アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

日本滞在その1.~旅編~

日本から戻ってからの2週間は、荷解きや方々への挨拶周りでバタバタと過ぎました。ムスメは来年からプレスクールに通い始めるため、この時期は学校探しもあります。連日外出が続いていましたが、昨日になってやっと午前中、リビングの大きな窓の前に座って庭を眺めながら一人ゆっくりコーヒーを飲む時間が取れました。そこでようやく「我が家に帰ってきたなぁ~」としみじみ。

この半年はやはり非常事態だったのだと改めて思うのは、好きな音楽をかけたり、お気に入りの場所に陣取ってお茶を飲んだり、寝る前に本を読んだりするのが久しぶりだったから。日本にいても病院にいてもできそうなささやかなことも、気持ちの余裕がなくて、なかなかできなかったんです。

ささやかなことと言えば、前に買ってあったドアノブを思い出して玄関の家具につけてみました。3つの小さなドアノブ、でもなんだかとっても大きな変化のような気がして新鮮でした。我が家には私がメキシコに住んでいたころ惚れ込んで買い集めたメキシコ雑貨が幾つかあって、このドアノブも少しテイストが似ています。

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庭ではミルクジャスミンが花を咲かせました。去年植えた時にはまだまだ小さかった苗も、だいぶ背が伸びて存在感を増しました。近くによると小さな花たちがうっとりする芳香を放っています。

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庭に出たついでにオレガノを摘んで、久しぶりに生地から練ってピザを作りました。大好きなKevin Johansenの声に癒されながらキッチンに立つことにこの上ない幸せを感じます。

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あまりに盛り沢山の日本滞在だったので、頭を整理するためにもテーマごとに振り返ってみようかと思います。

まずは《旅編》から。

地球を半周するとにかく長い旅でした。今回は使いなれたアメリカ経由ではなく初めての中東周り、カタール航空のドーハ経由を使いました。このルートはブエノスアイレスを出て3時間後にサンパウロで一度給油(機内待機)、その後15時間フライトしてカタールへ向かいます。その後、ドーハから日本まで10時間フライトして成田に着くのですが、やはり最大の山場はこのブエノス→ドーハ間の18時間フライト。

日本に向かう場合、まずこの長い長いフライトが最初に当たるので、ムスメも18時間フライトの半分は寝てくれました。残る半分は・・何をして過ごしたのかもうはっきり思い出せない・・・(汗)。映画などまだちゃんと見てくれないので、座席前の画面で地図やらゲームの画面やらを見せたり、お絵かきしたり、シールを貼ったり、I padに予めダウンロードしておいたポコジョを見せたり、機内を散歩したり、おやつを食べさせたり・・できることは全てやった感じです。

長いフライト中、ムスメはかなり大人しくいい子にしてくれていましたが、眠くなった時は寝心地が悪くて泣きました。周りを見渡すと、よそのお子さんたちは椅子に座ったままでも、両腕で枕を抱いたりして頭を支えながら上手に寝ていましたが、うちの子はなにせ肘が曲がらないもので、心地の良い体勢を取ることができずにぎこちなく座ったままで、どうしても寝付けない。そこで座席のアームを持ち上げて、私の膝の上に頭を、ダーリンの膝の上に足を乗せて横に寝かせてあげたら、ようやく寝息を立て始めました。

カタール航空は今世界で最もサービスの良い航空会社の一つだそうで、エコノミーなのにアメニティグッズも充実しているし、食事も何を食べてもとても美味しかったです。アルコール類も無料だし、間食として各種おやつやアイスクリームなどのサービスもあり、日本までの28時間フライトの末にはほとんど食い倒れ状態。食事にGODIVAのチョコレートがついてきたのには仰天しました(笑)。

カタールのドーハ空港もまた豪華で、免税店が充実しているだけでなく、寝椅子がずらりと並べられたレストルームなども無料で使え、痒いところに手の届くサービスが行き届いていました。行き交う人々がターバンを巻いていたり、免税店で沢山のラクダグッズが売られていたりするのになんだか興奮しちゃって(笑)、ああ中東に来たのだなぁと感慨深いものがありました。

でも、帰りの日本→アルゼンチンの旅程は行きよりもずっときつかった。そもそもドーハでの待ち時間が行きの3時間に比べ5時間と長いし、更にドーハまでの最初の10時間フライトでムスメががっつり寝てしまったもので、次の18時間フライトが永遠かと思うほど耐えがたかった!乗っても乗っても乗ってもまだ着かない。あと14時間、11時間、8時間、5時間とカウントダウンするのに疲れ、退屈したムスメが辛そうにしていることに疲れ、途方に暮れました。こうなるともう次々に出てくる機内食も喉を通らず、、、。

ドーハでの待ち時間も、18時間フライトも、同行してくれたお義兄さんがいなかったら本当にどうしていたのかと思います。先述したとおり、ムスメは座席3席使ってやっと眠れる状態だったし、私と二人だけだったらまともに寝ることすらできなかったでしょう。

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こうして乗り超えた長旅もさることながら、告白すると、乗る前までも結構大変でした。と言うのも、ムスメは気管切開している障害児。飛行機に乗せてもらうには英語の医師の診断書と、航空会社の用意したフォーマットを医師に記入してもらい提出することが条件となったからです。

