アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

日本滞在その3.~生活編2.日本と日本人に問う~

ここに書くことはあくまでも私の個人的な体験であって、一般論ではありません。違う側面もあるかもしれないし、私が知らないことも沢山あるかもしれないことをご了承ください。

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アメリカ在住の友人がお子さん達を連れて日本に数ヶ月間帰省した際、日本の保育園に臨時転入を許され、短い期間息子くんを通わせていたと聞きました。別の友人の妹さんも、ドイツから日本へ帰省した際、娘さんを短期間日本の幼稚園へ行かせたそうです。いずれの場合も園側からは大歓迎され、外国からハーフのお友達がやってくるということで準備も念入りに行われ、大層もてなされて良い経験をしたとか。

今回、ムスメの滞在中にどこかの幼稚園に入れてもらえないものかと問い合わせてみましたが、障害児の場合はそれができないと言われてしまいました。市役所の担当者曰く、障害児の場合は年に一度の受付期間中に審査を受けなければならず、その審査に通らなければ通園は認められないとのこと。確かに障害児の場合特別なケアも必要だし、簡単じゃないとは思っていましたが、それにしても1年にたった一度のチャンスとは、、、そのあまりの狭き門と、健常児との扱いのあまりの差に、回答をもらった時には正直あっけに取られてしまいました。そこで勧められたのは障害児専用の養護センターでした。

その後、「もしもこのまま日本に残ったら」を想定して教育制度についても調べ始めたところ、市役所の担当者からは気管カニューレを付けているムスメが普通幼稚園や小学校の普通校に通える確率はゼロと告げられました。看護師が常時いるような幼稚園でもダメ。なぜなら、「看護師は全ての園児のためにいるのであって、あなたのお子さんのためにいるわけではありませんから」というのが回答でした。「いや、うちの子も別に常時看護師さんが必要なわけじゃないので、他の園児と同じ条件だと思うんですが」と言ってみても、とにかく答えはNO。そのあっさりとしたあまりにも簡単なNOには本当に驚きました。こんな薄っぺらなNOでムスメの将来が決められちゃうのか、と。ここでもまた、障害児が通う養護学校を勧められましたが、、、。

なんかね、日本のこういう「障害児は養護学校へ行けばいいじゃない。だってそのために養護学校があるんだから」的な対応って一体どうなんだ?と思うわけです。障害児と言っても、子供によっていろいろと異なる障害や課題を抱えていて、ひとくくりにはできない訳だし、個々のケースをよく見た上で丁寧に議論する必要が絶対にあると思うんです。でも、調べている中で受けた印象は、「障害児は一律障害児」で、この”面倒な議論を避けるための回答”のような「養護学校へどうぞ」ってやつがすぐに出てくることでした。

この時点で日本に残るという考えは吹っ飛びました。もちろん、根気良く道を探せば見つかるのかもしれないし、実際そうやって大変な苦労をして障害を抱えるお子さんを普通校へ通わせている親御さんがいることも分かっています。でも、入り口の段階からこの姿勢ってあんまりじゃないですか?それぞれの子供のために皆が真剣に考えて最良の道を探してみよう、というサポート体制が何にもない。先進国日本の名が、これじゃあ泣きます。

ムスメに関して言えば、動作上の障害こそありますが、知能の点で大きな障害は今のところ指摘されていません。通園する上でムスメが苦労する点と言えば、肘関節がないことや手の動作が不自由なことです。おやつの時間に自分でクッキーを口に運べないこと(でも最近スプーンで食べる技を身につけました)、お手洗いでズボンを下げることはできても上げるのが難しいこと、文字を選んだり読んだりはできるけれど、書くことが苦手なことなど。それと、誤って気管カニューレが外れてしまった時、誰かが装着してあげなければならないこと。だから付き添いさんがどうしても必要です。

