アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

そして二度目の

引っ越しが終わって1週間も経たない6月26日から、ブエノスアイレスへ5泊上京してきました。目的はムスメの気管の内視鏡検査と、ガラハム病院での頭蓋骨手術の相談でした。

内視鏡検査の結果は良好で、口から気管にかけて問題らしき問題は見当たりませんでした。こうなると、未だ鼻からの呼吸は困難ではあるものの、口からの呼吸だけでカバーできると判断できるため、喉についている気管カニューレを塞ぐプロセスを開始できることになります。

その第一歩がスピーキングバルブと呼ばれるフィルターをカニューレに取りつけることです。このフィルターを通してムスメは喉元のカニューレからこれまで通り息を吸うことができますが、吐くことができなくなります。肺に取り込まれた空気をえいっ気道の上の方に押し上げ、口から吐くことにより声帯が震え、肉声が出るようになると言うわけです。

でもこれ、そんなに簡単なことではありません。

専門医立会のもと、ブエノスの病院で試してみましたが、吸った息をこれまで通りの方法では吐けなくなったムスメはパニックを起こし、また、カニューレで半分塞がった気道の隙間を縫って空気を上に持ち上げる方法も知らないため、思いっきり力んで息を吐き、カニューレに取りつけたフィルターをブンッとぶっとばしてしまいました。

本来ならもっと経口の小さいカニューレに取り変えて訓練を開始した方が、気道により隙間が取れて空気が簡単に口の方へ流れるそうですが、近く大手術を控えているムスメの場合、今使っている経口の大きいカニューレを使い続けた方が手術中の呼吸確保上安全なため、このスピーキングバルブを使った発話訓練はしばらく保留となりそうです。

そしてこの大手術、今回ガラハム病院へ行って専門医達と話し、正式に予定日が決まりした。私達が予想していたよりもずっと早い、今月の27日です。

今回、ブエノスアイレスに行くにあたって、実はもう一つ大切な予定が入っていました。それは、ガラハム病院のアペール症対策チームを組織し、30年間ラテンアメリカ全域のアペール症の子供を手術してきた第一人者、ドグリオッティ医師に会うことです。

既にガラハム病院は引退したこの白髪の小柄な老医師は、個人の診療所にて柔和な笑顔で私達を迎えてくれました。が、一度ムスメの手術歴や障害について話し始めると表情が険しくなり、最終的に言われたことは、「早期の再手術を」と言うことでした。

ドグリオッティ医師の診断結果は以下の通りです。

1.頭蓋骨の早期癒着と合指症のみの障害が一般的なアペール症にあって、顔面の著しい陥没とそれによる呼吸困難、嚥下障害、肩関節と肘の問題など多くの障害を併発しているムスメは、数少ない重度のケースである。

2.昨年受けた手術では脳の成長するスペースを確保しきれておらず、現時点で脳は圧迫されており、なるべく早期に後頭部と額部分の手術を行う必要がある。

3.肘の完全な固定は初めて目にする珍しいケースであり、両肘ともに関節がなく、生涯動かないと思われる。

また、アペールの子供の殆どが突然変異で生まれてくるのに対し、ムスメにはダーリンの家系に前例があり、この数少ない「前例があるケース」が「重度障害を持つケース」と一致する確率が高いのだそうです。

ドグリオッティ先生は、ガラハムの整形外科医で彼の右腕だったナダル女医を訪ねるようにと紹介状を書いてくれ、診断の内容にショックを受けてぼろぼろと涙を流す私の肩をバンバンと叩き、「ブエノスを去る前にまだまだやるべきことがあるぞ!しっかりして!」と

強い声で叱咤してくれました。

ムスメが体に障害を持って生れてきて以来、知能だけは守ってあげたいと思っていたのに、気がついたらこんなに危険なことになってしまっていたことが信じられませんでした。親の私が気付いてあげられなかったら誰が守ってあげられたんだろうと、自分を責めて責めて、その夜は眠れませんでした。私は本当にこの1年半、ムスメのためにできる限りのことをやってきたのだろうか、実はもっともっとできることがあったんじゃないだろうかと何度も考えました。

私達が住んでいる街がもっと田舎の村だったら、他に選択の余地なく生後すぐの時にガラハムへ連れて行っていたでしょうが、この街はアルゼンチンでも第3の都市と呼ばれており、それなりに評判の良い医師も多いことから街での手術を決めました。でも果たしてそれが良かったかどうか今では自信がありません。

ムスメの誕生後診てくれていた病院関係者は皆ムスメを可愛がってくれ、できる限りのことをしてくれたと今でも感謝していますが、同時に、アペール症という名前を「聞いたことがある」程度の知識しかありませんでした。反して、今回ドグリオッティ医師の診療所では誰もがムスメの手を見るなり「これはタイプ1の指ですね」と話していました。この知識、経験の差は考えてみたら当たり前のことで、それを去年の時点でなぜもっと強く認識しなかったのかと自分自身でも信じられない思いでした。

そしてガラハム病院のナダル医師を訪ねた際、この思いはより強くなりました。

ムスメを一目見たナダル医師は、その場で既に予定の入っていた手術を幾つかキャンセルし、今月27日のムスメの手術を即決したのです。こうして話しが早く進むことを有難いと思うと同時に、ここまで急を要するほどムスメの状態は深刻なのかとより大きな衝撃を受けました。

次回の手術は、①平らな後頭部を丸く切り開き、そこにバネを取りつけ、脳が自然に後頭部を外に押し出すのを待ち、1ヶ月後にバネを取り除く、②額部分を前面に出し、眼窩を持ち上げ、眼球がその下におさまるようにすると同時に脳の成長のためのスペースを確保する、そうです。

文字通りの大手術となるため、実際に二つのことが一つの手術で行えるかどうかは脳外科医のチームと相談し検討する必要があると言われました。また、例え一つの手術でやると決めた場合でも、ムスメの状態によっては途中で中止し、一端集中治療室へ入院させて1週間から10日ほど様子を見た上で再度手術を行い、全ての工程を終わらせることになるかもしれないとも。

今現在ムスメの頭はぺったんこで、横に広く縦に長いのですが、これも脳がスペースを求めてもがいているからだそうです。今回の手術で脳に必要な隙間を与えてあげれば、自然と頭も通常の形におさまっていくのだそうです。

また、今の状態が脳に悪影響を与えている可能性は否定できないともはっきりと言われました。これがこの先どのような形で現れるかは分かりませんが、今はやれることを全てやり、今後の経過を見守りましょうと・・・。

今となっては過去を振り返って悔むより、先を見て最善を尽くすことが必要なのでしょうが、今回ばかりは心の切り替えがとても難しく、今もどこかで自分を責める気持ちが強くあります。でも、今週の水曜日には手術前健診で再びブエノスに連れて行かねばならず、来週水曜日にはもう手術です。後悔している余裕なんてないのが現状です。

そして2度目の親子の試練。

何も知らずにご機嫌で遊ぶムスメの姿を見るのは辛いですが、心を強くして、ダーリンと力を合わせて、ムスメのよりよい明日のために親子三人頑張ってきます。

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祝なでしこジャパン優勝!

実はかなり上手にボールを蹴ります。

未来の”なでしこ”か?

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せっかく伸びた髪の毛ともまたバイバイだね。

早く手術が終わって一日も早くあんよができるようになりますように・・・。

またしばらくブログの更新が滞ると思いますが、無事の術後報告をどうぞ待っていてください。