アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

NEOの母たち

ムスメが生まれてから50日が経ちました。身長57センチ、体重3675グラム。顔は丸顔ですが、背の高いダーリンの血を受け継いでか、体の細長~い赤ちゃんです。

故障していたメインPCがようやく使えるようになったので、早速写真アップしました。ムスメです。どうぞよろしく・・・って、何枚か載せたかったのに、操作法が分からない!!!とりあえず生後1か月の写真を一枚だけ・・・。

musume 1mes-1

ムスメが生後50日を迎えたということは、私が新生児集中治療室(Terapia Intensiva Neonatal)通称”NEO”に通うようになって早1ヶ月と3週間ほど経った、ということでもあります。アルゼンチンでは自然分娩なら2日、帝王切開でも3日だけの入院となり、私の場合は更に特殊な手術となったためか、退院時は腹部の痛みが激しく、足を一歩前に踏み出すのもやっとの状態でした。

退院当日は昼過ぎに帰宅しましたが、夕方には出始めた母乳でおっぱいがパンパンに張り、更に病院に一人置いてきたムスメがどうしても気になり、夕方には早速NEOに飛んで行ったことを懐かしく、そして涙ながらに思い出します。この、自宅⇔病院の移動の大変だったこと・・・!

行きも帰りもタクシーでしたが、何しろほんのちょっとの振動でもお腹に激痛が走るので、ガタガタ道の多いこの国の道路を行くのは正に地獄。車の中で痛みを堪え切れずに何度叫んだか分かりません・・・。そんな痛みに耐えての通院生活を3日ほど我慢しましたが、ついに限界となり救急窓口に飛び込むことに。そこで注射を打ってもらい、強い痛み止めを処方してもらってようやく地獄の痛みから解放されたのでした。

あれは今思い出だしても辛い辛い数日間でしたが、実はNEOにはもっと大変な想いをしているお母さんたちが沢山いたのです。

余談ですが、NEOでの生活やお母さん達との会話は(表現は悪いですが)どこか刑務所でのそれに通じるような気が常々していました。初めて顔を合わすお母さんや、新しいママさんとのやり取りはいつも「あんたの赤ちゃんはどうしたんだい?」から始まります。それはさながら囚人同士が「あんた一体何をやらかしたのさ?」と聞き合うよう。

そしてNEOが提供してくれるママさん食堂のプラスチックケース入りの昼食に見入る新ママさんに「ここじゃ贅沢言ってられないよ」・・・とは言いませんが(笑)、電子レンジの使い方や食堂のルールを教えたりします。私も、衛生上細かいルールがたくさんある搾乳室で、搾乳機の使い方を説明している自分に気づく時、NEOで過ごしてきた時間の長さを思い知らされます。

これら公立病院のサービスは至れり尽くせりで、NEOへの入院、毎日の交通費(バスカード)、昼食、おやつまで無料で提供される驚くべき現実の背景には、「教育と医療は国民の”権利”」とするアルゼンチン国の方針があります。このお陰で貧困層の人々も安心して子供が産めたり、病院にかかることが出来ます。

NEOはマルティン病院の6階にあり、25~30人ほどの新生児が常時入院しています。NEOセクション自体はすりガラスで囲まれていて、外から見えないようになっていますが、内部は大きなガラス窓のはまった壁で区切られており、あちこちに黄疸を消すための青白いランプが灯され、どことなく静謐な水槽を想わせるひんやりとした空気に満ちています。

訪問者は決められた時間帯に従い通路を抜け、入り口で殺菌効果の高い石鹸で肘まで洗ってから入室します。NEOに子供のいる母親も以前は3時間おきに1時間だけ入室することが許されていましたが、幸い3週間ほど前からこの時間割が完全撤廃され、午前7時から午後10時までは母親に限り常時入室フリーとなりました。お母さんと長い時間一緒にいる赤ちゃんの方が圧倒的に回復が早い、というデータの結果を受けてのことだそうです。

NEOの一番奥には15台の保育器がずらっと並び、最も症状の重い赤ちゃん達が収容されています。次に続くのがNEOベッドと呼ばれるベビーベッドのコーナーで、保育器からは出られたものの未だ心拍、呼吸を計るセンサーを必要とするデリケートな赤ちゃんが寝かされています。入り口に最も近いコーナーにはシンプルなベビーベッドが10台ほど置かれていて、主に黄疸を消すだけの赤ちゃんや、体重を増やす必要のある軽度の未熟児が数日単位で入院しています。

この、回復に従って奥から順に出口へ向かうコーナー分けは、なんとなく卓上ゲームを連想させます。一歩ずつ順調に駒を進められる母子もいれば、私達のようにNEOベッドで足止めとなるケースもあり、横を通り過ぎ”あがり”へ向かって進んでいく多くの赤ちゃんを、これまで何度羨ましい思いで見送ったことでしょう。私とムスメはさながら”1回休み”のカードを果てしなく引き続けているようです。

