アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

日本滞在その3.~生活編1~

2014年4月5日。地球の裏側の南半球からほぼ二日間に渡る長旅の末、5年ぶりの成田空港で私たちを迎えてくれたのは姉夫婦でした。緊張と疲労を強いられた長時間フライトの後に見つけた懐かしい顔に、私は心からほっとしましたが、そんな私の耳にダーリンがコソッと呟いた言葉は、「どうしてお姉さんたち、ジーパンの裾折ってるの?」でした・・・(爆笑)。そう、このダーリンの素朴な疑問こそ、日本とアルゼンチン双方で生きることの象徴になるとは、この時はまだ気がつきませんでした、、、。

ジーパンの裾を折ることがオシャレという発想は、一部の先進国では浸透しているのかもしれませんが、アルゼンチンではまだその流行りはメジャーではありません。丈が長いわけでもないジーパンの裾を折っているオシャレな姉夫婦の足元は、ダーリンには俄然納得のいかないものだったわけです。異文化理解とはこんな些細なところにもあるわけで、日本人である私も5年間も母国と離れているとそこら辺の感覚が全く分からず、「流行かな?」と自信なさげに答えることしかできませんでした。

長旅の上に夜間の到着で、しかも成田から実家まで車で数時間かかるため、この日は空港近くのホテルで一泊しました。翌朝、姉の旦那様が運転する車で実家のあるS県T市へと向かったのですが、、、大都市東京のビル群を抜けていよいよS県へと突入し、景色が田舎のさびれた雰囲気へと変わるのを見て、ダーリンが無邪気に尋ねてきました。「ここも東京?」、、、。いーえ、ここは東京ではなくてS県なのよ、と彼に告げることがどれほど難しかったことでしょう、、、(爆笑)。

そう、実はワタクシ、海外で出身地を尋ねられた時には必ず「東京」というささやかな嘘をついています。見栄というより、私の出身県なんて言ってもガイジンは誰も知らないし、私の元職場も大学も東京にあって、私自身友人と暮らしていた時は都内に住んでいたわけで、私的には「東京出身」と言って何が悪いのぐらいに思っているからです。

でも、今回の帰省で、てっきり東京都内に滞在するものと思っていたダーリンにとって、これは「大罪」とも言うべき大嘘で、彼的には騙された感満々だったと思います。東京滞在の期待が大きすぎて、事実を告げてもなかなか理解ができなかった彼。「T市?東京にあるの?S県??何のこと??東京出身ってのは嘘だったのかーーー!!??」と驚きを隠せませんでした(ごめんね)。

T市は、私の小さかった頃こそ新興住宅地のベッドタウンとして栄えましたが、今では私世代はすっかり去り、子供の姿もまばらで、老人ばかりが残る過疎の街と化しています。セブンイレブンですら生き残れず撤退する恐るべき寂しさ。”東京出身”の嫁について来たら、とんでもないさびれた街に連れて来られちゃったダーリンにしてみれば、聞いてないぃぃーーー!!という心境だったことでしょう。ここで彼のテンションはぐっと下がることに、、、。

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でもこんなに素敵なお寺もあるんですよ。

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ダーリンの日本滞在

とにかく今回の旅は時差ぼけが半端なく、特にムスメのボケ方が酷くて毎晩きっかり夜中の2時には起こされ、遊ばされたせいで、実に丸一週間私もダーリンもぐったりでした。なので、本格的に行動を起こすまでにしばらく時間がかかり、その間はT市に留まり市役所関係の手続きをしたりしていたのですが、、、

ある時ボソリとダーリンに聞かれました。「この街に若者っていないの?」確かに道ゆく人と言えばご老人ばかり。公園で遊んでいる子供こそ見かけるけれど、若者と言えるような若者は目にすることがありません。ムスメを連れての散歩と言っても、近所のスーパーか公園ぐらいで他にはなにもなく、大都市東京を闊歩する日々を想像していた彼はこの1週間ほどですっかり凹んでしまいました。可哀想すぎる、、、。

その反動もあり、時差ぼけが治った後に訪れた新宿では、電車を降りた途端に大興奮!「おお、ここにはたくさんの若者がいるじゃあないか!これが東京かっ!!!」と声も上ずる有様。南口のサザンクロスでは高層ビルをバックに写真を撮りまくり、連れて行ったビッグカメラでは天井知らずにテンションが上がり続け、商品がキラキラと陳列される店内では「僕は地上の楽園に来てしまった、、、!!」とせわしなく駆け回っていました(爆笑)。

