アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

細い息

先日2月20日、ムスメが誕生して1ヶ月となりました。

記念に、顔にくっつけられている管やそれらを支えるテープを全て外したお顔を写真に撮りたいと看護婦さんに頼んで、お願いを聞いてもらいました。全てを取っ払ったムスメの顔を見るのは実はこの時が初めてでしたが、顔の印象ががらりと変わって女の子らしくなり、何とも言えない感動がありました。「はじめまして」という感じでしょうか。

その後数日、とても調子の良かったムスメでしたが、22日の午後あたりから雲行きが怪しくなり、頻繁に体内酸素が低下するようになりました。そして翌23日の朝、私がNEOに到着した時、ムスメが寝ていたベビーベッドは既に空になっていたのです。慌てて室内を探す私の目に飛び込んできたのは、NEOの一番奥の保育器の中からのぞいているムスメの足。駆け寄った私が見つけたムスメは、口に太い人工呼吸器の管を通され、右手、右足、左足に様々なコードや管を取り付けられた無残な姿で横たわっていました。

昨日の朝まではご機嫌で、調子も良かったムスメ。たった半日でこれほど酷い状態になるなんて、一体何が起こったのか。

心配や悲しみ以上に、その時私の中から噴き出したのは、どうしようもない「怒り」でした。1ヶ月もの間集中治療室に入り、あらゆる検査を受け、ムスメも私も辛抱強く細かい指示に従ってこれまでやってきました。それなのに状態が改善されるどころか、これじゃあ生まれた時よりも酷いじゃない!この1ヶ月間一体何をやってきたのよ!!という怒り。ちょうどその数日間、主治医のイルダが休暇を取っていたため、その場にいた臨時の医者を捕まえて感情の爆発するまま詰め寄ってしまいました。

「落ち着いて落ち着いて」と医者や飛んできた看護婦達になだめられ、私が聞かされた説明は、23日未明、ムスメはほぼ呼吸が出来ない状態になり、顔を紫色にして苦しんでいたため、この処置しかなかった、ということでした。詳しい原因は検査中とのことで、この日は一日、薬によって眠らされているムスメの姿をただただガラス越しに眺めることしかできませんでした。時折目を覚ますムスメが、私の存在を感じ取って、「だっこして」、と泣くのを見ても、保育器から出して抱きしめてあげることもできない。果てしない無力感に打ちのめされる想いでした。

このムスメの呼吸困難は肺や喉にはなく、顔面の構造によるものと見られています。月齢2ヶ月半から3ヶ月で受ける予定の手術は、当初頭蓋骨を開いて脳が成長するスペースを作ってあげる、というものでしたが、先日訪れた専門医からは同時に顔面の手術もした方が良いと指摘されました。これは、目の周囲と鼻を前面に押し出す手術で、術後に期待される効果は突出した目の矯正と、鼻を高くすることによる呼吸困難の緩和もしくは解消だそうです。イルダもこの手術を受けるまで呼吸困難がなくなることはないと考えていましたが、同時に、今回のようにここまで急激に悪化するとも予想していなかったようです。

24日、イルダが休暇から戻り説明してくれたことによると、恐らく今回の状態悪化の原因は、ただでさえ細いムスメの鼻腔に何かが詰まったことによる一時的なもの、とのことでした。ただし、今後も些細なことでこれほど大掛かりなことになり、その都度ムスメの状態が後退する可能性は非常に高いだけでなく、酸素不足による脳への影響も心配されること、また、彼女の成長に伴い必要とされる酸素量も増えていくため、より大きな負担となるのは避けられないとので、顔面の手術を受けるまでの2ヶ月間、酸素を確実に確保するために「気管切開」を行う方向だと告げられました。

「気管切開」とは、喉に穴を空け、気管に直接管を通すことでそこから呼吸させるというものです。簡単な手術、必要不可欠な処置とは言われても、ムスメが受ける初めての手術がこんな風に突然訪れることになるとは思ってもいなかったため、この小さな体にメスが入ることを思っただけで全身に震えが来るほど辛かった。その日の午後、職場から駆けつけたダーリンもこの知らせには相当のダメージを受け、保育器の中で眠るムスメの小さな手を握りながら、鼻を真っ赤にして長いこと静かに泣いていました。

この日の夜、私達はどうしても病院から離れる気がせず、結局、交代でムスメの側に付き添うことにしました。私の頭の中では、数日前のムスメの元気な姿が何度も何度もよぎり、どうしても納得のいかない悔しさと悲しみで一杯でした。

