アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

緊急入院裏話~公立病院という名の舞台~

既に何度か書きましたが、私が今お世話になっている病院[emoji:e-492]は公立病院です。こちらの公立病院では信じられないことに、全ての受診料、検査料、薬代が無料になるため、私もまた、初健診から今日に至るまでの費用が全額無料という恩恵にあずかってきました。もちろん、先日の緊急入院費用も無料です。

そもそもこの国の公立病院とは何かと言うと、いわゆる社会保険や医療保険というものに入っていない人たち、入れない人たちを救済するための機関で、対象となる層は概ね定職を持たない貧困層になり、無償の医療行為が提供されることになっています。

タンゴやワイン、お洒落な革製品や南米のパリと呼ばれるブエノスアイレスの美しい街並みで有名なアルゼンチン。「貧困」という言葉にピンとこない人も多いかもしれませんが、この国でも他のラ米諸国の例に漏れず貧富の差は激しいですし、貧困層ももちろん存在します。

ちなみに、在アルゼンチン日本大使館のHPによると2009年のアルゼンチン貧困率は13.9%、極貧率は4.0%となっていますが、アルゼンチン政府発表のこの数値に信憑性はあまりなく、民間の調査では更に高い数値が出ている、とも書かれています。2000年の経済破綻直後には、かつて60%はいたとされる中間層が20%にまで激減したというデータもあり、当時と較べればだいぶ回復した経済状況ではあるものの、未だ社会に残された傷跡は深いのではないかとも思います。

私の住んでいる街でも、中心部や綺麗な川沿いの通りには富裕層が住み、中心部から離れるごとに中間層→貧困層とその住み分けが顕著に見られます。街の周辺や幹線道路の高架下にはバラックが広がり、馬に荷台を引かせた人々が街中のゴミ箱を漁り徘徊する姿は日常的に見られます。我が家の前の路上にも大きいゴミ箱が設置されているため、頻繁に馬車でやって来る人々がいます。そこで私達も、セドリックが着られなくなった服や使わなくなったおもちゃなどをまとめておいて、持って行ってもらったりしています。

そんな人々を主な対象としている公立病院ですが、私のような永住権を持たない外国人も受け入れてくれる懐の深さには驚きです。永住権を持たない=アルゼンチン国内で使える保険がない、ということで、私立病院に掛かれば相当な費用を負担することになるため、これまでも多くの外国人がこの無償の医療制度により出産しているそうです。

とは言え、とても正直に告白すると、妊娠が分かってから公立病院に決めるまで、私の中に葛藤が無かったと言えば嘘になります。一つには、これまで他のラ米諸国で予算の無い最低レベルの公立病院を見てきたことによる怖さがあり、もう一つには、政府機関で仕事などをして最高の医療サービスが保障されていたかつての生活からの”転落”というイメージが、自分の馬鹿げたプライドを疼かせたからです

病院決定にあたり友人知人に相談した結果、公立病院でお医者さんをしているダーリンのお友達の一言が決断への後押しとなりました。曰く、アルゼンチンの場合、公立病院のレベルは極めて高く、特に私の住んでいる町では国内でもハイレベルな医師と設備を備えていると評判であると。また、医者にとって最も権威ある職場は公立病院であり、このため著名な医師の多くが公立病院をメインに仕事をし、掛け持ちで私立病院でもアテンドしていることから、私立公立の医療レベルに差はないとも。「恐らく唯一の差は”受診者の社会層”でしょう」という彼女のコメントはまさにその通りで、その究極の例を年末の緊急入院で経験することとなりました。

緊急入院で私に割り当てられた病室は2人部屋。M総合病院は最近新築されたばかりで、建物内もまだ真新しく綺麗です。白で統一された病室も予想を遥かに上回る快適さで、各部屋専用の広いシャワーとトイレ、洗面所がついていました。出された食事も、容器や食器こそプラスチックではあったものの割と美味しく、看護婦さんの対応もフレンドリーかつテキパキと感じよく、全てにおいて安心できる雰囲気でほっとしました

さて、昼の1時ごろの入院となった私。2人部屋で同室になったのは23歳のナディアという子で、3日前に帝王切開で出産したばかりの新生児と並んで寝ていました。褐色の肌に好奇心旺盛な目をしたナディアは、典型的な貧困地区の少女という風貌で、付き添っていた彼女の継母と2人で盛んにお喋りをしていましたが、妙な東洋人が青ざめた顔をして入院してきたのに興味津々となった様子。空腹と不安からぐったりとしている私に矢のような質問を投げかけてきました

適当に質問をかわしつつ、何とか気持ちを落ち着けようと横になったものの、彼女達のお喋り好きに歯止めはかけられず、私の背中越しに自身の苦労話を展開し始めたナディア。陽気に話し続ける彼女を無視するわけにもいかず、私は背中越しに相槌を打ちながら、彼女の人生に耳を傾ける羽目にこととなりました。

23歳で3人目を出産したナディア。5歳になる長女は彼女が17歳の時に身ごもり、帝王切開で出産したそうです。続けて、2歳半になる次女の出産も帝王切開。これだけ帝王切開での出産を立て続けにしてきた彼女。今回三女の出産は胎盤などが子宮内部に癒着するなど複雑な問題が起り、切開も縦に大きく切る形で行われ、手術には3時間近くも要したそうです。確かに、パジャマごしに透けて見えた腹部の処置痕は大きく、尿道(?)に通された管から血尿がしたたり、点滴を受けている彼女の姿はとても痛々しく、そんな状態に反して陽気に喋り倒しているのが余計印象的でした。

