アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

一段落

ご無沙汰していました。

11月6日にムスメの手の再手術が行われ、一応無事に終わったのですが、今回は執刀医たちも失敗できないと思っているのか慎重で、術後1週間目に健診のため再入院、その3日後再度健診入院と、先週今週と入院続きで母子共にぐったり疲れていました。

手術当日は前回と同じように朝7時に超大部屋の第1病棟に入院し、待つこと数時間。今回は手続き上のトラブルこそありませんでしたが、手術室へ連れて行く前の事前のお薬の投与をかなり前から執刀医にお願いし、手術前日にも麻酔医にお願いし、手術当日も看護師に確認していたにもかかわらず、前回と全く同じ乱暴なオジサンが突然ガラガラとベッドを運んで来て「手術室へいくぞ!」と・・・。

慌てて看護師に「でもお薬飲ませてもらっていないんだけど」と訴えると、「手術室の麻酔医から投与の指示が来ていないからあげられない」というそっけない返事。事前のお薬って飲ませてから30分ぐらい待たないと効果が出ず、今から飲ませたとしても予定でぎゅうぎゅうの手術室を30分以上も待たせるわけにはいかず、結局今回もギンギンに目の覚めた状態のムスメを抱っこして手術室へ連れて行く羽目になりました。

案の定、手術室でムスメを引き渡す際には恐ろしいほど泣き叫び、またしても私は無力感に打ちのめされ、公立病院のコーディネーションの悪さ、仕事の粗雑さを呪う結果となりました・・・。後で前日に会った麻酔医に詰め寄ったところ、彼自身は事前の薬の投与を指示書にして残しておいたそう。手術当日は他の患者さんの手術に立ち合っていたため、ムスメの手術担当の麻酔医が病棟に連絡し忘れたのだろう、との回答でした(ホントか・・・?)。

今回の手術も結局2時間半ほどかかり、私達は手術室の扉の前でずっと待っていたのですが、その間すごく気になったのが、親が待っていられるきちんとしたスペースがないこと。前回今回と手術中ずっと立ちっぱなしで待っている自分に気がついたのです。ダーリンは疲れて床にそのままぺたんと座っているし、、、これはなんだかちょっと酷いな、、、という事実にはっとしました。

偶然通りかかった仲の良い看護師さんに尋ねると、「そう言えばそうよねえ。ここにベンチでも置くべきだわねぇ。言われるまで気がつかなかったわ」との返事。そう、病院関係者の誰もが、我が子の手術をまつ親達が立ちんぼうか床すわりしている図に慣れきってしまっていて、改善すべきだという発想がないのだろうと思われました。その看護師さんに「意見書を書いたらいいわよ」と勧められたこともあり、手術後に「ご意見箱」なるものに2つ、意見書を出してきました。

一つは、手術を頻繁に受ける子供の精神状態にもっと配慮した医療現場であって欲しいこと。「連絡の行き違い」で済まされるようないい加減なものであってはならないと思うと。もう一つは、我が子の手術を待つ不安な親達に最低限のリスペクトと配慮をすべきと考えること。そんな親達を床に座らせて放っておくなんて、あってはならない。いくら予算に限りのある公立病院であったとしても、古いベンチの一つを置くぐらいのことは、やろうと思えばすぐにできるはずです。

公立病院に掛かっている家族の9割が保険を持たない貧しい人々で、こうした扱いを受けることに慣れていたり、文字の読み書きがアヤシイ人も多いので、結局「意見箱」なんてお飾りになっているのが現状。外科医や看護師のレベルが私立病院に比べて高いことから、うちのように保険があっても公立病院で手術する場合もありますが、これはかなり稀なケースと言えるでしょう。だからこそ余計、誰も文句を言わないのなら私が言う、この環境は改善されるべきだ!と少し熱くなってしまいました。

さて本題に戻って・・・。

ムスメの手術が終わって、執刀医からは「手のかかる手術だったけれど無事終わりました」と報告を受けました。いつもどおり2時間ほど麻酔の効果が抜けるのを待ってから水を少量飲ませ、吐かないようならご飯を少しずつ食べさせ、元気になったら当日退院していいですよ、とのことで、私達も前回同様当日夜には自宅に戻れるものと思っていたのですが・・・これが全く予想外の展開となりました。

