アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

お正月の風景

2010年もいよいよ明けました

日本は寒波で雪模様の趣ある年越しだったようですが、楽しいお正月を過ごせたでしょうか。

私の方は、ここ2年ほど猛暑で体が溶けるような年末年始をこの南半球の街で過ごしてきましたが、今年は幸いかなり涼しく、夜空に輝く満月と心地よい夜風のおかげで気持のいい年始を迎えることができました。ただし、なんとも不完全燃焼な年越し&お正月ではあったのですが・・・。

そもそも、気持ちをリセットさせ新しい一年を始めるのが私にとってのお正月。そのため、家の大掃除は年末の欠かせない作業です。でも、31日にやってきたセドリックと遊びたくてしょうがないダーリンには、この提案は超不評、ちっとも取り合ってくれません。

そこで、本当は家中の窓ふきとか、お風呂場のタイルの目地とかまで徹底的に綺麗にしたかったけれど、それは諦め、「少なくとも床にちらばったおもちゃのブロックや散乱した洋服などは全て整理整頓すべし」と大号令をかけて男どもを動かし、私は床と台所の水回りを一通り掃除して、小一時間ほどで簡易大掃除(?)を終了せざるを得ませんでした

その後、日本の両親とスカイプで話し、日本の12時間早い新年を共に祝ったのですが、「日本デハ年末年始ニ何ヲ食ベルデスカ?」と尋ねるダーリンに両親が思わず口ごもってしまう場面が・・・。と言うのも、我が家の年越し料理は実は私の大好物。そんなメニューの詳細を口にしたら、きっと私が羨ましがって涎と涙を垂らすに違いない、可哀そうに・・・という配慮から、返答に窮したのでした。

そう・・・北海道出身の両親の元には、毎年この時期美味しい海の幸が山のように届きます。中でも、どーんと届く新巻鮭一匹丸々をまな板にのせ、台所で母が包丁をふるう様は年末の我が家の風物詩。このお鮭のマリネやハタハタの飯寿司(いずし)はお正月の食卓に欠かせませんし、じっくり漬け込んだ身欠きニシンを年越し蕎麦の上に乗せていただくのも楽しみの一つです。

我が家の年越しの特徴の一つは、こうした海産物をふんだんに使ったお節料理を、年末31日の夕食として食べること。なので、お節料理が本来はお正月元旦のためのお料理だと(ですよね??)、私は大人になるまで知りませんでした

ちなみに、海老や鶏、ごぼう、里芋、人参などがごっそり入った具だくさんの我が家のお雑煮は、毎日食べ続けても飽きないほどの私の大好物。出汁のきいた澄まし汁のこのお雑煮、四角い焼餅と三つ葉をたっぷり乗せて元旦の朝にいただきますが、私はたいてい三が日ぶっ通しで食べ続けます

毎年12月31日には家族で集い、夕刻早い時間に全員がお風呂を済ませ、神棚にお酒を供して手を合わせ、無事去りゆく一年に感謝すると同時に来る一年の平安を祈ることは、信心深くない私にとっても一つの節目となる気持のいい習慣ですし、年明けと共に響く除夜の鐘の音も心が清められるようで大好きです。凍るような冷たい空気を胸一杯吸い込んで迎える元旦の朝は、まさしく新しいスタートにふさわしい静謐な雰囲気を漂わせているし・・・

ああ!!!!そんな日本のお正月が懐かしい!!!!

今年の我が家の年末は、特別なお料理も、家族団欒も、気持ちのリセットも、実にな~~んにもない寂しいものでした。と言うのも、そもそもダーリンの両親は他の多くのアルゼンチン人家庭同様離婚していて、こうした年間行事を迎えるごとにややこしい事情が付きまといます。クリスマスはお母さんと、年末はお父さんと、とか、今年は去年と逆バージョンで、とか。セドリックもまた然り。去年クリスマスを私達と過ごしたセドリックは、今年は年末を我が家で過ごすことに。

で、クリスマスをダーリンのお母さんと過ごした私達は、理屈で言えば年末はダーリンのお父さんと過ごすはずだったのですが、そうなると独り身で何の約束もなかったお母さんがあまりにも可哀そうなことになってしまう・・・ということで、今年はダーリンの弟ルーカスはお父さん(&その恋人)の家へ、私達はお母さんの家へ行くことで話がまとまりました。こんな感じで、まず一家揃っての家族団欒というのはないわけです。

さて、お節までは作れなくても何か特別なお料理を・・・と考えていた私ですが、姑が用意するというのでそれも取りやめ、せめて何か手土産でもと提案したものの、「必要なし」とダーリンに言われ、やや気にはなったもののでっかいお腹を抱えて歩きまわるのも辛いこともあり、買い物にすら行きませんでした。

ところが・・・

いざ姑の家に夕飯を食べに行ったところ、なんとメニューはエンパナーダにトウモロコシのパイだけ。エンパナーダってこの国のおにぎりみたいなものでしょうか。中に具の入った小さめのパイで、お昼などに軽食でつまむようなものです。しかもこの日はサラダすら用意していなかった姑・・・。

まあ、うちの姑は相当特殊な人なので、その思考回路を理解するのは常に至難の業ではあるのですが、しかしなぜ普段の食事と比べても圧倒的に味気ない貧しいメニューなのかさっぱり理解出来ず、私は絶句。あ~こんなことなら私が料理を用意すれば良かったと激しく後悔することに。挙句、見るに見かねたダーリンが姑の冷蔵庫をおもむろに開け、僅かにあった野菜を引っ張り出しサラダを作りだす始末。なんともお粗末な年末ディナーとなりました。

そんな食事を姑、ダーリン、セドリックと四人でモソモソと食べ、デザートのジェラードを終えた頃から花火が上がり始めました。クリスマス同様、夜中の12時には最高潮となるこの花火。毎年ピストルを撃つ酔っぱらいが出現することから、たいてい何人か死者が出ると言われています。そんな訳で12時を迎える前には自宅へ戻った私達3人でしたが、セドリックは眠気に抗えず、花火を見ずにあえなくダウン

結局、私とダーリン二人で屋上へ上り、涼しい夜風に吹かれつつ、360度あちこちで打ち上げられる花火を眺めて年越しを迎えました。満月も花火も綺麗ではありましたが、やはり清々しい気持ちで新たな一年をスタート!という雰囲気にはほど遠く・・・いつかこの国の年越しを好きになれる日が来るのかなぁ~とぼんやり思った私なのでした。

やっぱり、日本で迎えるお正月が一番。近い将来ダーリンと共に年末里帰りをしよう!と固く心に誓った年明けとなりました。