アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

カウンセリングという選択肢

アルゼンチンと言えば、タンゴとワイン。自然が好きな人ならば、パタゴニアのペンギンや氷河、イグアスの滝を思い出すかもしれません。でも、アルゼンチンにはあまり知られていないもう一つの大きな特徴があります。

それは、心理カウンセリングの社会的浸透率の高さです。

米国では「道を歩けば弁護士に当たる」と言うほど弁護士が多いそうですが、ここアルゼンチンでは「カウンセラーに当たる」ほど心理学に従事する人が多く、”心理カウンセラー大国”と言っても過言ではありません。

2006年にパレルモ大学が実施した調査によれば、アルゼンチンにおける心理士(=psicólogo)数比率は世界で最も多く、人口649人当たり心理士一人という割合は、アメリカの人口2,213人当たり心理士一人という値と比べても格段に高いことが分かります。首都のブエノスアイレスでは、心理士の診療所が密集しているお洒落なパレルモ地区のグエメス公園の周辺が”フロイト・ビレッジ”と呼ばれるほど、社会的認識度も高いです。

なぜアルゼンチンでこれほど心理学の分野が突出したレベルに至ったのか明確な原因は不明だそうですが、心理士達が現在のアルゼンチン社会において欠くことのできない重要な役割を担っていることは間違いありません。同調査によると、アルゼンチンのメンタル・ヘルス分野で働く専門職約4万人の80%が心理士で、残り20%が精神科医となりますが、私がこれからご紹介するのはこの”心理士”の方です。

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「ここブエノスアイレスでカウンセリングに通っていないなんて言ったら、まるでインテリじゃない奴と言わんばかりの顔されちゃうよの」と笑いながら皮肉な冗談を言ったのは、ブエノス在住の日系人の友人L。これ、あながちただの笑い話ではなく、実際にこんな場面があってもおかしくないほど、私の周りでも非常に多くの人がカウンセリングを受けることを習慣としています。

ざっと見渡しても、ムスメの送迎をしてくれているM、保育園の園長で私の友人でもあるN、リハビリセンターのディレクターのM、私の親友のM、ダーリンの親友のDなどなど、カウンセリングに通っている、もしくは通っていたという人が圧倒的多数。個人的にはこの現象、アルゼンチンの極めて高い離婚率と密接な関係があるように思いますが、「今が幸せ過ぎて戸惑ってしまう」なんて理由からもカウンセリングに通ったりするぐらいですから(笑)、動機は星の数ほどあるのでしょう。

こうして、仕事、恋愛、人間関係、夫婦関係、親子関係、学業、進路 etc. etc.、人生につき物のさまざまな悩みを心理士によるカウンセリングを通じて改善することは、もはやここでは当たり前のこと。子供が通う場合も多くあり、かく言う我が家のセドリックも、前の学校でいじめに遭い転校してからの数ヶ月間通っていました。

つまり、心理士は広く多くの一般的ニーズに対応するカウンセリングを行い、いわゆる精神病と診断された患者さんに対し医学的治療を行う精神科医とは大きく異なる存在なのです。

カウンセリング費用は現在の相場で45分2000円~4000円程度。保険会社に登録しているカウンセラーにかかれば費用は保険会社が負担してくれることもあり、経済的な心配することなくアクセスできるシステムもしっかりと構築されています。

通常は週に1度のセッションですが、問題の内容やかかる人の状態によって頻度は異なります。セッションはカウンセラーがもう必要ないと判断するまで続けるのが基本ですが、かかる本人の希望により途中で止めることももちろんできます。

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私が初めてカウンセリングを受けたのは、アルゼンチンに越してきて半年ぐらいのことでした。海外暮らしには慣れていたし、言葉の問題もなかったけれど、地方都市に住むのは今回が初めてで、仕事やアクティビティなどなかなか思うように見つからず、気持ちの晴れない時期があったのです。そんなある日、ダーリンに「カウンセリングを受けてみたら?」と言われたことがきっかけとなりました。

