アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

ムスメ6歳6ヶ月

今年はムスメ6歳のお誕生日は日本にいてブログが書けなかったので、少し遅れて6歳6ヶ月の記録を残しておこうと思います。1年半分の成長記録なので、もの凄く長いです(汗)。

何よりも先に、今ムスメが夢中になっている”モノ”をご紹介します。1ヶ月ほど前にダーリンの叔母さんに連れられて我が家にやって来たNINA(ニーナ)↓、生後4ヶ月。

DSCF4332_convert_20160718042510.jpg

正直、私は3年前に亡くなった愛猫への想いが強すぎて、最初はこのちっこい新参者に全然馴染めませんでした。しかも、またこの先10数年間続く”責任”が生じたことに結構気が重く、久々の猫との共同生活=日々の猫トイレ掃除&服が毛だらけ&”土足”で家中3次元に歩き回られるetcにもカリカリしていたのですが、1ヶ月が過ぎた今ではもう可愛くて可愛くて、クシュクシュにこねくり回してキスの雨を降らせている有様です。

そんな私以上にべったりなのがムスメ。ぐっすり寝ているNINA、ご飯を食べているNINA、日向でまったりしているNINAをお構いなしに抱き上げては、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと連れ回し、チビ猫にとっては受難の日々が続いています。それにしても、動物一匹の存在で、こんなに家の中って明るくなるんですねぇ。おまけにムスメのiPad使用時間が激減!今では子供向け番組を見るよりもNINAと遊びたいと、後ろを追いかけ回してばかりいます。

DSCF4246_convert_20160718041719.jpg DSCF4321_convert_20160718042056.jpg DSCF4325_convert_20160718042143.jpg

こうしてすっかりNINAの存在が定着したある日、ワクチン接種に行った病院で、このヒト、なんと男の子と判明(!!)。名前を変えなければならなくなりましたが、あまりにNINAが定着し過ぎて、NICOとかNICKYとかNINOとか、いくら代替え案を出してもみんなついNINAと呼んでしまう、、、。もしかするとこのまま、”NINAというオス猫”として生きていくことになるかもしれません。

DSCF4336_convert_20160718042226.jpg

・・・・・・・・・・・・・・・・

本題です。ムスメは現在身長118センチ、体重19.7キロで、昨年に比べると身長は7センチ、体重は3キロ増えました。同い年のお友達が軒並み24キロを超える中、相変わらずひょろーっと長細い少女です。我が家はダーリンが188センチ、私が168センチなので、ムスメも大きい方だと思っていましたが、なんのなんの、学校には2つ3つ年上に見える体の大きなお友達もいて、クラスの中では後ろから4番目です。しかも横幅がないから、群れの中にいるところを見るとますます華奢で小さく見えます。

身体的な変化を挙げると、昨年12月と今年1月、そして一昨日ぐらいに下の前歯が抜けました。もともと噛み合わせが悪く、日頃からしっかり噛んで食べていないため、歯が抜けたことにも気づかず3本とも飲み込んでしまったようで、残念ながら小さな乳歯は現在まで記念に残せていません。最初の歯はじいじとばあばのお家で、2本目はタイへの旅行途中、ハノイ空港で消えて無くなりました(笑)。空港ロビーでニッコリ笑った顔が突然歯っ欠けで大笑いしました。

DSCF2789_convert_20160717224607.jpg      DSCF3219_convert_20160717224711.jpg

左は1本目が抜けた時。手術直後で顔がパンパンに腫れています。右が2本目、ハノイ空港にて。

アルゼンチンでは歯が抜けた夜に”ネズミのペレス”がやって来て、枕の下にお金を置いていってくれます。本当は抜けた歯と交換でお金をくれるそうですが、ムスメの場合はペレスがとっても太っ腹で、抜けた歯がなくてもお金をくれたし、わざわざ日本までやって来てくれたりしました。良かったねぇ。

科学畑の友人から聞いたのですが、なんでも子供は文字を覚え始めると同時に歯が生え変わるんだそうです。それは”動物”から”ヒト”への大きな変化のプロセスであり、ホルモンに及ぼす影響が大きいのが原因とか(!)。確かにムスメには昨年11月頃から文字を教え始めていましたし、クラスのお友達の中には学校が始まったと同時に3ヶ月間で7本抜けた子もいて、説得力があるような気がします。

・・・・・・・・・・・・・・・

危なかしかった歩行ですが、最近ようやく少し安心して見られるようになりました。と書く予定でしたが、先日自宅の廊下で転んで顔から落ち、メガネをぶっ壊して、更にそのメガネのフレームでお顔を切って流血沙汰となりました(汗)。幸い縫うには至りませんでしたが、お顔から血がダラダラ流れている図が色んなことを思い出させてくれちゃって、結構テンションが下がりました。はは、、、。ムスメの場合、両腕に障害があるため、転ぶと必ず顔から落ちてしまうので、どうしても大事になってしまうんですよねぇ。

更に、この秋は結構冷え込みが厳しく、ここ1ヶ月半ぐらいの間に4回ぐらい風邪をひいて寝込んだのも体力低下に繋がりました。お陰で体重も一時1キロ落ち、強い抗生物質で胃をやられてよく食べられないから、足元もフラついて転倒となったのでしょう。まだまだ歩行は油断できません。

