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ブエノスアイレス上京報告2

ブエノス上京報告、ここからは各専門医の診察結果です(長いです・・)。

遺伝子疾患の専門医(genetista):

やはり従妹にアペール症の子がいたダーリンの家系から来ているのはほぼ確実だそうです。仮にそうだとすると、今後ダーリンの弟のルーカスや息子のセドリックが子供を持とうとする時にも高いリスクがあるため、まずはムスメとダーリンの遺伝子検査を勧められました。ところがこの検査、極めて高額であると同時にアルゼンチン国内では出来ない可能性が高く、国外へ頼む場合は保険会社がカバーしてくれないかもしれないとのことで、まずは医師が検査機関を調べた上で連絡をくれることになりました。

神経科医(neurologa):

ムスメの脳には左脳と右脳を繋ぐ橋が見られないこと、一部ニューロンが死んでいる部分があることを指摘されましたが、いずれも学習と経験によって他の細胞、組織がその機能を補うことができるそうで、早期教育が極めて重要であると言われました。もちろん知的障害を持つ可能性もあり、今後の成長を注意深く見守る必要があります。

外傷の専門医(traumatologo):

ムスメの動かない肘はアペール症にはほとんど見られないもので珍しいケースで、残念ながら肘の骨が完全に癒着しているため関節がなく、生涯動かないだろうと診断されてしまいました。実は同様の診断を今年の1月に他の医師からも受けていたため、ああもう諦めるしかないのか・・・と一度は気落ちしたのですが、自宅に戻ってからこの症状(アルトログリポージス)に強いと聞く別の専門医を尋ねたところ、左肘に関しては骨の癒着は見られず若干の関節が観察できることから、リハビリの続行を勧められ、今は少しだけ気を取り直しました。

多くの医師もダーリンも、まずは頭蓋骨と呼吸の問題、そして発話が出来ることや口からご飯が食べられることが一番重要と言いますし、私ももちろんそう思うのですが、これらの問題が時間と手術が解決してくれる可能性が高いのに比べ、実は肘の問題は解決できない可能性の方が高く、私の中ではかなりの懸念事項になっています。

気管の内視鏡専門医(endoscopia respiratoria):

この診断結果が今回一番の良い知らせでした。これまでは、ぺちゃんこのお鼻を持ち上げる手術をしない限りは鼻から呼吸ができない→気管カニューレが取れない→喉についたカニューレから呼吸しているため声帯に空気が通らず声が聞こえない、と言われてきましたが、生後3カ月を過ぎたら一般的に赤ちゃんは口からも呼吸ができるようになるため(生後3カ月まではお口はミルクを飲むため専用で口呼吸ができないんだそうです)、たとえ鼻が通らなかったとしても気管カニューレを取る可能性があるとのこと!!

CTスキャンの結果を見て、ムスメに簡単な検査をした医師は、ムスメの場合カニューレが取れる可能性はとても高いと判断し、6月にでも内視鏡検査をしましょうと提案してくれました。もっとも、内視鏡検査をして気管に問題がないことが確認されてからも、そこから実際に気管カニューレを取るまでのプロセスは長いですし、今後控えているだろう大手術を考えると、気管カニューレを付けていた方が長時間の手術中の気道確保になり安全なため、しばらくは取らずにいることになるとは思います。

ただし、今現在付けているカニューレでは息を吸うのも吐くのもカニューレからで、このため声も出せませんが、別のタイプのカニューレには息を吸うのはカニューレからでも吐くのは口から、とできるものがあり、これに交換できれば発話訓練も開始することができます。これがカニューレを外す長いプロセスの第一歩ともなり、手術等の予定と並行して実施できるそうで、次回の内視鏡検査で問題がなければ、恐らくこの別タイプのカニューレに交換することになります。

顔面専門の整形外科医(cirujano maxilofacial):

なんと保険会社と医師間の連絡ミスで不在中だったため、診てもらえませんでした。

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胃ろうの食事風景。

当初はなかなか慣れませんでしたが、体重も順調に増え

おかげで力も強くなり、手術をして良かったと思います。

ここからはガラハム病院の医師達による診断です。

眼科医(oftalmologa):

ムスメの斜視はほとんどのアペール症の子供にみられるもので、重要な全ての手術が終わった後に手術で治しましょうと言われました。曰く、それぞれの目は6つの筋肉によって動いているそうですが、ムスメの場合はその内の一つが上手く機能しておらず、それが他の5つの動きにも影響を与えて動作が不自然になっているのだそうです。幸いCTを見る限り娘の目の周りには6つの筋肉全てが揃っているため、手術で治すことが可能とのことでした。

ちなみに、ムスメの斜視は上や左右を見た時にどちらかの目がよそを向いてしまうのですが、この時それぞれの目が別々の景色を見ているため、脳が混乱を避けて一方のビジョンを消去しているんだそうです(なるほど~)。つまり、その瞬間目は3Dでは物を捉えていないため、脳へのインプットにも影響が出ているらしく、斜視の治療は美容的意味合いよりもむしろそちらの問題解消のため推奨するとのことでした。

整形外科医(cirujano plastico)::

指の切り離し手術は、指を自由にしてあげることで手の機能が向上し、可能な動作が増えることで脳にポジティブな影響を与えるため、早くに行うことを進められました。が、アペールの子供たちには頭蓋骨の問題や顔面&呼吸の障害など圧倒的に優先順位の高い課題があるため、やはりそちら優先となります。

