アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

暑い師走

気がつくと1ヶ月も更新していませんでした。

しかも、2012年も残すところあと僅か!皆様いかがお過ごしですか?

日本は寒い師走の時期ですね。南半球のこちらでは、暑い暑い毎日が続いています。もう毎年のことですが、こうも暑いとクリスマスとか年末なんてことをすっかり忘れてしまいます。あれ~、今日って12月31日じゃん!なんてことにもなりかねない、そんな真夏の年越しが今年も近づいて来ました。

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夏の一日。親友Mとムスメと同い年のFちゃんと一緒に遊びに行った、お友達Cのお家には、半ブロックもある広~いお庭があって、とっても気持ちのいい午後を過ごしました。左がC,右がM。夏は夜8時でもまだまだ明るい!

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子供って面白~い!ムスメとFちゃん、しばらく仲良く遊んでいたのに、おもちゃを巡ってFがプリプリ怒りだし、最後には敷物の端っこに座りこんでしまいました(笑)。この微妙な距離。

更新を怠っていた1ヶ月間、ムスメの指について問い合わせてくださった方々、アドバイスをくださった日本のアペママさん達、本当にありがとうございます。そのムスメの指ですが、実は未だに開いたままの部分が1箇所あります・・・。それでも数日前、片手の包帯だけは取れ、久しぶりに直に手を握れた時には思わず感激して涙が出ました。

最初の手術から実に3ヶ月。ムスメもようやくおててが自由になったことが心底嬉しそうで、包帯の取れた手を自慢げに皆に見せたり、ひらひらと躍らせたり、私の手を以前のようにぎゅ~っと握ってきたりと満足げです。そんなムスメの様子を見てはたと気づきました。この子、これまでギプスや包帯を付けられ続けても、一度もぐずったり、怒ったり、取ろうとして包帯をいじったりしたことってなかったんですが、包帯が取れてこんなに嬉しそうってことは、当然本人も本当は嫌だったんだろうと・・・。今更そんなことに気づく私も遅いですが、ああ我慢強い子だなぁ、と改めて胸が熱くなった母なのでした。

残るは右手の人差し指のまた。ここの傷がまだ塞がりません。手術前にはまさかこんなに長引くことになるとは思っても見なかったこの手術。蓋を開けてみたら2012年の半分はこのテーマで占められました。それでもムスメが今日まで元気にしてくれていたことが救いでしたが、後半戦、正直横で見守っている私の方がしんどくなっていました。

そんな今日この頃、拙ブログにコメントをいただきました。「なぜ日本で治療に専念=ベストの選択をしなかったのですか」と。

本当にねぇ・・・実にまっとうなご質問です。

このコメントをいただいてから、改めてこの約3年間を冷静に振り返ってみたのですが、生後3ヶ月間は入院(その間に2度手術)、1歳に胃ろうの手術を受けるまでは、口にカテーテルをつけてほぼ24時間授乳機に繋がれ、ムスメの状態も極めて脆くて、ドアツードアで40時間もかかる日本への帰国なんて、選択肢として頭に浮かびすらしませんでした。

1歳3ヶ月頃にようやく首都のブエノスアイレスまで普通車で移動できるようになり(睡眠時の酸素が必要なくなったので救急車じゃなくても良くなった)、ガラハム病院で2度目の頭蓋骨の手術が緊急に必要と診断された時に初めて日本へ連れて帰ることを考えましたが、やはり地球の裏側からの長旅ができる状態とはとても思えませんでした。

もう一つ、ガラハム病院がアルゼンチン国内だけでなく、周辺国からも患者がやって来るアペール症(や他の頭蓋骨縫合早期癒合症)のデリバリーセンターとなっていて、毎週欠かさず2、3件の頭蓋骨延長手術を行っていたため、恐らく日本のどの病院もこれほどの数の症例を持ってはいないだろうと判断したこともあります。

日本のように快適な入院生活などありませんでしたし、恐らく日本の医療機関のように美容面にもさほど気を使ってはくれませんでしたから、広い意味では「ベストの選択」ではなかったのかもしれない、それでもガラハム病院の医師達の医療技術は確かでしたし、その結果には今でも満足しています。

でも、今回の指の手術を「比較的簡単なもの」と思い込み、R市の公立病院でやるという決断を下したことは大失敗だったと、今も尚、大後悔の嵐が吹き荒れております・・・。

そもそもここでやると決めたのは、高名な形成外科位であるT先生がいたからのこと。ところがこのT先生、1度目の手術が終わって以降全く姿を現さなくなりました(もっと難しいケースを担当していたそうで・・・)。術後の治療を続けてくれたのは二番手のM先生で、結局皮膚移植のための2度目の手術もこのM先生が執刀しました。

ここから私の不信感は一気に深まることに・・。なぜなら2度目の手術の前にもT先生に会いに行き、直々に手術の執刀をお願いし、OKとの回答をもらっていたからです。それなのに手術日当日T先生は姿を現さず、M先生が執刀。挙句にこのM先生も、術後2週間経ったころから診察に姿を現さなくなり(事故に遭って足を骨折したことが後に判明)、その結果、毎回診察日には別の医者がいて、それぞれが好き勝手なことを言う始末。