これまでアルゼンチンでは健常児と一緒に普通保育園に通っていたし、先日はセドリックが通う公立の普通小学校に来年度の入学が決まりました。こちらも最初の一年は付き添いさんに付いてもらっての登校です。ここでは誰も、気管カニューレが付いているから自動的に養護学校へ行かせろ、なんて言いません。むしろ、多少の障害があっても普通校で健常児たちと同じ「チャンス」を与えることを重視しています。なぜなら、たとえ障害を抱える子であったとしても、それが彼らの「権利」だからです。

ちなみに、アルゼンチンでは障害児福祉も充実しています。障害児の教育費は全て国が負担してくれます。必要と認められた付き添いさんも、移動の送迎車も国が支払ってくれます。障害児といえど、親や本人が希望し、通園(登校)できる状態にあれば普通校へ通わせるのがごく一般的で、障害児の学校生活や学習をサポートするため、各学校にそれぞれスーパーバイザーとなる養護学校が指定されています。

今回ムスメが普通小学校へ通えるかどうかの診断をしたのも、こうした養護学校の専門家達でした。ドクターによる私達両親の面接があり、訓練士達によるムスメの面談、評価があり、その結果ムスメは知的障害はなしという結果で、同伴者と普通校への登校が可能という結果をもらいました。もちろん、もしも知的障害があったとしても、別のタイプの付き添いさんが付いて普通校へ通えるケースもあります。

こうして一旦普通校への入学が決まると、養護学校は子どもの生活や学習状況を毎週モニターし、問題解決に向けて学校側とタイアップして取り組みます。このシステムをIntegracion(統合教育)もしくはInclucion(包含教育)と呼びます。また公立学校はどこも、必要に応じて一クラスに一人まで障害児を受け入れることを「義務」とされています。

Integracionの内容も様々で、先述した通りムスメの場合は手に鉛筆を持って文字を書くことが難しいため、クラス内ではパソコンを使ったほうがいいですね、と言われました。文字を書く練習はリハビリで続けるけれど、文字が書けないことで学習に遅れが出ないように筆記はパソコンでやらせましょう、ということです。尚、この際必要になるパソコンも国から貸与されます。

また、ムスメは階段を登れても、一人ではまだ降りられません。これを聞いた養護学校の先生は、受け入れ校には何段かの段差があるからスロープを付けてもらうように頼んでみましょう、と提案してくださいました。「え?ムスメのためにスロープですか?」と驚いたところ、「お嬢さんのためだけじゃありません。来年には車椅子のお子さんが来るかもしれないのだし、これは学校側が”みんな”のために用意しておかなければならない最低限の条件でもありますから」と、、、。脱帽。

実際にスロープを付けてもらえるかはわかりませんし、来年学校が始まってみたら沢山問題が出てくるかもしれません。ただ一つ言えることは、現場に携わる人間には、個々の障害児が持つ課題を見極めて最適な環境を提供してあげたいという思いとメンタリティがあり、この国にはそうしたサポート体制がシステム化されているということです。これを聞いた時、先進国日本の障害児福祉・教育に思いを馳せずにいられませんでした。日本では果してここまで手厚くサポートしてもらえるのだろうか。このテーマについては、もしかするとこんな南米の途上国であるアルゼンチンに軍配が上がったのではないだろうかと。

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障害児者というテーマは当事者になるまで分からないもの、と誰かが言っていて深く頷きました。確かに私もムスメが障害児として生まれてくるまで真剣に考えたこともなく、必要な気配りができていたとも思いません。だからこそ今回、障害児の親として5年振りに帰省した日本では驚くことが実はとても多かったです。

あるお天気の昼間、実家近くの大きな公園に父とムスメとピクニックに行った時のこと。どこかの幼稚園の遠足が来ていて、公園はムスメと同い年ぐらいの子供達で溢れかえっていました。大きな滑り台にブランコを見つけて無邪気に喜ぶムスメの手を引いて歩いて行くと、近くにいたユニフォーム姿の男の子がムスメを指差し、「ぎゃー!モンスターだ!!!」と大声で叫び、ムスメが汚いものでもあるかのように飛びのいて走って逃げて行きました。遠くで見ていたその子のお母さんは見て見ぬ振り。