3度の出産をM総合病院でしたナディアは病院通でもあり、その後も、私に食事が出されると食事の解説を、私がトイレに立てばその使い方を、ダーリンが戻り飲料水を取りに行こうとすれば建物内の説明を事細かにしてくれてうるさかった助かったものの、不安からキュウキュウに疲れ果て、とにかく横になって眠りたかった私は、一瞬の静寂もないこの状態に我慢の限界を感じ始めていました。

そんな時、ナディアの携帯に一本の電話が。

この隙に・・・と横になり、彼女に背を向けて寝に入った私でしたが、「どこにいるのよ・・・」「いつ来るの?」「あれは一体誰なのよ」「嘘なんかついてないわよっ!」「この裏切り者~~」と加熱していく彼女の口調に青ざめ、遂には絶叫&号泣となり継母が止めに入る様子に硬直し、修羅場と化した病室から逃げ出すために必死で起き上がり、ダーリン共々早々に廊下へと出たのでした。

行き場もなくフラフラと彷徨う私達2人を見つけた看護婦さんに事情を話すと、「あー、あれは昨日からなのよねぇ。困ったものよ」とタメ息。なんでも、ナディアが旦那さんの携帯電話に連絡したところ、全く知らない女が出たのだそうな。その後何度も電話したものの、常にその女が出るわ、メッセージを送ればその女から返事が来るわですっかり取り乱したナディアは家族に相談。父親が電話したところ遂に旦那本人が出たものの、「音が良く聞こえない」とか言って電話を切ったそうで、ことは更に大事に。

この旦那、ナディアの24歳年上(!)の47歳で3人の子持ち。ナディアと結婚したのは、彼女が前の旦那との間にもうけた次女が産まれて2ヶ月のことだったそうで・・・ってことは二人のロマンスは妊娠中???と謎も・・・。今回ナディアが無理して3女を産んだのも、今の旦那が二人の子供を持つことに固執したからと言うことで、私の周囲ではあまり聞かない何とも乱暴なマッチョな話だな~と。

私達が病室に戻ってからも、病院専属の精神カウンセラーが泣きじゃくるナディアのカウンセリングをしたり、継母が「あんな男とはもう別れろ」と説得したり(でも赤ちゃん生まれたばっかりなのに・・・)、ご近所さんらしき女性達が入れ替わり立ち代りやって来ては、それぞれが過去の男に騙された&裏切られた&虐げられた過激な経験を感情的に語ったりと、騒ぎは夜まで続いたのでした。

そんな、私の想像を遥かに超える痛々しい人生模様は、まさに貧困層の人々を主に対象とした”公立病院という名の舞台”でした。実際、入院していたママさんたちの殆どが褐色の肌をした女性達。ヨーロッパ系白人移民の血が圧倒的に強いアルゼンチンで褐色の肌といえば、先住民の血が比較的濃いということ。町の中心地から離れれば離れるほど、こうした褐色の肌の人々を多く見かけるのが現実です。

また、もの凄く太った妊婦さんも沢山入院していました。劣悪な食生活のため肥満&糖尿病だったりするこうした妊婦さんは、赤ちゃんも巨大児だったりして、とても予定日までもたないのでコントロールのために入院しているとのことでした。私がお喋りした太っちょママさんも、2月中旬の予定日まではとてももたないけれど、少なくとも1月21日までは妊娠状態を続けなければならないとふーふー言っていました。

こうしてすったもんだの挙句夜を迎え、ようやくナディアも眠りにつき、私も遂に静けさを得ることができたのですが、、、これから彼女、3人の子供を抱えて一体どうするんだろうという心配が、細い魚の骨のようにどこかに引っかかったような気分で目を閉じたのでした。

ま、これ、全く無駄な心配だったんですけどね

だって翌朝9時過ぎには、例の旦那がナディアの二人の娘を連れてちゃっかりやって来て、な~んもなかったようにナディアと仲良さそうにしていたんですもん。しかも、昨日の話だけ聞いていたら”ギラギラした女好きのラテン系中年男”みたいなのを想像してしまったけれど、蓋を開けたらなんてことない、小さいヒゲもじゃのおじいさんおじさんだったんです。電話問題も単なる混線だったようだし、昨日の大騒ぎを思うとまるで拍子抜けな展開だったけれど、ナディアが嬉しそうにはしゃいでいる姿が微笑ましく、ダーリン共々あ~良かったね~とほっと胸をなでおろしました。

その直後には私にも退院の許可が下り、最後に出された私の分の昼食をナディアにプレゼントして、恐らく永遠に記憶に残るだろうこの病室を後にしたのでした。

ちなみに、ナディアの3女はキアラちゃんと言って、2800グラムの小さめ赤ちゃんでした。お母さんが大変なのを分かってか、泣くこともぐずることもなく、可愛らしい顔をして時折手足を伸ばしながら大人しく寝ていました。私が初めて間近で見た新生児で、ムスメちゃんも私のお腹の中でこんな風にのんびりと手足を動かしているのか~と想像させてくれたキアラちゃん。元気に育ってね!!