酷かったのは、抜糸後ぱっくりと皮膚が開いてしまった箇所があり、よく見ると肉に埋れて黒い糸の結び目が見つかった時のこと。それについて尋ねたところ、ある医者(名前も知らない)は「この糸は溶ける糸だから抜糸の必要なし」と言い、それを怪しく思った私が翌週の診察日にいた女医に再度同じことを尋ねると、「これは溶けない糸だからすぐに取らないと!」と言われ、その場で急遽抜糸に・・・。結局、抜糸した直後から傷が塞がり始めました。

こんな名前も名乗らない、どこの馬の骨かも分からない複数の医者が、患者のカルテすら持たずに「診察」しては、適当なことを無責任に言うだけの「病院」って一体ナンナンダ???と、この抜糸を巡ってのやりとりで遂に私もドカンと大爆発!!(小爆発は数限りなく起こしていましたが・・)次の指の手術は日本へ連れて帰って日本でやる!!!とダーリンに宣言するに至りました。

もともと来年あたり両親に会いにムスメを連れて日本へ行きたいと考えてはいたんです。ならばその機会を活かして手術できないか、と、こうして遂に日本で治療を受けさせることが現実味を帯びてきました。

でも、2歳10ヶ月で既に8回の手術を受けているムスメのこれまでの治療を全て日本でやるというのは、やっぱり無理だったと今改めて思います。手術の度にアルゼンチンと日本を往復するのは、距離的に遠すぎること、手術が頻繁過ぎることから物理的にも経済的にも不可能でしたし、それをやろうとしたならば生活基盤を日本へ移す必要があったでしょう。

でも、ダーリンはこちらの大学に行き、こちらで仕事をしています。日本へ連れて行ったらただの日本語のできないガイジンになってしまう彼の人生も考える必要がありました。そして何より、私たちにはセドリックがいます。セドリックを連れて日本で生活することは彼のお母さんが承知しませんし、そうなるとダーリンとセドリックが離れ離れになってしまう。これは100%あり得ない選択肢です。私とムスメだけが日本へ生活基盤を移すこともそう。

日本で治療に専念する。それが出来たならもちろんそれが一番いいだろうと、乱暴なアルゼンチン医療と約3年間付き合ってすっかり疲れ果てた今日この頃の私としては思いますけど。今でこそ命を落とすような危険はありませんが、生後直ぐには死にかけたこともあったし、そういう状況を自分の親兄弟がいない国でスペイン語を操って乗り越えて来て、なんだかエネルギーが尽き果てたと言うか・・・今回の指の手術にトドメを刺された気分です。

幸い、拙ブログを通じて知り合った日本のアペママさん達から、日本の医療機関や医療制度について色々と教えていただくことができ、なんとなく段取りのイメージが掴めてきました。時期的には来年の秋頃でしょうか。

まだ先のことですし、その頃にはムスメももっとちゃんと歩いてくれるようになっているでしょうが、今のところしょっちゅう転んではもの凄いタンコブを作るムスメと二人だけで、面倒なアメリカでの乗り換えをこなして長旅に耐える自信がないので、ダーリンを説得して行きだけでも付いてきてもらわないと!

さて、今月21日にはリハビリも保育園も終了となり、それ以降は1月末まで続く長い長い夏休みが始まります。これで私のわずかな自由時間はほぼ消滅することになるはずなので、どうやって仕事をしようか、洋裁をしようか、セントロまで買い物に出ようかと考えるだけで途方に暮れますが、少しずつ歩行距離を伸ばしているムスメを連れて、何か新しいアクティビティができないかちょっと考えてみます。

今週末はリハビリの忘年会とセドリックのローラースケートの発表会がありました。来週はムスメの保育園の発表会があり、その後は1年で最も重要なクリスマスがあります。ああ、皆のクリスマスプレゼントを買いに行かないと。年末には親友Mとその娘のFちゃんのダブル誕生日が控えているし、イベント盛りだくさんの12月。暑さに負けずに乗り切らなくちゃ!!

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友人の息子、S君の5歳の誕生日パーティー。専用の会場を貸切、食事や飲み物を用意して、掛かる経費は約35000円ほど!こちらのサラリーを考えると凄い出費ですが、中産階級以上の子供の誕生会はこれが定番。うちは向こう数年これやるつもりはないんですが・・・汗。ちなみに幼稚園の子を誘う場合は全員誘うのがルールです。

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じゃ~ん!!ムスメ生まれて初めてのフェイスペインティング!!嫌がるかと思いきや、素直に描かせてくれて、鏡を見てご満悦。ちなみにこの日ダーリンは残業で間に合わず。始終抱っこしてくれたのはMの旦那様(Fのパパ)でした。

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5歳児のパーティで唯一のちびっ子だったのがムスメとFの二人。最初はオミソ扱いだったけど、途中からこんな風に輪に入れてもらいました。ちょっとだけお姉さんになった気分?

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お誕生日恒例のサプライズバッグ(お菓子とか小さいおもちゃが入ってる)をもらって大興奮の図。何もかもが目新しいムスメの社会経験はこうして徐々に始まっているのでした