この日、同じユニフォームを来た子供達から「気持ち悪い」とか「変な顔」とか何度も同じようなリアクションをされ、正直かなり堪えました。アルゼンチンでももちろん他の子供達から凝視されますが、こういう「悪口」みたいなコメントってまず言われたことがありません。むしろムスメの姿を不思議に思う子供達が私達親のところへ寄ってきて、「この子どうしたの?」と質問してくるのが一般的です。

その質問はすごく素直で自然だと思うし、だから私達もムスメの病気について答えると、大抵の子供達は納得して、最後にはムスメと一緒に遊んでくれたり、お友達になってくれたりします。中には、他の子供たちへムスメのことを説明してくれる親切な子もいたりします。

でも、あの日公園で出会った日本の子供達は全然違いました。彼らの反応はグロテスクだった。確かに、ユニフォーム姿で帽子をかぶり、黒髪の直毛に目の細い子供達は誰を見ても似たような感じで、そこにいるムスメはアルゼンチンにいる時よりもずっと目立っていたかもしれません。これが単一民族国家ニッポンの特徴ですね。横一列に画一的で、「異なる」ことが許されない日本社会の象徴のように見えます。

中南米の中でもアルゼンチンは特に移民国家のため、肌の色、目の色、髪の色が異なることが当たり前。社会格差も大きく、違いや差があっても当たり前。だからムスメの一風変わった容姿に対しても寛容な部分が確かにあるでしょう。更に先述した通り、学校教育に関しても、日本とアルゼンチンには大きな違いがあります。普段からクラスの中で異なるキャパシティーを持つ子供達と接している子と、健常児しか存在しない学校に通う子とでは、学びのレベルや経験値がまるで違うのは当たり前。

だから私は、「異なるものを受け入れて共存する」という、地球上に住む人間全てに求められた根源的な課題について学ぶ機会を、日本の子供達は決定的に失っているんじゃないだろうか、という気がしてなりません。

そんな日本でムスメを育てるのか?と問うた時に答えは明白でした。

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先日、日本の新聞をネットで読んでいた時、何かのアンケートで「日本人は利他的である」と多くの”日本人”が回答したとありました。確かに震災後の助け合いや団結力を考えると、なるほどと思います。こんな国民性は世界広しと言えどそうあるものじゃないと私自身確信を持っているし、そんな日本人に誇りさえ感じていました。

ところが、今回日本へ帰って、ムスメを連れて歩いていて、「日本人は利他的である」と微塵も思えなかった場面があります。それは電車の中。

私の疑問は至ってシンプルです。日本人って、どうして席が必要な人を前にしても席を譲らないんですか?こんなに簡単なことができない日本人てなんなんだろう。そもそもプライオリティシートなんてあるのがオカシイです。どの座席も基本的には全てプライオリティシートであるべきだと思うから。

これは何も障害児に限ったことではありません。先日妊娠中の知人が電車の中で席取り合戦に巻き込まれ、彼女自身は何とか座れたものの、後から突進してきて座れなかったオヤジに「馬鹿!」と罵られたそうです。お腹の大きな女性に対してこのセリフ。正気の沙汰とは思えません。

日本人は一般的に高学歴だし、先進国で洗練された生活を送っているし、公衆道徳も徹底している。何より、「利他的」と自分たちのことを評価するほど崇高な民族なはずなのに、この点に関して言えば、ラテンアメリカの人たちに断然負けちゃいます、アルゼンチン人で大学まで出ている人は少ないし、バスの中でも携帯で音楽ガンガンかけちゃうような公衆道徳のなさだし、いわゆる途上国で苦しい生活を強いられている貧困層も多いですが、それでもバスに誰か座席が必要な人が乗ってきたら、その場にいる人皆が席を立とうとする「人間味」があります。

