アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

アルゼンチン医療体制と社会格差

気がつけばもう9月も半ば。こちら南半球もここ数日すっかり春らしいお天気が続いていますでもその前にものすご~く寒い日が何日が続いたため、すっかり体調を崩してしまったムスメは、2週間ほど前に6日間の緊急入院となりました。

ムスメがまずやられたのが呼吸器系。その後胃腸炎を起こして嘔吐と下痢を繰り返し、脱水症状の一歩手前までいってしまったのでした。

私たちがムスメを抱えて公立病院に駆け込んだのは夜中の3時のことで、即座に点滴の投与が始まりました。その晩は入院病棟に空きベッドがなかったため、そのまま救急センターの中で大勢の子どもたちと共に一晩明かすことになったのですが、他の子供たちの叫び声、泣き声、夜通し煌々と灯ったままの電気(救急センターだから)に私もムスメも全く眠れず、熱も高くなり始めたムスメは珍しくぐずり、二人とも夜が空けたころにはぐったりでした

ちなみに、公立病院を使うにあたって最悪な点は、患者一人に対して親族1人しか付き添えないこと。ダーリンも私たちと残りたいと言っていたのに、ガードマンに早々に追い出されてしまいました。これ、いつもかなり腹立つんですが、セキュリティー上徹底されているようです。

幸い翌日には同じ救急センターの中の個室に通してもらえたので、環境は格段に良くなり、ムスメもぐっすり眠ることができ、私も椅子に座ったままではありましたがうとうとして若干休めました。その夜はダーリンが代わって病院に残ってくれて、私は翌日早朝4時に病院へ。その日の午前中ミルクを与えてみたところ嘔吐がなかったため、午後には退院の運びとなりました。

で・も、退院時私はムスメが全然良くなっていないことに気づいていました。病院側はベッド確保のためか早々に追い出したい様子でしたが、ミルクを吐かないと言っても2度の授乳で試しただけだったし、その間ムスメはぐっすり眠り込んでいたし、何より胃腸炎ってそんなに短時間で治るの?と疑問でした。

個人的な希望を言えば、もうとっととおうちに帰りたかったけれど、ムスメの体を治してもらわないと困る。ということで、あと1日様子を見て欲しいとお願いしたものの取り合ってもらえず。結局その日の午後には1度退院したのですが、案の定その夜には再びムスメの嘔吐が始まり、翌日の午後3時には止まらぬ嘔吐が原因で再入院となったのでした・・・(だから言ったのに)。

ここで保険の話をちょっと。

実は私たちは今かなり複雑な状況の中にいます。というのも、ムスメが生まれた当時、ダーリンは前の仕事を辞めて大学に復学していたため、私たちには何の保険もありませんでした。そこで公立病院にお世話になってきたわけですが、現在ダーリンは学業を続けながらも仕事を始めたので、ちゃんとした保険があり、この場合公立の医療サービスを利用することは原則できません。

ただし、ムスメの場合これまで診てもらっていた医療関係者が公立病院にいること、現在も公立病院の自宅看護チームに面倒をみてもらっていること、これまでの検査結果等が公立病院にあることから、一応公立のサービスを使い続けることも可能です。この場合、公立病院がその費用をダーリンの保険会社に請求するというややこしい手続きが発生します。

さて、各保険会社には定められた私立病院と医者があり、原則そこを利用しなければなりません。が、ムスメの場合は前述の理由の通り、いざ保険会社の私立病院へ行こうとするなら、引き継ぎも含めた病院間の正式なデリバリーが必要となります。

と言うことで今回の入院中初めて、公立病院から保険会社の定めるコルソ私立病院へのデリバリー手続きが始められたのですが・・・途中から非常にややこしいことになってしまいました

と言うのも、このコルソ私立病院、小児科に関して言えばそんなにレベルの高い病院ではなく、ムスメのように複雑な症状を幾つも持つ幼児に対応できないという判断が公立病院側の医療関係者達の間にあったからです。彼らの多くが主張したことは、コルソ病院ではなく、この街の私立の最高医療機関であるサナトリオへデリバリーすべきとのことでした。

ところが、ダーリンの保険会社はサナトリオとは直接の契約を行っていません。更に、今回はただの胃腸炎の治療ということで、難しいことは何もなかったため、すったもんだの挙句一日がかりの手続きでひとまずコルソ病院へ移送されることになりました。幸いだったのは、この議論がきっかけとなり、次回からサナトリオへ直接行けるように、保険会社とサナトリオの間でムスメのために特別契約を結んでもらうという話になったこと。

とにかく保険の話、日本とは全くシステムが異なる上、現地の人にとっても非常にややこしいと言われているだけあって、内情を理解するのに一苦労でした。でも今回の入院のおかげで、ムスメにとって最も好ましい環境が確保されることとなり、結果的には幸運だったと言えます

さて、移送されたコルソ私立病院。私にとってはアルゼンチンで初めての私立病院への入院でしたが、「コルソはまあまあ」という前評判はさておき、通された個室の綺麗さに目ん玉が飛び出るかと思いました。そしてそして、ムスメと一緒に寝られるように、ちゃんとベッドメイキングされた綺麗なベッド付き~~!!初のベッド付き入院にもう大感激!!