麻酔の効果が切れる頃になっても、ムスメは顔面蒼白。お水を少し飲ませてみたところ、なんとすべて戻してしまいました。その後も紙のように白い顔をしてぼーっと座っては身じろぎもせず、冷たい汗をかいて、何度も戻しました。こんな状態になったムスメを見たのは初めてだったので私もダーリンも相当動揺し、嘔吐したことで当然当日退院もなくなりました。

その夜、点滴に解熱効果を含む痛み止めが入っているにも関わらず、ムスメは38度の熱まで出し、ぐずって眠れず、結局手術後の正午から夜中の11時半まで泣き通しました。更に、初めての大部屋での夜はきつかった・・・。我が家は外の騒音がほとんど聞こえない立地条件にあり、音のあるところで眠る習慣がないため、15,6人もの子供達(しかも皆病気か怪我をしている)がひっきりなしに泣いたり叫んだりする中、そして夜中の2時まで最大ボリュームで付けっぱなしのテレビの騒音と共に眠るなんてことがまず不可能でした。

熱で気分の悪いムスメのパジャマを脱がせ、両脇の下と額に冷やした布を当てて熱を下げ、それでようやくすっと寝入ってくれたのが真夜中のこと。ここでやっとのこと私も横になれる・・・とうとうとした矢先、二つ隣のベッドに寝ていた赤ちゃんが大泣きし始め、私はそこでばっちり目が覚め・・・これを何度も繰り返し、気がついたら朝の6時になっていたのでした・・・。

さて、翌日にはムスメもだいぶ回復し、熱も下がって嘔吐もおさまったため、液状のご飯を食べさせることになりました。恐らくこのまま午後には退院できるだろうと思っていましたが、ここでまたしても予想外の展開が・・・。何と口から与えた液状のご飯が、喉下の気管カニューレから飛び出してくるというハプニングが!!!これはつまり嚥下に障害があり、飲み込んだものが食堂ではなく気道に入ってしまっているということで、肺炎などの疾患を引き起こす可能性があるとても危険な状態です。

ムスメは胃ろうこそまだしていますが、過去半年間ぐらいはずっと口からご飯も食べ、飲み物も飲んでいたので、これには私がもうびっくり。医者に報告したところ、彼らも相当焦った様子で即座に肺のレントゲンを撮って来るよう言われました。結果的には肺は全く正常で、嚥下の障害も麻酔の後遺症などから起こる一時的なものだろうと判断されましたが、それでもこの状態で退院させるわけにはいかないと、結局もう一晩大部屋ナイトを耐えなければならないことに・・・。

この時点で私、体力・精神力の限界を迎えていました。いや~、今回は本当に歳を感じました。2年半前にはこの同じ病院に1ヵ月半も入院していたなんて、もう自分でも信じられない。当時は大部屋ではなく、4畳半ほどの狭いスペースに2家族がすし詰め状態という、これまた酷く居心地の悪い環境で、しかも他の入院ママからあらゆるものを盗まれまくって精神的にもキツイ日々でした(これ、かなりトラウマ残った経験です)。

それでも、文字通り一度死に掛けているムスメを発見し、急遽集中治療室へ連れていってなんとか一命を取りとめたというハードな経験をしたので、あの時はもうムスメの命以外のことなんてどうでも良かった。私のズボンでもトレーナーでも何でも盗んでくれい、と思っていましたが、ムスメのおもちゃにまで手を出された時には切れましたねぇ・・・(遠い目)。あ、話がすっかりそれてしまいました。

そんな訳で、疲れ切った私を見るに見かねて、2晩目の入院はダーリンが付き添うと言い、私もその言葉に甘えて自宅で休ませてもらいました。翌日の昼頃にはようやく退院が認められ、自宅に戻ってきたのですが、その翌週、今度は執刀医が麻酔を掛けて手術室で皮膚移植のチェックをしたいと提案してきたので、今週は2度の半日入院をしたわけです。

半日入院とは、朝7時半ごろに病室に入り、お昼ぐらいまで待たされて治療を受け、午後3時ごろには退院するというパターンです。今回は火傷病棟内の治療室(麻酔がかけられる)で検査をしたいという執刀医の意向で、初めて火傷病棟に入院したのですが、いやぁ・・・ムスメのことを知らない医師、看護師が次から次へとやってきては同じことを尋ねてくるので、30回ぐらい同じ説明をしたんじゃないかなぁ・・・(ムスメが生まれてから今に至るまでの[emoji:e-263])。