こういうことはだから、教育とか、「教えられること」じゃない、何かもっと根元的な人間らしさと関係があるんだと思うんです。

このことを日本の友人に話すと大抵誰しも、「みんな疲れているんだよ」とか「シャイだから恥ずかしくて席が譲れないんだ」と答えます。それもあるかもしれません。日本の電車はR市の市内バスよりも距離も長いし、立つことの”意味”が全然違うかもしれません。でも、明らかに座席が必要な人を前に、下を向いたり、携帯で遊んだり、寝たふりしたり、何も見えないような素振りをしたりするのはあまりにも人間としてお粗末だし、ある意味異常です。こんな場面、他の国ではあまり見られないんじゃないかな。実際、日本の電車で気持ち良くさっと席を譲ってくれたのは外国人と日本人のカップルだけで、先にさらりと席を立ってくれたのは外国人の彼女の方だったのが印象的でした。

公共の場でとにかく透明人間になろうとするのは日本人の特徴の一つだと今回改めて感じましたね。誰とも関わらない、誰にも関わらせない、そうすれば面倒なことから身を守れると思っているのかな。公共の場でおしゃべりに花を咲かせる知らない者同士のおばちゃんたちや、困っている人がいたら皆して手を貸そうとする親切(お節介?笑)なラ米人にすっかり慣れていたので、なんだかすごいギャップを感じました。

多分、自分が困った状況に陥っても誰も助けてくれないことをわかっているからこそ、日本人は身を守るために他人と距離を取り、透明人間になり、何も見えない振りをするんですね。席を譲っても断られたら恥ずかしい、だから最初から見ない振りをするとか?、、、などなど、日本の異様な電車内の雰囲気を解明するためにあれこれ考えてみましたが、結局納得の行く答えは見つからず。ただ一つ言えることは、席を譲らない日本人はものすごく恥ずかしいと言うことと、あの皆が殻に閉じこもった日本の電車内のピリピリした不自然な雰囲気を思うと、ラ米人の生き方の方がずっとストレスがなく人間的で”自然”なんじゃないかと言うことです。

ムスメが見て見ぬ振りをされて席を譲ってもらえなかった時、ダーリンがいなくて良かった、、、。もしもダーリンが居合わせていたら、普段温和な彼でもものすごく腹を立てていただろうし、私は恥ずかしくて二度と「日本人は優しく日本は良いところ」と彼に言えなかったことでしょう。

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たった6ヶ月の間に日本で経験したことなんて僅かなもので、実際日本で障害児を抱えて生活している方からしたら大したことじゃないかもしれませんが、、、こうしたことを経ていろいろと考えた結果、アルゼンチンで生活を続けることを決めました。平和な日本に生まれたことは何にも代えられない幸運だったと今でも心から思うけど、それと同時に自分が子供の頃、学校の無意味な校則が嫌でたまらなかったのも事実。20代まで日本で暮らしたけれど、安定していて何でも揃う快適な生活を享受しつつも、いつもどこかで息苦しく感じてもいました。その同じ場所にムスメを連れて行って育てなくてもいいのかな、と最終的に思った次第です。

二つの国をまたいで暮らしていると、そのどちらにも結局は属せないような不安定な気分を抱きます。でも同時に、どちらの良いところも少しずつ拝借できるわけで、有難くもあります。世界にはきっと理想の場所なんて存在しなくて、それは個々人が作らなくちゃいけないものなんだな、と今回改めて思ったし、だとしたら私は、ムスメのお兄ちゃんがいてくれるここアルゼンチンで、ムスメの理想の場所を作れるよう頑張っていくのかな、と気持ちを新たにしました。

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すっかり長くなった日本滞在シリーズ、これにて完結です(笑)。これでやっと私的にも年が越せる!長々と書きながら、少しずつ頭と心の整理ができた気がします。

すでに今の時点で、来年のムスメの手術について日本のお医者様と話をしていて、次の旅を考えるとまたしても鬱になりそうですが、なるべく先のことは考えず、せめて穏やかに年を越したい。

皆様も健やかな1年の締めくくりができますように。