衝撃的だったのは、指を切り離す際、最終的に何本の指に切り離せるかは手術室の中で実際に診てみるまで分からないのだと初めて知らされたこと。と言うのも、くっついている指の骨を切り離す場合、いずれかの指が極端に細くなってしまうケースがあり、そこを無理に離すと非常に脆い指になってしまうため、切り離さないという判断もあるからだそうです。更に、全ての指に通せるだけの血管がきちんと揃っているかどうかにもよるとのことでした・・・(これって日本で手術を受けても同じなんでしょうか??)。

神経外科医(neurocirujana):

この最終日の診察が、突然頭上から降って来た爆弾のような大打撃となりました。

まずムスメのことを一目見るなり口にした言葉が、「この子、まだ一度も手術受けてないの?」でした。曰く、後頭部がへっ込み過ぎているし、額も眼窩も低いために目も飛び出している。何より顔側面(こめかみの辺り)が横に出っ張っているのが良くない。これは脳がスペースを求めてもがいている証拠、と・・・。

確かにムスメのこめかみはここ数カ月で横にぐんぐん張り出して来ていました。それが心配で私達も昨年の頭蓋骨手術の執刀医である神経外科のドクターSに会いに行き、相談した結果CTスキャンを撮ったばかりでした。でも、後頭部にはまだ骨の隙間がある(だから脳が成長するスペースがある)し、顔側面は変形しつつあるけれど眼窩の形も崩れていないし、今のところ心配ないから様子見を見ようというSの意見を聞いて安心していたのです。

しかし今回ガラハムで診てくれた女医のZは実はドクターSの恩師であり、アペール症児の手術に関しては経験もずっと豊富。その彼女が「なぜSは私が教えたことをやっていないのか。この程度の手術じゃ全然足りない。なぜ整形外科医と一緒に手術しなかったのかも分からない。」と憤慨しているのを見て、私達も愕然としたのです。

その後、CTスキャンの結果を医師チームの仲間と診たZには、「脳が場所を求めて苦しんでいる。後頭部を外に出す手術と、額と眼窩を前に出す骨延長器を使った手術を早急にする必要がある。手術は神経外科医と整形外科医が一緒にすることになり、もう患者も大きいことから複数の個所を同時に治していかないといけない(手術が遅れると脳にダメージをあたえる)ため、複雑で大掛かりなことになるだろう」と宣告されました。

この時点で私もダーリンも血の気が引いて身動きできず・・・。しかもこのZとの面会、アペール症協会の方が無理をお願いしてくれての実現で、場所も診察室ですらなくガラハム病院のZのオフィスで行われ、本来は患者を診ない日となっていたZが相当な駆け足でコメントしてくれたため、最終的に私達も知りたいこと、聞きたいこと、確認したいことの殆どが分からないまま幕を引かれて放りだされた感じで、何とも後味の悪いままブエノスを去ることになったのでした。

これまでドクターSの手術には心から感謝してきましたし、医師としてだけでなく人間的にも素晴らしいSのことを信頼してきた私達にとって、このZのネガティブなコメント全てがショックでした。しかもZは、アペール症の手術に関してラテンアメリカ全土で最も権威のある外科医Dr.D(アルゼンチン人で既に第一線からは引退している)の右腕として長年活躍してきた医者なだけに、その意見は決して無視できるものではありません。

今後ムスメをどこで診てもらうのか、誰に手術をお願いすべきか、そしてどれだけ早急に手術をしなければならないのかなどを大急ぎで調べる必要が出てきました。ムスメをブエノスアイレスで手術させる可能性も限りなく高くなり、私とダーリンがぼんやりとイメージしていた今後の予定、“様子を診て近い将来ドクターSに私達の街で手術をしてもらう”は音を立てて崩れ去ったと言えるでしょう。

今回のブエノス上京の総括は、昨年の大手術(だと思っていた)を終え、ひとまず山場を乗り越え、向こう数年間は頭の手術など大掛かりなことをせずとも大丈夫だと安心していたのは実は大間違いだったと言うことです。ムスメの抱える問題の真の深刻さ、複雑さ、難しさを初めて思い知らされ、課題の全体像がぼんやりながらもようやく見えて、身も心も引き締まるような覚悟を迫られた気分です。一度はかなり落ち込みましたが、それでも真実が知りたくてブエノスまで行ったのだし、この期に知るべきことを知ることができてとても良かった。今はただ、これが手遅れじゃなければいいと心から祈るばかりです。

今回もう一つ大きな経験となったのは、アペール症協会の人を通じて他のアペールのお子さんを持つご家族とも知り合えたことでした。私達のブエノス上京中ちょうどガラハムに来ていた2歳の女の子Dとそのご両親(パンパ出身)、同じくガラハムに入院中だった7カ月のSとそのお父さんH(ミシオネス出身)、そしてブエノス在住の協会秘書で今回私達をフルサポートしてくれたDとその12歳の娘さんFと、病院の中庭で初めて会いました。

それぞれが予定の合間を縫っての会合だったので1時間ほどしかいられませんでしたが、子供たちの明るい笑顔と、なんとも朗らか大らかな親御さん達の陽気な雰囲気にどれだけ励まされたか分かりません。どんなに辛い瞬間があっても、大掛かりな手術や治療があっても、アペールの子達は弱音を吐かずに頑張って乗り切る強い子達よ、と皆が口を揃えて言っていたのも印象的でした。そして、一つ一つの課題を乗り越えて必ず良くなっていくから、と。

そんな皆の笑顔にムスメの未来を重ねながら、帰路についた私達でした。

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ホテルの部屋にて。

初めての旅行、楽しかったね。無事に終わって母はほっとしているよ~!