検査の時間も特に決まっていないため、ひたすらムスメが退屈しないようにと、狭いベッドのスペースで歌を歌ったり本を読んだりパズルをしたり踊ったり手遊びしたり。しかも麻酔を使うということで、前夜から何も食べていない空腹のムスメの前では当然私も水を飲むことすらなかなかできず、そんな風に気を使うことが疲れるのか、病院という場所が人を疲弊させるのか、はたまた酷い連絡の行き違いの数々(手術室へ連れて行くとか、いや火傷の治療室でやるとか、麻酔を掛けるとか、事前の薬を投与するとかしないとか、明日まで入院だとか1時間後には退院だとか・・・)に対応するのにエネルギーを奪われるのか。

今週は火曜日と金曜日にこれをやり、もう限界。これ以上はできなーい!!!と思ったところで執刀医から「移植した皮膚は綺麗にくっついた。一部小さな箇所だけ皮膚が剥がれてしまったが、恐らく自然に塞がっていくだろう。来週からは一般の診察室に来てください」と言われました。ほ~~~~~~~。

この火傷の治療室、麻酔を掛けて、ムスメが痛くないように治療することができることは良かったのですが、毎度連れて行って服を脱がせるたびにやっぱり号泣するムスメを見るのが辛かった。そしてたとえ15分程度とは言え、全身麻酔は全身麻酔。9月、11月の手術に続いて1週間に2度の麻酔を受けて、もうちょっとしばらくは休ませてあげたい。

病院も入院も麻酔も手術室も果てしなく長い待ち時間も眠れない夜も、もうあと1年間ぐらいは勘弁して欲しい気分です。後はただただ、この移植した皮膚が無事に育ってくれることを願うばかり。前回の手術の際も、移植直ぐには調子が良くて、3週間ぐらい経ったところで皮膚が消滅してしまったので、まだまだ気は抜けないのが実際のところ。それでも、疑って過ごしても、明るく過ごしても結果が同じなら、せめて今は頑張ったムスメを祝福して明るく過ごしたい。

すっかり長くなってしまいましたが、最後に一つだけ。

実は今回の手術前日、庭でムスメと水遣りをしていた時のこと。不意に虹色のハチドリがやってきて、私達の目の前でパタパタと空中で静止し、じっとこちらを眺めている様子。これまでにも我が家の庭にハチドリがきたことはあったけれど、こんなに近くまで来て、しかも長い時間静止してこちらを見るなんてことなかったのでびっくり&超感動!折りしも翌日が手術だったので、わ~、いいことあるかもね~、なんて嬉しくなったのです。

ところが、手術も無事に終わり1度目の健診入院で病院へ行った時、なんとまたしてもハチドリが入院病棟の前で私達を待っていたのでした!このハチドリも私達の目の前でぱたぱたとしばらく静止し、その後すっと飛んで行きました。更に驚いたことに、2度目の健診入院の前日、夕方ムスメと散歩して家に戻ってきたところ、なんと家の前にまたハチドリが・・・・。

確かに日本よりもハチドリを目にする回数が多い場所ではありますが、これだけ頻繁に、間近までやってくることはもの凄く珍しいことです。しかもいずれもムスメの入院、手術の前日か当日に現れている・・・・。友人に話してみたところ、それはきっとご先祖様か、亡くなった親族の誰かが護りに来てくれているのだろうと言われました。もともと私はそんなにスピリチュアルな人間じゃないんですが、今回はそんな友人の言葉をすんなり信じられるほど、この輝く妖精の姿に励まされました。

来週からようやく保育園にも戻れそうだし、私にも少しだけ自由時間ができそうだし、ムスメの順調な回復をハチドリに見守ってもらいながら、ジャカランダの綺麗な初夏の日々を楽しもうと思います

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手術の後には大好きなM(ママの方)とF(ムスメと同い年)が遊びに来てくれてご機嫌[emoji:e-266]

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ちゃっかり甘えて、最後には手も足もびょーんと上げちゃうほど大興奮でした!!