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新宿の高層ビルにダーリン大興奮の図。

ダーリンには人並外れた方向感覚があって、知らない場所でも迷わずに目的地に到着できるという優れた能力を持っています。ムスメの入院前には浅草や渋谷などにも行きましたが、多分一番東京歩きをしたのは、入院してから。東京の一等地に立つ病院から時折抜け出して、相当歩いて東京見物をした様子が、彼が持ち歩いていたデジカメの写真から伺えました。

ダーリンが東京に夢中になった理由の一つは、お寺やお城の跡地などの古き良きものと、最新の高層ビルをなどが一体となって織りなす町の様子でした。また、ゴミも破損もない清潔で安全な路上や、道を尋ねた時の人々の親切さにも感銘を受けていました。以前はベルギーに住んでいたこともある彼ですが、町の綺麗さ安全さは日本の方が比較にならないほど良い、と言っていました。

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浅草にて。この写真が私の妊婦疑惑を呼び・・・。確かに腹が出ているっ!

自分で見つけた病院近くのミニスーパーでは、初めて目にするカップラーメンを購入し、すっかりハマって毎日病室で夕食代わりに食べていました(笑)。「この値段で、お湯を注ぐだけで一食分の食事になってしまう、、、素晴らしい」と唸りながら(不健康過ぎて嫌だったけど)。こうして入院中は毎日何かしら買って帰ってきました。何か知らずに手に取ったお団子の美味しさに感激し、初めて食べるコロッケパンを頬張り、町の超B級グルメを彼なりに堪能した様子。

食と言えば、実家で食べた北海道の毛ガニは彼的には相当ヒットだったよう。「cangrejo peludo!!(”毛深い蟹”の意)」を連呼し、蟹を手に散々記念撮影をしていました。お箸にもすぐ順応し、出されたものはおっかなびっくりでも全て食べていました、が、納豆だけは最後まで手を出さず(笑)。ムスメが納豆キチガイになったのとは対照的。やっぱり納豆は日本人の血が流れていないとハードルが高いのかな。ちなみに、ダーリンが一番好きと言っていたのは日本料理屋で食べた天婦羅でした。

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”毛深い蟹”を囲んで興味津々の親子。

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ダーリンが初の日本滞在中に出くわした”驚くべき事実”は他にも多々あります。例えばそれは、大人の付き添いなく公園で遊ぶ子供(小学生)達の姿。アルゼンチンの都市部では、治安上、子供が道端で遊ぶ姿にはまず出くわしません。公園でも、子供達だけで遊んだり、自転車に乗って家へ一人で帰ったりすることは絶対に考えられない。だからそんな姿を目にしたダーリンは、ほとんど信じられないと言った顔をしていました。

更に、公園の入り口にずらりと並ぶ無防備な自転車の列は、彼には「お宝の山」に見えたそうです(爆笑)。ちなみにダーリンが数か月前に購入した新品の自転車、2週間後には路上に駐輪していたところ鎖をぶった切られて盗まれました。その後しぶしぶ乗っていた中古の自転車も、我が家の通路、鍵のかかったドアの内側に駐輪してあったのに、何者かが侵入して盗んで行きました、、、(号泣)。ダーリンが、「あんなに無防備に駐輪してあるのに誰も盗まないなんて信じられない」と思ったのも無理はありません。日本の常識はやはり世界の常識はではないんだなーと、彼のおかげでガイジン目線で日本を見ることができて新鮮でした。

ダーリンが大絶賛したことがもう一つあります。それはブックオフの存在。何しろ3度のメシより本が好きな彼のこと、お義兄さんにブックオフを教えてもらって以来、時間を見つけては一人で長い道のりを歩いてブックオフに通いつめ、山のような芸術書を抱えて満面の笑みで帰宅すること数回。買ってきた本を並べては、「これは300円。これは200円。信じられないっ!!こんなに素晴らしい本がたったの200円だよ??どうなっているんだ一体??」と戦利品に酔いしれる姿が忘れられません。確かに、ラテンアメリカ全域では本がとにかく高いので、ブックオフで手に入る値段は破格中の破格。言われてみれば確かにそうだ、、、。

