アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

海を渡って

ムスメの気管切開の手術から1週間が経ちました。

術後、カニューレ(喉につけられた管)を通じたムスメの呼吸は安定し、体内酸素量もほぼ100%を維持できるようになりました。ただ、喉に開けられた穴は痛々しく、体内にたまった粘液が絶えずそこから流れ出てしまうため、傷口がなかなか乾かず相当痛そうでした。血に弱い私は、傷口を見ただけで失神するかと思ったほど生々しく、ぐずるムスメの可哀想だったこと!

ともあれ、一番重要な課題だった呼吸は確保されたと思われ、手術の数日後には自宅看護の可能性も話されました。この自宅看護システムは、機材一式を自宅に持ち込み、現在看護士がしてくれていること(分泌物の吸い取りや薬の投与など)は全て私がやり、一日一回巡回で医師が往診に来てくれるというものです。ムスメの危機はひとまず去り、次の手術に向けて自宅看護をしながら必要な検査を小児病院で受ける、と言うのがこの時のNEO側の判断だったのです。

ところが、全ての状況はある日を堺にまたしても突然変わってしまいました。

それは手術後3日目のこと。主治医のイルダの指示で、再び哺乳瓶での授乳を行ってみたところ、なんとムスメが飲み込んだミルクが喉の傷口からあふれ出てきたのです。私達の喉は、物を飲み込む時に気道の入り口を塞ぐ弁が自然に閉じる構造になっているそうですが、ムスメの場合その機能が上手く作動しておらず、肺に入り込んでしまう、ということがこの時初めて分かりました。

これはイルダも予想していなかったようで、大慌てでミルクをふき取り、カニューレと傷口を消毒し、一時NEO内が騒然となったほど。ムスメも苦しがって泣いてむせるし、私は横で何もできずに真っ青になっていました。ムスメは生まれてからこれまで3度も状態が悪化し、ベッドから保育器へ戻されていますが、いつもそれは哺乳瓶でミルクを飲ませた後だ、とダーリンが常々主張していたことが的を得ていたのです。そしてこの事が今日に至るまでの問題を引き起こす原因となりました。

肺の一部が化膿し、再び呼吸困難が始まってしまったのです。

ここ2、3日、ムスメの体内酸素量が下がり始めたことに私は気がついていました。通常赤ちゃんは口で呼吸をしないそうですが、ムスメは気管切開の手術前から苦しそうに口を開いてはあえぐように呼吸をするようなしぐさを見せていました。それが術後しばらく収まり、口を閉じて穏やかな顔をして寝られるようになっていたのですが、ここ数日同じようなしぐさをするようになりました。

それでもイルダは、ムスメは口から呼吸をしていない、その観察は気のせいだと主張していましたが、私がこっそり透明のプラスチックをムスメの口元に当ててみたところ、うっすら曇ったことから、どうやら微量ではあるもののやはり口からも酸素を吸っている様子。そしてそれがここ数日また始まったのです。

起きている時はそうやって必死に酸素を確保しようとしているムスメは、何とか体内酸素も維持するのですが、一度眠ってしまうとがーっと酸素量が落ちて、紫色の顔になり、苦しそうに咳き込みながら目を覚ます、を繰り返します。それに気がついた私がイルダや看護士たちに話しをしても、なかなか取り合えってもらえないまま数日が過ぎました。ただし、自宅看護の話しは立ち消えになり、小児病院への早期移送が検討され始めました。

こうして状況が刻々と変わる中迎えた今日、私が朝NEOに着いた時、ムスメのカニューレには酸素吸入の管が取り付けられていたのです。話によると、昨晩やはりムスメが眠っていた時に呼吸困難が起こり、土気色の顔をしていたので取り付けたのだそう。今日私が一緒にいる間も、起きている時は酸素吸入の管をはずして何とか自力で必要酸素量を確保していたムスメですが、それでも苦しそうにぐずぐずと泣き続け、眠いのになかなか眠ることができない様子で、やっと寝入ったと思ったら酸素量低下の為苦しそうに咳き込んで目を覚ましていました。

NEOでは心肺機能の詳細な検査が出来ないため。こうなるともう早期に小児病院に移送してもらうしかありませんが、なかなかベッドの空きがないということで現在空き待ち状態です。ムスメの状態がまたしても不安定になり、体重も減ったまま増えないでいるので、このままだと次の手術に備えることもできません。そして次の手術が遅れると、脳の成長を妨げる恐れもある為、早く空きが出て移れることを祈るばかりです・・・。

この小児病院に入院する際は、私も同時にムスメと入院となります。NEOは広いスペースにずらっと保育器やベッドが並んでいて、看護士たちが全体を見渡せるような構造になっており、殆どの処置を彼らがやってくれますが、小児病院の場合は一般の入院と同じく、各部屋に赤ちゃんのベッドとお母さんのベッドが並んで置いてあって、全ての面倒はお母さんがみることになります。ムスメの分泌液の吸い取りや傷口の処置、カニューレの交換や消毒なども私がやることになるため、数日前から私も訓練を受け始めました。

ムスメの場合はセクション4と呼ばれる、症状の難しい子供を対象にした病棟があてがわれる予定で、赤ちゃん二人とお母さん二人のベッドが置かれた部屋に入ることになります(他のセクションは大部屋)。小児病院ではこのように24時間ムスメと共に居られるメリットがあると同時に、お母さんが病院に閉じこもりになるため、精神的にはかなり厳しいことになるとも言われています。自宅に帰ることもままならなくなるため、ブログを更新することも、メールを出すことも、我が家の猫君の面倒を見ることも、ダーリンと過ごすこともなかなか出来なくなりますが・・・一体どうなってしまうのか今は全く想像もできません。

一日単位で状況が変わり先のことが全く読めない日々は、まるで大海原を体一つで泳いで渡っているような感じです。大陸の見えない果てしない海のど真ん中で、突然の高波に襲われ慌てたり、嵐の中沈みそうになりながらもがいたり。今は小さなムスメの手が離れないように、必死で掴んでいる気持ちです。それでも、風のない凪の海を泳いでいる時は、束の間の安息と青空の美しさに感動できる瞬間もあって、明日も頑張ろうと思えます。皆からもらうメールは、真っ暗闇に射し込む一条の光のようで、一人じゃない、見守っていてもらえるんだと救われる想いです。

今唯一の願いは、ムスメの呼吸が安定すること。それは彼女の”人生”を確保するのと同じこと。それさえ出来たら、次へ向かって泳ぎ続けて行ける。いつかムスメと共に手を繋いで、しっかり踏みしめられる大地に辿り着けるまで。