私達がNEOに入った当時お世話になったお母さん達は、幸い私と歳も近く、2人目、3人目の子供が入院していました。

マリアの4人目の赤ちゃんは小腸に異常があり、生後直ぐに手術を受けたものの再手術を要し、2ヶ月NEOに居た後、来週私達も移動となる小児病院へ移送となりました。

セレネの2人目の赤ちゃんは水頭症児で、ムスメと同じ遺伝子疾患のため完治とはなりませんでしたが、1ヵ月半NEOに居た後自宅看護となりました。

そしてセシリアの2人目の赤ちゃんはなんと、羊水過小のため体重600グラムちょっとの時点で出産となり、生後の生存率30%という厳しい見通しの中、なんと3ヶ月間頑張って授乳し続けた結果、一度は500グラム台にまで落ちた体重を遂に1キロ800グラムまで増やし、めでたく退院となりました。

NEO通いには土日もなく、子供の状態が悪化すれば朝も夜もありません。そんな生活を、痛々しい帝王切開直後から何ヶ月も休み無く続け、遂には子供と共にNEOを出て行った彼女達の姿が、どれだけ私に力を与えてくれたか分かりません。

でも、とても残念なことに、こんな風に全ての赤ちゃんが無事にNEOから出て行けないのが現実です。ムスメがNEOに入ってから今日までの間、少なくとも4人の赤ちゃんが同じ室内で命を落としました。救い上げてあげることの出来なかった命を前に、その親達が泣き叫ぶ悲痛な姿も間近で目にしてきました。昨日も朝一人、そして夜もう一人の赤ちゃんが、小さな小さな命のともし火をひっそりと消して去って行きました。

昨日の朝亡くなった赤ちゃんは、いつも昼ごはんを一緒に食べていた15歳の少女ポンセの子供でした。NEOにはあまり裕福ではない家庭の赤ちゃんが多いのですが、そのせいかお母さんの平均年齢が驚くほど若い、と言うよりも幼いのです。18歳、16歳、果ては13歳の”お母さん”も居て、思わず言葉を失ったことも。そして、まだまだ出産の準備が整っていない体に宿ってしまった赤ちゃんが、過度の早産で超未熟児として生まれてしまいます。

ポンセの赤ちゃんもその一人。600グラムで生まれ、500グラム台まで落ち、そこからなんとか1キロ弱まで増えたものの、不完全な体は外の世界に耐えられなかったのです。数日前にポンセから「赤ちゃんの肺に水がたまってしまった」と聞いた時から、「ああ可哀想に、これはダメかもしれないな」と思っていました。でもポンセは15歳の幼さから、事の重大さをよく分かっていなかったのでしょう。心配こそすれ陽気だったのが余計痛々しく映りました。

小さな遺体は早朝に運び出され、その後には何事もなかったかのように別の赤ちゃんが保育器に納まり、こうしてNEOは日常へと戻っていきました。

夜に亡くなった赤ちゃんは、一日前に生まれ、即座にNEO入りとなりました。私の背後の保育器に入れられた赤ちゃんを大勢の医師が取り囲み、その場でエコーやレントゲンが取られ、直後に保育器で手術となりました。新生児特有の赤い肌ではなく、透き通るように真っ白な肌がその子の状態を告げているようでした。

そして1日経った昨日の夜、若い夫婦が子供を抱きかかえて泣きじゃくる横で、看護師達がそっと諸々の機材の電源を切っているのに気がつきました。全ては私の直ぐ後ろで起こったことで、悲しみの波が空気を震わせ私の胸にも押し寄せて来るようでした。待ちに待った愛しい我が子との対面のはずが、予期せぬ不幸に見舞われてしまうその衝撃が分かるから、私も背中を向けたままポロポロと溢れる涙を黙ってぬぐったのでした。

ここにいると、何も問題が無く赤ちゃんが生まれてくることが決して”普通のこと”ではないと思い知らされます。むしろ、望んだように妊娠し、妊娠期間中母子共に異常なく、そして健康に40週前後で生まれてくるという自然現象は、とても有難いことなのだと心底思うようになりました。

こうして、ムスメの状態の変化に加え、NEOのハードな空気の中過ごした50日間。ある日、病院の帰り道、ふとビルのガラスに映った自分の姿を見て愕然としました。目の下には真っ黒なくま、丸まった背中、構わない洋服、そして全身から放つ疲労感・・・。

その時思ったのです。”病気の子供と、疲れ切った母親”・・・そんな図だけは絶対に嫌だ!と。ムスメに自慢に思ってもらえるような母親であり、女性でありたい、と。。

その日私は、妊娠中はけなかったヒールのサンダルをいくつも引っ張り出し、翌日からは背筋をしゃんと伸ばしてNEOに通うようになりました。看護師達にも「あ、ヒールで来たな」と言われ、「気合入れようと思って」と答えたら、「いいね~、いいと思うよ」と返されました。NEOのレントゲン技師にも「美人のママさん」と呼ばれ(お世辞です)、数日後には道端でも久々にナンパされ、よ~し!まだまだいけるじゃん!!と自信(?)を取り戻した次第です。

来週からいよいよ小児病院にムスメ共々入院となりそうです。長い入院生活でまたしてもだらけた姿にならないよう、しっかり荷物の準備をして、いざ次へ。

生きて産まれてきてくれた、そして今も毎日頑張って生き続けようとしているムスメと、家族みんなの幸せのために。