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ムスメの日本滞在

さて、初めて飛行機に乗って違う国へ移動したムスメは、先述した通り時差ぼけでグダグダでしたが、私の心配をよそに、これと言って困ることもありませんでした。日本食にも直ぐに慣れ、美味しい日本のお菓子に夢中になりました。都内へ出るのにバスや電車に乗せる時には私の方が緊張しましたが、お気に入りのお菓子さえ持参すればなんとかなることがすぐに分かりました。

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じいじとお庭にて+いつもじいじが新聞や本を読む横で、真似っこ読書をしていたヒト。

長い空の旅に加えて、電車やバスで知らない場所へ行ったり、普段はスカイプでしか顔を見ることのないじいじとばあばと長期間過ごしたことで、人生の経験値が一気にアップしたムスメの成長には目を見張るものがありました。入院も回数を重ねるごとに慣れて自立し、最初の頃は一人で部屋に待たせておくなんて想像もできませんでしたが、最後には私がトイレに入っている間にとっとと一人でプレイルームへ遊びに行っちゃうぐらいで、こちらの方が焦りました。

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この日はじいじとばあばと一緒に、お義兄さんの営む雑貨店へおでかけ。

2度目の手術で口蓋裂を塞いでからは発話が急速に増え、日本語でかなり流暢に話すようになったのには驚きました。小さい頃から日本語で話しかけてはいましたが、やはり実家で大人同士の会話を聞いて学ぶ部分が大きかったのでしょう。ダーリンが既にアルゼンチンへ帰ってしまっていたので、スペイン語は話したがらず日本語だけがぐんぐん上手になっていきました。

上手、、、とは言っても、可笑しい間違いが沢山あって微笑ましかったんですが。例えば、「食べる」を「タレブ」と言い、「買う」を「カワウ」と言うように。ご飯やおやつの時間になると「タレブータレブー、もっとタレブー」と騒ぎ、自販機の前では「これカワウー、カワウのー」とだだをこねる。幼い子供の言い間違いなんて当たり前のことですが、あのムスメが喋っている、しかも日本語を喋って言い間違えていることに深く深く感動してしまう私とじいじとばあばなのでした。

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姉夫婦の家での夕食会。じいじもばあばも大好き。

滞在中にアンパンマンとちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんが大好きになり、キャラクター物の威力を見せつけられました。なるほど、、、日本のお母さん達がキャラ弁に走るわけです。やり過ぎな感じがしないでもないですが、子供達は大喜びなのでしょう。こちらに戻ってきてもなお、Youtubeでアンパンマンを見たいとせがむムスメを見ていてしみじみそう思います。

ちなみに、ムスメには今回の5回の手術も3ヶ月間の入院もトラウマとして残らなかったようで、今も日本の写真を見ては「じいじとばあばのお家に帰りたい」「病院に帰りたい」(!!)と言います。本当にタフなムスメの精神に母びっくりです。

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ママも幼いころに遊んだゴリちゃんを背負うムスメの姿になんだか感動。

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私の日本滞在

さて、5年ぶりの帰省ではありましたが、今回の日本滞在は私にとって「楽しい」というよりもやっぱり「乗り越えなくちゃいけないもの」で、どちらかというと辛かった、、、。ムスメの治療がメインで滞在期間の半分は病院だったし、精神状態も厳しかった。久しぶりの日本食も、入院中のパン&おにぎり食の印象が強く、会いたかった友人とも結局会えずじまい。とにかく病院内でも実家でも、始終ムスメを見てハラハラしていた気がします。

とは言え、久しぶりの日本は、理不尽なことがなく何事もスムーズに進む理路整然とした印象でした。街を歩けば便利で素敵な商品が溢れていて何でも手に入り、電車内の女性達や病院にいる他のお母さん達、会いにきてくれた友人たちかがみんな爪の先まで綺麗で圧倒されました。

実はワタクシ、お恥ずかしながらアルゼンチンではどこへ行っても実年齢よりもだいぶ若く見られていたので、すっかり気を良くしていましたが、日本に帰った途端にそれが大間違いであったことに気がつかされました(汗)。まず気になったのが自分の白髪。それから肌の色、化粧の仕方、服装、髪型、荒れた手足、Etc Etc。途上国からやって来た己の姿と、”本物の”日本人女性の姿とのギャップに心底慄いたのです。