当初は「カウンセリングだなんて、病気でもあるまいし」と抵抗がありましたが、色々な人達と話すにつれて、それがここアルゼンチンでは当たり前の選択肢として存在すること、身近な人の多くが経験していることを知り興味が沸きました。映画でよく目にする”長椅子に横たわって受けるカウンセリング”にも心惹かれるところがあり(爆)、経験としてやってみる気になりました。

当時私があまり理解していなかったことで非常に重要なことが、カウンセラー探しです。今思うと当たり前ですが、自分に合ったカウンセラーを探すまで、誰もがそれなりに苦労します。人に紹介されたり勧められたりしたカウンセラーに2,3度カウンセリングを受け、合わないと思えばどんどん他の人に当たって、納得できるカウンセラーに出会うまで探すのが本来の道ですが、そんな事情もよく分からず、最初に知人に紹介してもらった若い女性カウンセラーとセッションを始めた私は、「なんだかな」と思いながらも結局その彼女と1年弱セッションを続けました。

始めた頃はどうしても「問題は己で解決すべきだ」とか「相談ごとなら友人にすればよい」と言った日本人的発想が強くあり、ここの人たちがお金まで払って赤の他人に悩みを話すのが理解できませんでしたが、日を追うごとにカウンセリングの日が楽しみになっている自分がいることに気がつきました。

それはなぜだったでしょう?

それはカウンセリングが、①自分のための時間、②自分のためのスペース、③自分のための人、が用意された自分だけのための空間だったからです。

友人に相談している時なら、「こんな話し聞かせちゃって悪いな」とか「時間取らせちゃって申し訳ない」なんて気遣いがどうしてもありますが、ここではそんな心配は一切不要。45分間、居心地の良い空間で、何の気兼ねもなく気の向くまま自分の話したいことを話し続けることができます。

話しを聞いてくれる相手は心理学のプロなので、優秀なカウンセラーなら適切な時に適切な問いかけや、ヒントになる引用などを紹介してくれ、セッションが終わって次のセッションまでの間、日常生活の中で多くの気づきがあって驚いたりします。また、話すテーマもカウンセラーが重要だと思うところに自然にポイントをおいてくれるため、無意識に深く分析することになります。

残念ながら私の最初のカウンセラーには恐らくそれほどの力はなかったものの、彼女を通じてアルゼンチン人の思考や習慣などをニュートラルな視点で知ることはできたように思いますし、良いストレス発散の場となったことは間違いありません。

なにしろ当時の私は、毎週末やって来る超わがまま坊主だったセドリック(当時5歳)との関係や、2ブロック先に住み、しょっちゅう顔を出す姑とのやり取りに少々疲弊していました。せっかく地球の裏側までやって来たのにダーリンとの蜜月の時など皆無で、いきなり”家族の一員”となったことにストレスを感じていたのです。そんな私にとって、”自分のための空間”ができたことは大きな安らぎとなり、時には防空壕に逃げ込むようにカウンセリングに向かったものです(笑)。

カウンセリングルームには例の素敵な長椅子もちゃんとあって、いつそこで映画みたいなカウンセリングを受けられるんだろうとドキドキしていましたが、ある日思い切って尋ねたところ、「それは症状の重い患者さんに使うものだからあなたには必要ないわ」と言われ、ものすごくがったりしたのでした(苦笑)。

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このカウンセラーとのセッションはムスメの出産を迎え止めました。

そしてムスメが生まれてから嵐のような1年間は、それこそ会う人会う人にカウンセリングを受けるよう勧められましたが、物理的に全く自分の時間が取れなかったし、やれ悩みを打ちあけるだの相談するだの言ってられない!と言うぐらいムスメのことで精一杯だったので、逆にカウンセリングも必要ないと感じていました。

