アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

まあるいおでこ

書きたい書きたいと思っていた術後報告がすっかり遅れてしまいました。

と言うのも、実はムスメの手術が無事終わった途端、私がかなり酷い扁桃腺炎にかかってしまい、高熱と喉の激痛に苦しむこと1週間・・・。人生でほとんど病気をしたことのない私にとって”歴史的な体調不良”で本人もおたおた。心身ともにがっくり参っていました。

ムスメとの入院生活はマスクで凌ぎ、抗生物質を飲み続けようやく症状も治まり、10月8日には無事帰宅となりましたが、なんとその数日後に再び同じ扁桃腺炎にかかって夜間救急窓口に駆け込むことに!!!(ちなみに、ムスメのお見舞いに来てくれたルーカスとダーリンの叔母さんにもばっちりうつして恨まれました。)

やはり今回の手術をめぐって、私の抵抗力は気付かない内に相当落ちていたようです。2度目の抗生物質接種中(10日間)は、お薬がかなりきつかったようで、体中がだるくても~ヨロヨロ。こちらのお薬ってそもそも強いんですよねぇ。夜10時には完全に倒れている状態で、すっかりPCから離れていました。

そしてこの病気の連鎖、実はこれで終わらず・・・。ようやく私の体調が回復したと思った矢先、今度はムスメがウイルス性の胃腸炎にかかり、吐きまくった挙句に先週日曜から昨日まで6日間も入院する羽目に・・・。そんなんであっという間に手術から1カ月も経ってしまいました。

さて、ムスメの手術のこと。

9月29日、正午12時半に始まったムスメの手術は、夜19時半まで続く長丁場でした。でも手術室から出てきたムスメはなんと驚いたことに目を覚ましていました。頭にはぐるぐるに包帯が巻かれ、凄い数のケーブルに繋がれ、その姿は痛々しくはあったけれど、私たちを見て、泣いて、そして少し暴れていました。その命の力強さをはっきりと確認できて、ようやく体から力が抜けました。ダーリンの顔にも安堵の笑みが広がり、二人でぎゅっと手を握ったまま、集中治療室のドアをくぐるムスメの姿を廊下で見送りました

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「額に触るべからず」と殴り書きされています(笑)

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その後、執刀医のシルバ先生から受けた説明によると、ムスメの頭の奇形は相当重度で歪みが大きかったため、単なる頭蓋骨縫合早期癒合症(頭蓋骨の隙間が早期にくっついて脳の発育を妨げるため、頭蓋骨の一部にスペースを作る)の手術とはいかなかったそうです。

まず、眼窩に眼球を支える空間がほとんどなかったため、頭頂部の骨を一部切り取り、眼窩にその骨を加えながら形を再構築。特に眉毛部分を持ち上げ、その下に空洞を作り、時と共に眼球が自然にそのスペースに収まるようにしたとのこと(!!)。また、シンドロームの症状で大きく突出した奇形の頬骨を一部削除し、孫悟空の輪にぎゅっと締め付けられていたようなこめかみの形を整えたそうです。ちなみに、これら削除された骨のあとには、時間と共に健康な骨が成長するんだそうです。

私にとってそんな話の全ては医学というか、もうほとんど魔術みたいでした。実際その仕事内容も本当に魔法みたいで、後日ターバン状の包帯が取れた時に見たムスメのまあるい頭、歪みのない綺麗なおでごを見て、おおぉぉぉ・・・・!!!と驚きの声をあげてしまいました。もう鏡越しに見ても、ムスメの顔も頭も歪んでいない!シンメトリーな頭部が新鮮です。

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まあるいおでこに思わずマルコメマルコメと口ずさんでしまうほど。いや、一休さんか?

幸いムスメの回復は至って順調で、熱を出すこともなく、感染症にかかることもなく、頭部や顔面が内出血で紫色になることもなく、ほとんど腫れもせずで、執刀医や関係者からは「あんな大手術を受けたのに良すぎるぐらい」と驚かれたほどでした。おかげで5日間の集中治療室の後、一般病棟に移り更に5日間、計10日間の入院で自宅に戻ることができました。

傷口も非常にきれいで、化膿も全くしなかったので、初めて目にした時もそれほどショックを受けずに済みました(気を失うかもと思っていたんですが)。特別な機械で頭の内側を縫ったのだそうで、縫い目もないんですね。もっとオドロオドロしいものを想像していたので、実物を見てホッとしました。

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山道っぽいくねくねの傷は、髪の毛で上手く隠れるようにだそうです。

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坊主頭隠しに綿糸で春用のお帽子を編んであげました。

それでも、パパやママと一緒にいられず、一人ぼっちで過ごした集中治療室の5日間の経験はムスメにとっても(私たちにとっても)極めて辛いものだったようです。以前はムスメが一人で遊んでいる間に家の掃除などをしていましたが、自宅に戻ってから気がついたのは、私の姿が見えなくなると途端に嵐のように泣き出すことでした。また帰宅後しばらくはどれだけ眠くても寝たがらず、それも一人で置いて行かれるのが怖いからのようでした。

そして、手術当日の7時間半のムスメの不在は私にとっても忘れがたい経験となりました。

”ムスメが手術室に連れて行かれる瞬間”が恐らく途方もないぐらい辛いものだと予め予想はしていました。その覚悟もできていたつもりです。でも、実際その場になってみるまで自分がどうなってしまうのか想像もできなかった。

そして実際その場になってみた私は、自分でもびっくりするぐらい我を忘れて泣きじゃくっていました。泣いてもどうしようもないと分かっているのに自分でコントロールできず、気付いたら1時間もそんな状態が続いていました。人間、あんなテンションであれだけの時間泣けるんですね・・・。

その後は、ムスメが脱いで行ったパジャマを握りしめ、そこにわずかに残ったムスメの匂いを探して顔を埋め、手術室にいるムスメの姿をなるべく想像しないよう努めて過ごしました。ダーリンと手を繋いで並木道を歩き、簡単な食事を無理やり摂り、ムスメのおもちゃや椅子などを買いながらも、片手にはパジャマを握ったまま。そんな私の姿を見た人は一体なんだと思ったことでしょう。

正直、最悪の事態も考えていたので、道をゆく手をつないだ親子の姿を見ては滂沱の涙を流したりもしました。果たして私とムスメにそんな未来はあるのか?と思ったりして・・・。

でも、ざっと数えただけでも、ムスメは最初の数年間で10回に近い手術を受けることになるはずで、こんな状況にも慣れていかざるを得ません。今回の頭蓋骨の手術についても、今後ムスメの成長に伴い再び歪みが出てくる可能性が高いため、再度同様の処置を受けることになるかもしれないと言われています。

集中治療室で、太い管を口から胃に通されてお顔まで歪んじゃっているぐらいなのに、私に向かって健気に笑おうとしているムスメを見て、「これでもうおしまいよ!」と言ってあげられないことが本当に不憫でした。だから今はもう、持てる限りの愛情をこれでもかと注いであげたい。抱きしめて、キスをして、ずっと体中撫でていてあげたい。離れていなければならない時のために、ママの温もりを覚えておいてもらわないと。

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恐らく2,3週間後には、お口のカテーテルを外せるようになるために、胃ろうの手術となるはずです。ムスメと一緒の人生は、一つ一つの問題解決に臨み続けるマラソンのようで、時には息が苦しくなりますが、まだ立ち止まるわけにはいきません。何より、小さなこの子がこんなにも頑張っているのですから。

さあ、また一緒に手を繋いで、次の坂を乗り越えないと。