障害児を育てる、ということ
こちらアルゼンチンのR市は連日35度を超えるハードな夏です。なんでも43年ぶりの猛暑だそうで、友人一同、これまで経験したことのない暑さに悲鳴を上げています。その上、一斉にかけるクーラーのせいで電力が不足し、頻繁に停電を起こしているあたりがまだまだ途上国。私達の住む地区でも、なんとクリスマス24日の朝方2時から午後3時半まで13時間半もの間停電し、クリスマス用食材がいたむんじゃないかと冷や冷やしました。外は気温40度。クーラーも扇風機も使えないだけじゃなく、虫除けベープマットも使えないものだから、網戸のない我が家は地獄と化しました。
この日は川沿いにある国旗モニュメントへ。ここがR市一番の観光スポット。
先日はアルゼンチンR市のパラナ川でピラニアが人を襲って怪我をさせたニュースは日本でも報道され、心配した両親からも問い合わせがありました。遊泳客を襲ったのは実はピラニアではなく、パロメータと呼ばれる魚で、普段からパラナ川に生息しています。常温では大人しい魚ですが、暑さによって獰猛になるため、この夏の猛暑で今回の事故が起きた模様。恐ろしい!
モニュメント屋上の展望台から見下ろしたパラナ川。川床が泥のため水が茶色いのが特徴。だからここの子供達は川の絵を描く時、茶色で塗ります(笑)。
そんな酷暑の中、ムスメの1ヵ月半の夏休みが続いています。他所のお子さんたちの多くはサマースクールに行くので、お母さん達も午前中3時間ぐらいは自分の時間が取れるようですが、ムスメの場合は付き添いさんが夏休みをとっているためスクールに通えず、1ヶ月間ほど私と一緒に自宅で過ごしていました。日中は日差しが凄くて外に連れていくこともできず、毎日私とだけ遊ぶ生活では退屈だろうなぁと可哀想にも思いましたし、実際遊ばせるネタも尽きてきて、私にとってもかなり厳しい日々になっていました。
モニュメントの後に向かったのは・・こちら↓。
大好きな回転木馬。4回も回ってましたよ、このお方。
そこで、私自身が付き添いとなって保育園のサマースクールに行かせてみようかと相談したところ、保育園の園長で私の友人でもあるNが毎朝8時半に車で一緒に連れて行ってくれることになりました。結果、久しぶりの保育園で馴染みのお友達と一緒に遊べて、ムスメも大満足。午前中は皆と過ごし、お昼に自宅に戻って昼食を食べたらお昼寝し、夕方起きてきておやつを食べる頃にはパパが帰ってくるので、ネタの尽きた私も間が持てて大助かりという生活パターンができました。ほっ・・・。これで何とか2月の新学期まで過ごせそう。
左は保育園でお絵かき中。右は保育園の中庭で水遊び(を眺める図)。濡れた床がすべって怖いようで超消極的。
そうこうする内に近づいてきたムスメの4回目の誕生日を目前に、実は先日かなり凹む経験をしました。それはクラスメートIちゃんのお誕生日パーティでのこと。こちらの典型的なバースデーパーティと言えば、パーティ会場を貸し切って行われるもの(すっごく大掛かり)。Iちゃんのパーティも綺麗なアンティークの館を借り切ってのガーデニングパーティでした。到着した子供たちは連れ立って庭の遊具で遊び、お母さんたちは綺麗にセッティングされたテーブルでくつろぎ、ビールを片手に談笑、というのがお決まりのパターン。
でも、我が家はムスメを一人で遊ばせておくわけにはいかないため(どつかれて直ぐに転んでしまう)、付き添って行った私は数時間もの間ムスメと共に走り回ったり、トランポリンで飛び跳ねたり・・・。その日は気温40度ぐらいの日で、私の洋服はアッという間に絞れるほど汗でぐっしょりに・・・!!ムスメが座って休めば、隣にしゃがんでお菓子を口に運んであげたり(一人では肘が曲がらず食べられないため)、ジュースを飲ませてあげたりしなくちゃならないため、私が椅子に座って冷たいものを一杯飲む間も、何かを摘む暇も、他のお母さん達とおしゃべりする間もないまま時は過ぎていったのでした。やっぱり肘が曲がらない障害はものすごく不便。
そもそも誰かのお誕生日に連れて行く時はダーリンと共に参加し、交代しながらムスメの面倒を見るのがいつものパターンだったのに、この日はダーリンが行きたがらなかったためにこんな酷い目にあったしまったんですが、でもそれ以前に、ずっと付き添いの必要なムスメと、自由気ままに遊ぶ他のお子さんたちの“違い“、それを優雅に見守る他のお母さん達と、汗まみれでムスメの手を引く自分の”違い”を目の当たりにしてなんだかものすごく落ち込みました。
おまけに、子供たちの中にはムスメのことを知らないIちゃんの親戚のお子さんなんかもいて、子供用スペースでムスメと同じテーブルに着いた見知らぬ女の子が「この子と一緒に座るのは嫌」と言って泣き出し、困ったお母さんが隣のテーブルに座らせたものの、しつこくムスメを振り返っては「あの子がこっちを見ている」と言っては泣く場面に出くわし、正直これもかなり凹みました。ムスメが座ったテーブルからは段々子供たちが席を立つようになってしまい、取り残されたムスメが席を立った最後の女の子に「ここに座って」と催促して隣の椅子を指し示しているのを見た時には、胸が張り裂ける想いでした。
こうした場面には、きっとこれから何度も出くわすことでしょう。そしてこの先、ムスメ本人も今以上に全てを理解して傷つくことでしょう。そんな時、私はどうしてあげられるんだろう。きっと私の方が泣き出したくなっていては駄目なんだろう、もっと毅然とした態度で、でも他の子供たちを許してあげる大らかさを持っていなければいけないんだろう。どんなことがあっても、誰よりもムスメを愛していることを伝え、ムスメを愛している人が沢山いることを思い出せてあげなくちゃいけないんだろう。でも、それは今の私にはとても難しいことのように思えます。
障害児の親をやるのは、他人が思うほど不幸でもなんでもない、と思ってきました。大変だけれど、子育てとはいずれにしても大変なものなのだろう、と。自宅にいればムスメと一緒にいてとても幸せ。馴染みの友人たちといてもそう。でも、こうして一歩“外の世界”に出て、“知らない人達”と交わると、途端に辛い現実を見せ付けられて深く傷ついてしまう。ならば顔馴染みの世界、限られた小さい輪の中で育ててあげた方が私もムスメも傷つかなくていいのかな、と考えたりしました。でも、それではムスメの世界を狭めてしまうことにもなる。
正直、今の時点ではどんな生き方、育て方をしていくべきなのか、私には分かりません。ムスメが大きくなるにしたがって、ムスメが決めていく部分もあるのかもしれません。でも、あの誕生パーティを境に一つだけはっきり分かったことは、私達は"違うんだ“ということであり、”違う“ことを覚悟して生きていかなければならないのだ、ということでした。
こうして明日、愛するムスメは4歳の誕生日を迎えます。