「幸せ過ぎて怖い」という理由でカウンセリングに通うこの国の人からしたら、私のように自分の両親も姉妹もいない土地で、弱々しい障害児を抱えて入院・手術を繰り返し、24時間奮闘している人間がカウンセリングを受けないなんて、きっと信じられないことだったに違いありません。でも、あの時はそんな余裕もなかった。

だから二度目にカウンセリングを受けようと考えたのは、ムスメの重要な手術が一通り落ち着いて、ようやく安定した状態になり、保育園に通い出した昨年の3月のことでした。私にバイバイと笑顔で手を振り、元気に保育園に入っていくムスメを見て、これはそろそろ私自身の人生を再スタートさせる時期だぞ、と思ったからです。

あの時の私には、2年間の完全に麻痺した私生活から、一般的な社会生活を営み始めるためのリハビリが必要でしたし、ムスメの痛々しい治療を見続け、心に積もったストレスや心配、憂鬱などを消化することも無意識に求めていたのだと思います。

二度目のカウンセラーは50代の男性でした。わずかに交わした会話から、知的な人という印象は受けました。が、このカウンセラー、本当に全くカウンセリング中に口を開こうとせず、2ヶ月3ヶ月と経つうちに、なんだか独り言を言いに通っている脱力感に襲われました。

この頃、ムスメは週に3回だけ保育園に通っていましたが、実際は熱を出したり風邪を引いたりで休みがちでした。それでもわずかにできた自由時間に、町を一人で歩けるようになった感動は今も忘れません。カフェテリアに入って新聞を読みながらコーヒーを飲むことができる・・・そのあまりの感動に、「こんなことができたのって何年ぶり???人生って素晴らしいぃいぃい!!!」と大声で叫びたくなるほど嬉しかった(笑)。

と同時に、数年間放っておいた自分自身のケアもしなければなりませんでした。この歳になってマンモグラフィーも子宮がん健診もできていなかったからです。そうした健診、検査や棚上げにしていた手続きなどを始めたら、週に2,3度朝だけの自由時間などすぐに予定で埋まってしまったので、3ヶ月ほどでカウンセリングに行くのをやめました。

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あれから1年。今、3人目のカウンセラーとセッションをしています。

実は昨年9月のムスメの指の手術以降、傷がふさがらず長いこと痛い思いをしたムスメにトラウマが残ったように見えたため、リハビリセンターに常駐しているカウンセラーに診て欲しいとお願いしたのです。カウンセラーのCは30歳の女性。通常はセンターに通う患者さんのリハビリを担当していますが、ムスメのように患者本人が幼い場合、親の精神的なケアを通じて子供の精神状態を改善するとのことで、私との面談がありました。

Cからは、ムスメはいたって健康と診断されました。むしろ、昨年の治療の経緯を説明しながらボロ泣きしてしまった私の方こそ、積もり積もった不安や憂鬱を取り払うことが必要と言われ、セッションを始めるに至りました。2ヶ月ほど経った頃に続けたいかどうか尋ねられ、Cがとても優秀なカウンセラーで、私自身の長年の課題に取り組むセッションを彼女と続けてみたいと思ったことから継続を決めました。

私自身の課題が何かはナイショですが(笑)、ずーっと長い間知りたいと思い続けてきた自分自身の「謎」の解明、というところでしょうか。

このCとセッションを始めてから記憶の彼方にあった色々なことを思い出し、考え、関連付け、分析し、驚くような発見が沢山がありました。私の場合、カウンセリングを開始すると同時にいつも沢山の夢を見ます。どの夢にもきちんと意味やメッセージがあり、とても象徴的で面白いのですが、今回Cと始めてからの夢は特に凄かった・・・(オバマ大統領とサルサを踊っている夢とかですね・・・)。もしかすると見落としていたかもしれないメッセージもCがきちんとキャッチしてくれるので、気づかされる事の多さと重さに驚きました。