なんて、今冷静に思い返せば、そんなにすごい部屋だったわけじゃ決していないんですけど

でも、

公立病院では30人ぐらいのお母さんたちと共同で一つのトイレを使っていたのに対し、私立病院の個室はトイレ・シャワーも完備。

公立病院で渡される毛布はごわごわで、誰のか分からない髪の毛がびっしり絡み付いていてとても使えなかったのに対し、私立病院ではパリッとアイロンのかかった清潔なシーツに柔らかい毛布。

公立病院の食事はプラスチックのパックに入っていて、こわ~いおばさんがどなり声をあげながら配るのに対し、私立病院ではきちんと陶器のお皿に乗った食事をエプロン姿の綺麗なお姉さんがサーブしてくれる等々・・・。

公立病院の状態が極めて監獄に近いのに対し、私立病院は3つ星ホテル並みのサービスで、そのギャップがすごかったんです

次回からお世話になるだろうサナトリオは更にもっとずっと綺麗だそうで、こうなると入院も悪くないかも・・・?なんて不謹慎なことも考えてしまいました。だってだって、今回の私立病院での入院中、3食おやつ付きな上、ムスメのミルクも投薬も全て看護師さんがやってくれるもので、私はすっかりバケーション状態。おかげ様で、ムスメが寝ている間は日がなベッドでごろごろと本を読むか、うとうととお昼寝、な~んてちょっと考えられない楽ちん生活を送らせてもらいました。

何より嬉しかったことは、私立病院では夫婦そろってムスメに付き添うことができたこと。特に個室だったこともあり、本当にホテル並みに自由に出入りさせてもらえたし、ムスメもやっぱり両親が揃って目の前にいるのが嬉しいようで始終ご機嫌でした。あの公立病院の鬼のようなガードマンの追い出しがややトラウマになっていた私たちとしては、家族皆で一緒にいられることが夢のようでした。

そして入院費、前半の公立病院の分はもちろん無料。後半の私立病院の分も全額保険会社負担だそうで、またしても1センターボも支払わず。本当にアルゼンチンの医療体制って凄い。こんな感覚に慣れて日本に帰ったりしたら、医療費の高さにぶっ飛んでしまうことでしょう。

でも、今思うことは、こうして保険を持たない人たち(多くは貧困層)を救済する公立病院があり、また保険のある人向けの私立病院があること自体、この国にものすごい社会格差があることの証なのでしょう。

また、公立病院が外国人や貧困層を含むありとあらゆる人々に無料の医療行為を提供するその崇高さには頭が下がりますが、同時に、予算の関係上行き届いたケアができないことや(早々に退院させられたりね)、貧困層の人々の中には教育のない人達や、犯罪行為に手を染めているような人たち(ドラッグ中毒者とか)もいることから、警察とガードマンが常駐し、出入りを厳しく管理せざるを得ない現実も理解しなければなりません。実際、病院で出される食事目当てに子供の仮病を使って来る親なども多いんだそうです。

医療レベルを言えば、私立公立どちらも同じ医師たちが掛け持ちで働いているためほぼ同等と言えますが、看護師レベルになると公立病院では「診てやっている」的な尊大な態度の看護師も目につきます。日常的に貧困層の人を対象にしているからか、ひどく横柄で高圧的な振る舞いをする掃除婦と、私自身ぶつかったこともあります。反して私立病院では患者さんはお客さんなわけで、看護師たちの態度もかなり丁寧になります。

ちなみに、誕生後1ヶ月半ムスメが入院していたNEOは、ラテンアメリカでも1,2を争う医療設備を整えた最新施設であり、看護師たちも若く優秀な人が多く、公立病院とは言え全く別格でしたが。

こうして、貧困層の人たちと共に公立病院に入院するところから始まり、その後私立病院へと移った私たちは、恐らくこの国の社会格差を相当身近に目にすることになったはずで、今となっては全てが非常に得難い貴重な経験だったと思います。なんだかアルゼンチン社会の光と闇を垣間見たような・・・。

最後に、22日水曜日に予定されているムスメの頭蓋骨と眼窩の手術までいよいよ秒読みととなりました。手術は前述したこの町の最高医療機関サナトリオで行われます。最高の医者と最高の医療施設で、私たちの持てる限りの目いっぱいの愛情と、日本のじいじとばあば、天国の私のおばちゃんおじいちゃん(手術日が偶然祖母の命日でした)、そして世界中のお友達の皆の励ましで、きっと無事終わることを祈って。