アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

マルティンが残したもの

私達が今の家に引っ越して来たのは、クリスマスシーズンに差し掛かる、ちょうど1年前の12月半ばのことでした。

前の家は元々、平日はダーリン一人、週末もセドリックと二人だけで暮らしていたので、ベッドルーム1つとキッチン、バスしかない小さな家だったのです。

賃貸契約が今年の2月末まで残っていたこと、そしてアルゼンチンでは契約期間中に解約すると家賃3ヶ月分の罰金を支払わなければならないという理由から、約9ヶ月間その小さな家で暮らしましたが、スペース不足で荷物すら解けず、プライベートも全くないその生活に、私がそろそろ精神的に限界になっていたこともあり、ちょうど近所で見つけた今の家への引っ越しを決めたのです。

引っ越しを決めた時は罰金もやむを得ないと思っていましたが、ある日ダーリンがこんな話を持って来ました。

「従妹の友達が2月末まででいいから家を貸して欲しいって」

・・・でも、それって不動産の股貸しじゃ・・・?と一瞬ひるんだ私でしたが、ダーリンいわく、アルゼンチンではよくあること、とのこと。もちろん、契約料などの引っ越し費用と新しい家の家賃に加え、今の家の罰金まで支払うとなるとかなりの出費。誰かが今の家を引き続き使ってくれて、家賃を払ってくれるというのなら、私達としては大助かりです。2軒先に住んでいる大家さんに直接了解を取りに行ったダーリンが言うには、「通常通り家賃を払ってくれれば問題ないって」とのことで、この話を進めることになりました。

そして数日後、その”従妹の友達”マルティンが家を見にやって来たのです。

私よりも背が低いぐらいの小柄なマルティンは20代半ばの青年で、ちょっとソワソワと落ち着きがないものの、小ざっぱりとした印象は決して悪いものではありませんでした。家を見てすぐに、「できるだけ早めに引っ越したい」と懇願してきたのがやや気にはなりましたが、今いる場所ではピアノの練習ができないから、とか、クリスマス前には落ち着きたい、などの理由にまあ納得。私達の引っ越し日を決めてからまた連絡するということで、その日は帰ってもらいました。

その後、自分たちの引っ越し準備や不動産との契約で時間が過ぎて行く中で、マルティンからの矢のような催促電話を受けた時点で、少しは彼の状況を疑ってみるべきだったのかもしれません。でも、私もダーリンも、「クリスマス前に落ち着きたいのはみんな一緒だもんねぇ」なんて変に理解を示してしまったのがそもそもの間違い。12月15日には私達の移動が終わり、同日駆け付けたマルティンにあっさりと家の鍵を渡してしまったところから引き返せない泥沼に足を突っ込んでいたとは、この時はまだ気が付いていませんでした。

それから2か月。12月分、1月分と問題なく家賃、光熱費等を支払ってくれていたマルティンでしたが、家の契約が満期を迎える2月に入り、ダーリンがマルティンに家の引き払いについて確認を取ろうとしたところ、「今月末に出て行くのは無理」という予想外の回答が・・・。「無理って言われても困るんだけどな」マルティンの態度に相当驚いたものの、冷静に話をしようと試みたダーリンでしたが、マルティンの主張は一貫して変わらず、「あと1ヶ月くれたら次に移る家を探すから」と。これが大問題の始まりでした。

マルティンが2月末に出て行ってくれない場合は、書類上引き続き契約者であるダーリンが契約を2年間更新するしかない事態になりますが、新しい家と既に契約を結んでいる私達としては当然そんなことはできないわけです。更にもっと言えば、例えダーリンが2年間契約を更新したとしても、マルティンがその後家賃を払い続けてくれる保証はどこにもない。いつ家から出て行ってくれるかもわからないという状況は続くわけです。

厄介なことに、たとえ彼が家賃の支払いを放棄したとしても、違法に住み続けたとしても、その責任を取り続けなければならないのはダーリンとダーリンの保証人であること。更に、マルティンには居住権が発生するため、彼を合法的に立ち退かせるには時間のかかる裁判に持ち込み、裁判費用も自腹を切って、何年もかけて解決する必要があります。

ここに来て、「そもそもマルティンって何やっている人?信用できる人?」という疑問が湧いたなんて、正に遅過ぎでした。私としてはダーリンの従妹の紹介というだけで安心していましたが、「一体いつの何の友達なの??」と問い詰めてみたところ、なんと「従妹の友達の友達で、従妹本人はマルティンを知らない」と言うじゃありませんか!何の仕事をしているのかも分からない、どんな家族がいるのかも知らない、結局ダーリンも従妹もマルティンのことなんて何にも知らなかったのです。

遅まきながら事の重大さに気がついたダーリン。「なんでちゃんと身元調べなかったの?」と今さら言ってもしょうがなく、何とか説得してマルティンに出て行ってもらうしかないと、二人でない知恵を絞り始めました。しかし、知り合いの弁護士に状況を説明したところ、ますますダーリンにとって不都合な事実が出てくるだけで一向に救いはなく、大家に事情を話して1ヶ月間だけの契約延長をお願いしたものの、警戒した大家からは絶対に出て行ってもらうようにと言われる始末。

こうなるともう完全にマイナス思考の疑心暗鬼に陥ってしまい、「もしやマルティン、麻薬とかを隠し持っているんじゃ・・・」とか、「素行が怪しいと思っていた。あの家で犯罪行為をしているに違いない」とか、果ては「連続殺人犯とかだったらどうする???(そんな事件起こってないけど)」なんて、もー最悪の事態を想像して、二人して青ざめて絶句したり・・・。