予めそうした事態を見越していたので、アルゼンチンから出国する際にはこちらから旅行代理店に何度も確認の連絡を入れましたが、「なんの書類も必要なし」との回答。おかしいな、、と思っていたところ、遂に出発2日前になって急遽「医師の英文診断書とフォーマットが必要。今日中に提出してくれなければ飛行機には乗せないと航空会社が言っている」と連絡が・・・!この絵に描いたようなラテンアメリカ的展開には久々にぶち切れました。だ・か・ら・ずっと前から確認してたじゃないかーーー!!!。

この日、気難しいムスメの主治医はいつもとは別のクリニックにいたし、会ってもらうのに予約すら取っていなかったけれど、何とか無理を言って診断書を書いてもらえないかと押しかけて打診したところ、突然のお願いに怒り心頭に達した医者に散々罵倒される羽目に・・・。「こんなにぎりぎりになって突然英文の診断書はないだろう」「失礼にもほどがある」「申し訳ないなんて口先だけの謝罪など聞きたくもない」とボロクソに言われ、私のせいじゃないのに、、、と私も涙を堪えて(泣いちゃったケド)悔しさに唇をかみ締めることに。

英語の苦手な主治医は急に診断書を求められてあたふたしたのが癪に障ったようです。でもねぇ、、、困った患者の家族を捕まえてあそこまでクソミソに暴言吐かなくても、と人格を疑っちゃいました。ここら辺がお国柄?日本じゃあり得ない展開だらけで、シュールですらあります。まあ以前から態度のいただけない医者だったので、これを機に主治医を変えようとダーリンと決意した次第です。

こうして、出発直前に大騒ぎして用意しなくちゃいけなかった書類ですが、事前に航空会社にファックスしたところ、後はもう空港でもノーチェック。逆に、障害者だからという配慮も何も全くなく、ドーハ→東京間の座席にいたってはなんとバラバラに用意されていて憤慨しました。

こんな経験を既にしていたので、日本からアルゼンチンへ帰るための準備はかなり前から念入りに進めました。日本のカタール航空オフィスはアルゼンチンのそれとは比べ物にならないぐらいきちんと対応してくれたし、必要書類も事前に郵送してくれました。ただ、、、日本で英文の診断書と指定フォーマットを記入してもらうためには、15000円もの費用が掛かりました。アルゼンチンでは罵倒されたけど無料だったものが、日本ではこのお値段。うーーーーーん、どっちもどっちだなぁ、、、。

障害児というハンディキャッパーにこれほど高額な自己負担を課すというのが社会の流れと逆行している気がして、カタール航空の日本オフィスにも問い合わせしましたが、いずれにせよこれがないと乗せられない、との回答。「お客様の安全のためです」と言われても、私達親はムスメを既に一度飛行機に乗せて安全だと分かっているのに、、、と釈然とせず。ムスメの安全のため、というよりも、航空会社の安全のためなんじゃないですか、と言いかけて止めました。誠意を持って対応してくれた担当の方に言っても仕方がないと思ったから。

いずれにせよ今回の経験を経て、たとえ両親に何かがあって急ぎ日本へ駆けつけなければならないことがあったとしても、ムスメを同行する以上、チケットを買って飛行機に飛び乗ることはできないのだと分かりました。障害児ということでこんなところにも足かせがあったわけです。

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ちなみに・・・ドーハ→東京間で座席がバラバラだった事態を受け、座席を替えてもらえないでしょうかと客室乗務員が日本人の中年女性にたずねたところ、答えは「NO」でした。「私はこの最後尾の席だと後ろの人に気兼ねなく背もたれが倒せるのが良くて、この席をわざわざ予約したのです。座席を替えて欲しいのなら同じ条件の席を用意してください」と言われてしまいました。

既に満席状態の機内で同条件の別席を探すのは不可能で、私は途方に暮れ、ダーリンはこの女性の態度に腹を立て、客室乗務員は困ってオロオロ。意を決して私が再度事情を説明に行き、「ムスメが障害児なもので、親二人のアテンドが必要なんです」と説明しても、答えはやっぱり「NO」。

正直、驚きました。迷惑なお願いをしていることは重々承知ですし、この方の気持ちも分かります。でも、そこにハンディーキャッパーがいる以上、多少の融通を利かせ合うというのは人間として当然のことなのだと信じていた私には、とても信じられなかった。日本人ってこんなんだったっけ?と驚きを隠せなかった。

飛行機は出発の準備を進め、どうしようもなかったのでムスメと私だけが彼女の横に座り、ダーリンは一人離れた席に収まりましたが、そんな私達の様子を見て遂に彼女は言いました。

「こんな状態、いたたまれないわ。まるで私が悪いみたい。もういいです。席を替わります」と。

「申し訳ありません、ありがとうございます」と彼女に頭を下げながら私は、不手際の続いたアルゼンチンのカタール航空と旅行代理店への呪いの言葉を胸の中でつぶやいていました。何が医師の診断書だ!と。何がお客様の安全のためだ、と。義務は課す癖にフォローがないなんて信じられない・・・。

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ムスメとの初めての空の旅は、そんなわけで決して一筋縄ではいきませんでした。だから成田に無事に到着して、迎えに来てくれた姉夫婦の顔を見た時は、なんだかそれが奇跡のような気がして言葉も出ませんでした。

ああ、ニッポン!2日がかりの大旅行の末に辿り着いた我が故郷。実に5年ぶりの帰省でした。

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久しぶりの保育園のユニフォームとお気に入りのサングラスで。

次回《生活編》に続く