大抵こうした夢は数週間経つと見なくなるか、見ても朝になると覚えていなくなります。それは今回も同じでしたが、セッションが終わって次のセッションまでの1週間、気づくことが沢山あり、それを翌週Cに報告するたびに「あなたとワークするのは本当に楽しい」と彼女の方が感激してくれます。

これまでカウンセリングにかかってこれほど多くのことを気づかせてもらったことがなかったので、私もまた少しずつ軽くなっていく自分の心の変化に驚くと共に、こうしたサービスがストレスフルな社会に生きる日本の人々に広く浸透し、不当な偏見や経済的に重い負担なく、自由にアクセスできるものになれば良いのにと切実に思うようになりました。

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私が中南米へ飛び出した10数年前、パニック障害や自律神経失調症で苦しんだ人々が身近に何人もいました。30歳以上、独身、そして活発で明るく、責任感の強い女性達ばかりでした。私は、中南米での生活を通じ外から日本社会を見る機会を得て、なぜ彼女達がそうした症状に苦しまなければならなかったのか、ぼんやりながら見えたように思います。

日本人は本当に生真面目で、誠実で、責任感が強く、他者への気遣いができる。社会も厳格で、道徳、正義がきちんと存在する。私達が当たり前だと思っているそんな国が、本当は世界にほんの少ししかないことを、一体どれだけの人が知っているでしょう。海外に長く暮らせば暮らすほど、自分が日本人であることをますます誇りに思うし、そんな風に感じている海外在住の日本人も多く目にします。だって、日本人って本当に特別なんですもの。

でも同時に、そんな日本社会でまっとうに生きることはとても厳しいと思う。海外にいるとよく、「逞しい、すごいね」なんて何の理由もなく褒めていただくことがありますが、私からしたらあの日本社会で、会社でも家庭でも社会でも責任を果してしっかり生活している人達の方が何倍も凄いと思う。特に職場でも責任の重い立場にある女性、家庭でも母業に余念のない女性、そして、いつも厳しい社会の目に晒されて、服装にも髪型にもきちんと気をつけている日本の女性達を心から尊敬します。

だからこそ、そんな人々が気軽に足を運べる「カウンセリングという選択肢」があったら、日々のストレスや疲労が少しでも和らぐのではないか、とも思います。毎日が綱渡りみたいな忙しさで、時間に押し流されてしまう生活の中、週に一度だけでも「自分の時間と空間と話を聞いてくれる相手がいる」ことで、ほんの少しでも立ち止まれて一息つける、自分のことや取り巻く環境について冷静に考え判断する時間を持てる、そんな瞬間があってもいいんじゃないかと。

海外にいても耳に届く日本の無差別殺傷事件や子供を狙った犯罪なども、カウンセリングがもっと社会に浸透したなら減少するんじゃないかと常々思っていました。生き方のバリエーションが許されにくい社会で、敷かれたレールからそれてしまった人、社会や現実に上手く対応できずに閉じこもってしまった人、人付き合いが苦手で話す相手のいない人にとっても、カウンセリングが一つの救いになるんじゃないか。あの時、誰かが話しを聞いてあげていたら、と言う後悔がなくなるように。

何でも自力で解決することが美徳という、自分に厳しい日本人の姿勢は潔いと同時に、時には厳し過ぎてしまう気がします。長い中南米暮らしの中で、こちらのユルさに救われることしばしばの私としては、もう少し自分に優しく、他人にも優しく、良い意味で自分にユルく、他人にもユルく生きる心地良さが日本社会にあってもいいのになぁ、と正直思ったりします。

頑張る日本の人達に、いつの日か「カウンセリングという選択肢」が生まれて、自分をもっともっと労わってあげられる環境が整うことを地球の裏側から願いつつ、アルゼンチンの良いところだと私が信じているカウンセリングについてのご紹介でした。

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すっかり大きく育った我が家のカラー。真冬の庭に綺麗に咲いています。