そんな私達のパニックをよそに、マルティンは律義に”3月分”の家賃を払いにやって来ました。「いやいや・・・3月分の家賃はいらないよ。なぜなら2月末に出て行ってもらわないと絶対に困るから」と答えるダーリンに、「それは無理だから、とにかく3月分の家賃払います」とマルティン。私達を重大な問題にたたき落しておきながら、なぜか妙に律儀で丁寧なその態度があまりにアンバランスで、やっぱり狂人か?と疑いたくもなりました。

そもそも何で2月中に引っ越しできないのか。確かにアルゼンチンで家を借りるのは大変です。市内に不動産を持つ保証人1人、毎月給与明細を受け取っている定職を持つ保証人2人の計3人の保証人が必要だし、契約料も高く、2年間は罰金なしで解約できません。マルティンの問題がお金なら、お金を貸しても(あげても)いいよという話もしましたが、彼曰く「それが問題ではない」とのこと。じゃあ一体何が問題?あと1ヶ月あれば本当に引っ越せる?という疑問が拭えないまま、何の進展もなく時間ばかりが過ぎていきました。

遂に私の提案で、マルティンと直接友達だという従妹のお友達にも連絡を取り、説得に参加してもらうことに。その彼女こそ私達の救世主となってくれたのです。自分が好意でマルティンを紹介したのに顔を潰された、とマルティンの言い分に激怒した彼女は、激しい口調でマルティンを責め、私達には彼の家族の連絡先を教えてくれるなど、ようやく事態がややプラスの方向へと進み始めました。

また、彼女がこっそり教えてくれたところによると、実はマルティンはゲイで、あの家でもその恋人と一緒に暮らしていたそうです。二人して引っ越したいと考えていたようですが、なかなか条件の合う場所がないというのが問題の根っこだったよう。同じ理由で家族にも勘当されていたそうで、保証人も立てられなかったのでしょう。とにかく、犯罪者とか悪い人間ではなかったと言うことが分かっただけでも、私とダーリンはほ~っと胸をなでおろしたのですが・・・。

彼女の登場が功を奏して、2月もいよいよ終わろうという頃、遂にマルティンから連絡があり「週末には家を引き払います。ご迷惑をおかけしました」と・・・。その週末、家の前を通りかかると、マルティンのお父さんらしき人が引っ越しを手伝っているのを目にしました。恐らく、恋人と共に住むことを一旦は断念して、マルティンは勘当されていた実家へ、恋人はどこかほかの場所へ移動することにしたらしいと分かりました。

さて、すったもんだの末、ようやく彼から鍵を返してもらった私達は、月末までに大急ぎで家中のペンキを塗り替えなければなりませんでした(賃貸人の義務らしい)。ペンキを買って、2か月ぶりに足を踏み入れたかつての我が家。がらんとした部屋の中で私とダーリンが見つけたものは、、、2つの観葉植物の鉢植えと、「使ってください」とマルティンが置いていってくれた大きなペンキの容器だったのです。鉢植えは私達へのプレゼント言うよりも、トラックに乗りきれなかったため置いて行ったようでしたが、気を使ってペンキを買い置きしてくれるあたりが、何ともマルティンらしいなぁと妙に感心した私でした。

こうしてバタバタと家の修繕を行い、なんとか期日までに不動産屋に鍵を返して事なきを得たのですが、マルティンからはその後も何度か連絡があり、「最後の月の光熱費を支払いたいので、請求書が届いたら知らせて欲しい」と。相変わらず律儀な彼ではありましたが、あまりにも度々確認の電話が来るので、いい加減ダーリンも面倒くさくなった様子。「最後の月の光熱費は僕たちが負担するからいいよ」と断ったものの、マルティンは納得せず。最終的に3月末に届いた全ての領収書通りの額を私達に支払い、ようやくマルティンと私達の奇妙な縁は切れたのでした。

ところが、4月に入ったある日。

ダーリンが暗い顔をして職場から戻ってきたと思ったら、ポツリと一言。

「マルティンが自殺したって」

・・・・・・・・・・・・・・・・。

その時に私が受けた衝撃は、上手く言葉にできません。

たった3ヶ月程度の縁だったし、散々迷惑、心配を掛けられた相手だったマルティン。でも、私の胸は大きな手にわしづかみにされたように苦しくなり、気づかぬうちに涙がポロポロと流れ、しまいにはしゃくりあげて取り乱してしまいました。

「何で何で?」と聞く私に、ダーリンは「知らない。ただ自殺したって聞いただけ」と。それ以上話してもしょうがない、と言うようにダーリンは口をつぐんでしまい、私はそれ以上言葉も見つからず、苦い苦い味が喉元に残ったような感覚のまま、数日を過ごしました。

今思えば、マルティンのあのちょっとソワソワしたような挙動不審な印象は、この世に生きていることが居心地悪くてしょうがない、という感じだったのかもしれません。あの小さな家で、恋人と二人で作りあげた世界こそ彼の最後の居場所だったのかも。そう思うと切なくて切なくて、一体私達はあの時どうすべきだったのだろかと、答えもないこの問いを、繰り返し自問したりしました。自分で支払うと執拗に主張した最後の月の光熱費も、逝ってしまう前に文字通りすべてを清算しようとした、彼らしい律儀さだったのでしょう。

あの一連の出来事が始まってから1年。

彼が残した二鉢の観葉植物は、今も我が家の屋上で美しく葉を広げています。この1年間、水をあげる度に彼のことを思い出さずにいられなかった私の脳裏に蘇るのは、初めて家を見に来たマルティンの、どこか落ち着きのない、それでいて小ざっぱりとした姿なのでした。