人生で生まれて初めて白髪を染め、すぐに化粧品を購入しました。アルゼンチンから持って行った洋服の半分は露出度が高すぎるとか色が派手すぎると母に駄目出しをもらい、逆に色が暗くて顔色が悪く見えると姉に指摘された服もスーツケースの中でお蔵入りとなりました。

公園などで改めて観察すると、ナチュラルな色合いで、体型を隠すようなふわりとした長めのトップにレギンスという無印良品的スタイルのお母さんたちを実に良く目にしました。アルゼンチンでは女性はとにかく体にフィットした洋服を身につけるので、そんなスタイルがとても新鮮に映りました。そこで、早速何着か購入。

また、中南米では女性の99%が長髪なので、髪を切るという発想すらありませんでしたが、入院生活の中で長い髪を洗ったり乾かしたりする時間がなかったことと、周囲のお母さんたちのこざっぱりしたショートヘアが素敵だったので、2度目の入院前にバッサリ切りました。これで私的には日本人度が急激にアップ!

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さっぱりした頭の図。ふ~、短い髪って楽~~。

他にも、足の角質を取る商品を試してみたり(すごい効果でしたよお姉ちゃん!)、ファンデーションの色を変えたり、アイラインを入れる練習をしてみたり、裾を折るタイプのジーンズを購入したり、最低限「日本人っぽくなる」ために涙ぐましい努力をしてみました。この裾折りジーンズはアルゼンチンでははけないな、、と思いながらも。

告白すると、中南米では”細め”と言われていた自分が、日本ではむしろ”かなり太め”、という事実にも衝撃を受けました(ま、わかっていたけどね、、、)。私のfbの写真を見て日本の友人が「もしかして妊娠してる?」とメッセージをくれた時には消えてしまいたかった、、、(爆笑)。3ヶ月に渡る入院生活のストレスと食生活でその体重はさらに5キロアップし、これはさすがに日本滞在中には解決できませんでした。

結局こうしてあたふたと取り繕いながら思ったことは、私はアルゼンチン人にはもちろんなれないけど、日本人としてもすっごく中途半端だなーってこと。自己流を貫く気骨もないからどこかで両方の国の流儀に迎合し、どうにかこうにかやっている。ん~、なんだか情けない、、、。

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でもね、アルゼンチンに戻ってきて改めて思いましたが、やっぱりここにいると白髪が全然気になりません(笑)。誰も気にしないし、何も言わないし、友人たちもみんな白髪混じりに元気に明るく生きているのでしっくりしてしまう。それに何より、我が家のシャワールームのライトは日本の電気ほど明るくないので、私自身が白髪を目にすることがあまりないっ!!そう、日本のテクノロジーって生活の隅々にまで反映されていて、人生に大きく影響を及ぼしているんですね。

ま、白髪の話はあくまでもメタファーで、、、思ったことは、日本の女性は往々にしてスリムで綺麗で素敵だけれど、でもそうであるために必要とするものや、注がなくちゃならないエネルギーが沢山あって大変なんじゃないかなってことでした。もっと言えば、一般的に日本で「幸せに」暮らすために必要なものは、多分アルゼンチンで幸せに生きて行くよりもずっと多い気がしました。

どちらが良いという問題じゃなくて、ただそうだと言うだけですが、私個人としてはどれだけ治安が悪くても、あらゆる手続きが煩雑でも、物事が理不尽な理由で進まなくとも、必要なものが手に入らなくても、その全てに普段は散々悪態をついていたとしても、アルゼンチンに帰ってきてなんだか正直ホッとしました。根がズボラだからでしょうか、私には多分この程度のモノに囲まれ、この程度の身支度で満足して暮らす方が性に合っているようです。

ちなみに、中途半端な丈の裾折ジーンズは、こちらではあまりに浮いてしまうので、ばっさり切って半ズボンにしてしまいました。日本では太めな私でも、ここにいると半ズボンを履いても許される気がするので、、(笑)。ビバ・アルゼンチン!!

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とは言え、医療レベルが格段に高く、自らの家族がそばにいてくれる日本で暮らすことを、今回考えなかったわけではありません。そこで日本にいる間に教育制度や福利厚生についても調べ始めたのですが、、、。

アルゼンチンに帰るという結論に達するまでのアレコレと、日本と日本人への疑問はまた次回。