ、その上から土を掛けて、最後に二鉢の花を植えました。コゲがこれからもずっと、綺麗な花の咲く庭で私達家族を見守ってくれるようにと。

土を掛けて、コゲがどんどん見えなくなってゆくのは、本当に辛いことでした、、、、。

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若い頃は近所の喧嘩王で、アルゼンチンに来てからもなかなか引退したがらず。ある日、どでかい野良猫に大敗して1日姿を消し、それを機に引退しました。この穏やかな顔は引退後(笑)。

一晩経っても私の涙は乾かず、泣いてばかりいますが、病気や老衰で長いこと苦しむ姿を見るよりも、こうして突然逝ってしまったほうが、コゲにとっても私にとっても良かったのかもしれない、と冷静に考える余裕はできました。ここ数年は、一体どんな風にお別れすることになるんだろう、と考えてしまうことも正直少なくなくて、私はコゲとの別れに耐えられるのかな、と想像するだけで涙が出るほどでした。でも、それは突然やってきた。

死なれちゃうと本当に取り返しがつかないから、「もっとああしてあげればよかった」が山のように残ります。でも、出会ってから今日までの17年間、国際引越しも含めて数数え切れないほどの移動を、多くの人たちに助けられて一緒に乗り越えてきて、命尽きるまで一緒にいられて本当に良かった。日本からずいぶん遠いところまで連れてきちゃったけど、このマイホームがコゲの終の棲家になって良かった・・・。

コゲの首輪にはチリンチリンと柔らかく鳴る鈴がついていて、今はその首輪を小さな布袋に入れて片時も離さず持っています。その鈴が鳴るたび、どこからかコゲが現れて、近寄ってきてくれる気がするから。

猫は普通小さな子を嫌うけれど、コゲとムスメは本当に仲が良くて、いつもどちらからともなく近寄り、ぴとっと寄り添って座っていました。あと3年は生きてくれるだろうと信じていた私は、ムスメがもう少し大きくなってコゲのことをちゃんと覚えていられる歳になるまで、こんな二人の姿が見られるだろうと思っていたのですが、、、残念です。

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コゲちゃんに煮干を上げるのが大好きな日課だったのにね・・・。

こんな風にいつあっけなく死んでもおかしくない小さな猫が、17年間もの間、環境も食も異なる異国を転々として、病気一つなることなく私の傍に居続けてくれたことがむしろ奇跡だったのかもしれないと、今になって改めて思います。

グッバイマイラブ、グッバイコゲ。

いつもそこに居てくれてありがとう、ありがとう、ありがとう。

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