そして昨日、26日午前7時にムスメの気管切開が行われました。手術室に運びこまれる前に、短い時間でしたがムスメを抱かせてもらうことができました。22日以来、ママにもパパにも抱っこしてもらえなかったムスメは、保育器の中では泣いていましたが、私の腕に収まったとたん大人しく優しい顔つきになって、いつものようにじっと私とダーリンのことを見つめていました。その落ち着いた状態で再び保育器に戻され、そのまま保育器ごと手術室に運ばれて行くムスメを、ダーリンとぐっと手を握り合って見送ったのでした。

息が詰まる思いでロビーで待っていた私とダーリンでしたが、手術自体は40分ほどで終わり、執刀医が説明に来てくれました。手術は何の問題もなく成功し、ムスメの呼吸は確保されたとのこと。今後しばらくの間は気管に通したカニューレから呼吸をすることになりますが、これはあくまでも次の手術までの応急処置となる可能性が高く、顔面の手術が上手くいけばカニューレを取り外し、喉に開いた穴も塞いで元の状態に戻れるそうです。どうかどうか、次の手術で彼女の呼吸の問題が解消されますように・・・。

術後の眠ったムスメに会いに行くと、口に入れられていた太い管は取り外され、代わりに喉に突き出したボタンのようなものがついていました。手術当日はこのカニューレに人工呼吸器を差し込まれ、自力で呼吸が出来ると確認されるまで徐々に送り込む酸素量を減らして試すことが続けられました。一晩掛けて酸素を減らした結果、今日27日の朝にはカニューレを通して自力で酸素を確保できることが確認され、予想以上に早く人工呼吸器を取り外すに至りました。

こうしてようやく口や鼻に管を通すことなく自力で呼吸をし始めたムスメは、今日の午前午後は比較的穏やかに過ごしました。でも喉に開けられた傷口が痛むのでしょう、時折苦しそうに泣き出し、しゃくりあげ、その度に体内の粘液が増えて気管を塞いでしまうため、カニューレに細い管を通してそうした分泌物を吸い取ってあげなければなりませんでした。

鼻の穴が小さく必要な酸素量を取り込めないことに加え、この”分泌物が増えて気管を塞ぐ”というのが実は呼吸困難のもう一つの原因で、これは気管切開を行っても解消されないため、今後も頻繁に吸い取りをして上げなければなりません。むしろ手術後、カニューレに慣れるまでは分泌物の量が増えてしまうようで、夜には再び体内酸素が低下し、苦しむムスメのカニューレに何度管が通されたか分かりません。

一難去ってまた一難・・・。喉の傷の痛みに耐え、吸い取りをされる度に顔を真っ赤にして咳き込み、足に差し込まれたカテーテルから点滴を受けるムスメを見ていて、一体どれだけの苦しみをこの子は耐えなければならないのだろうかと、私は心臓が押しつぶされてしまいそうになるのを堪えるのに精一杯でした。

苦しませるために産んだんじゃないのに、もっともっと沢山の素敵なことを経験する権利がこの子にもあるのに。病院の外にある世界、大きな木々、沢山の鳥達、色とりどりの花、そんなものを一体いつムスメに見せてあげられるのでしょう。

問題なく生まれ、お家でママのおっぱいを飲んで、何の痛みも苦しみもなくスヤスヤと眠りにつける子供が大勢いる中で、どうしてムスメはこんな思いをしなければならないのかと、これまでも何度も思いました。私自身の辛さや疲れなんてどうでもいいし、実際どうにでもなるけれど、我が子が苦しむこと、その姿を日々間近で見ながらも何もできないことがどうしても我慢できない。そして、こんな生活がこの先もずっと続くのかと思うと、私の心がどこまでもつのか想像もできません。

気管切開を受けカニューレを付けられると、呼吸で声帯を震わせることができなくなり、声が出なくなると、術後のムスメを見て初めて気がつきました。今のムスメは、どれだけ苦しそうに泣いても、声すら出せない。それがまたたまらなく切なく、横にいる私の方が大声をあげて泣きたくなります。

ムスメがお腹にいた時の胎動が「お魚みたい」と書いたことがあって、友人から「人魚ちゃん」とあだ名をつけてもらったムスメ。人魚姫が足と交換に声を失ったように、ムスメは酸素と交換に声を無くしてしまいました。

2ヵ月後の手術が上手くいって、呼吸困難が解消され、切開された喉の穴が塞がり、カニューレを取り外して再びムスメの声を聞ける日が来ますように・・・。