それでも脚力は昨年に比べるとだいぶついたと思います。階段も壁に手をついて登ることが一人でできますし、降りるのも自宅の階段なら手すりにつかまってゆっくり降りられるようになりました。でも慣れない場所ではまだまだ一人では降りられない。あと一息というところです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、生まれてからこれまで数々の試練を乗り越えてきたムスメですが、幸い性格的には相変わらずいつも陽気で、親としてはこれが一番嬉しいことです。が、昨年と比べて変わったことは、寝起きのややテンションが低い時や、思い通りにならない時など、ダーリンに思いっきり当たる場面が増えたことです。

これはムスメの問題と言うよりも絶対にダーリンの問題(断言)。なぜなら彼には子供達に大して決して「NO」と言えない弱点があって、子供達もそれをよくわかっているから。小さい頃のセドリックも今のムスメも、虫の居所が悪い時、わがままが言いたい時はパパにならどんな態度をとっても叱られないという確信があって、大声をあげたり、乱暴な態度を取ったり、ばしばし叩いたりしているように見えます。

更にもっと問題なのは、ダーリンはそんなムスメの態度に対しても怒れない→私に八つ当たりする→夫婦喧嘩になる、という悪循環。これ、下手すると夫婦の危機に直結すると思うのですが、どれだけ話し合っても改善しない。どうしたものでしょう?

DSCF4150_convert_20160718000640.jpg DSCF4151_convert_20160718000545.jpg DSCF4147_convert_20160718000355.jpg 

仲良しのMちゃんと、R市のシンボル”国旗モニュメント”にて。二人ともすっかりお姉ちゃんだなぁ。

ムスメが照れ屋なのは変わりませんが、それでもだいぶ人前でお喋りするようになりましたし、誰かに話しかけられた時にちゃんと答えられるようになりました。なのでこの頃、ムスメの声を初めて聞いたという人が続出。なんだ喋られるんじゃん!とよく驚かれます。とにかく内弁慶なので、以前から家ではベラベラ喋っていたんですけど。

お喋りといえば、今回の日本滞在中も日本語をよく話し、こちらに戻ってきてからもじいじとばあばとスカイプする時には日本語で話をしています。以前と異なるのは、きちんと「2つの異なる言語を話しているのだ」という自覚が本人にあること。「私はスペイン語と日本語を話すの」と言うし、わからない単語があると「これは日本語では何て言うの?」とか「スペイン語では?」と頻繁に聞いてくるようになりました。

でもやっぱり、こちらに戻ってきてから時間が経つと、私の日本語に対してスペイン語で返事するようになってしまいました。理解はしているけれど、日本語は話したがらない。面白いのは、日本から荷物が届いて日本のお菓子とか日本の物に触れると、その日は一日中日本語で話したりすること。日本語スイッチが入るのかな?

言語の話をすると、日本滞在中にムスメが突然綺麗な発音の英語で1から10まで数え始めたことがあってびっくりしました。どこで覚えたんだろうと思ったら、いつも好きで見ているYoutubeの英語のお歌を聴いているうちに覚えたよう。そんなんで最近では英語にも興味深々で習いたいと言いますが、3言語をやらせるのは多すぎるように思うし、今のところ習わせる時間もないので、目下検討中です。来年リハビリの時間を少し減らしてもらって調整しようかなぁ。

うちは実はダーリンが言語の鬼なんです(唯一の特技)。以前ヨーロッパに住んでいたこともあり、オランダ語、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語、そして最近では怪しい日本語も話します。多分とても耳がいいのでしょうが、私も小さい頃から音楽をやっていたこともあり、耳には多少の自信あり。それがムスメにも受け継がれているのだとしたら、言語は得意分野なのかしれない、なーんて、ちょっと親バカ的に期待してしまう今日この頃です。

でもまずは、今後どこまで真剣に日本語を教えるかを考えないといけないかもしれません。アメリカ在住の友人のお子さん達は、日本語の補習校に通わせたり、日本式の教育をする学校に通わせたりして文字もしっかり学ばせていますが、アルゼンチンの地方都市にはそんな選択肢はなく、文字も私が教えていかなくちゃいけません。一応日本語教師の資格を持つ身ですが、これまで子供に教えたことはないし、ムスメの場合学校のお勉強にどこまでついていけるかも見極めないといけません。

・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな、ムスメの学習状況です。先日初めて学校から”成績表”なるものを持って帰ってきました。この国ではどのタイミングで成績表が渡されるのか全く知らなかったので、ある日唐突にムスメに手渡されてなんだかものすごくびっくりしました。正直、これまでムスメが鉛筆を握って文字を書いているのを見るだけで奇跡みたいに思えましたけど、成績表で評価を受ける対象になるなんて、この日まで想像もしていませんでした(笑)。

しかも、恐る恐る開けてみたその中身は、10科目中9科目は5段階評価の3でした。凄〜い!本人は成績表なるものに全く興味を示さず、ろくに見もしませんでしたけど。でもこの成績表、よくよく見てみると、10科目もあるけれどコンピューターなんて一体何回授業があったんだ?と果てしなく疑問に感じる部分もあり、なんだかちょっぴり怪しいところがアルゼンチンという気が。

小学校1年目の今年は、とにかくムスメの「学ぶ能力」が普通学校のスピードで適応できるものかどうかを知ることが何よりも重要だと考えていたので、ほぼ全てが3ならついて行けているのかな、と一安心しました。ちらっと他のお母さんたちとお話してみたら、ムスメの仲良しさん達はみんな似たり寄ったりの成績だったよう。そのお母さん達もみんな「勉強は二の次。学校が楽しいことが今は一番大事」という共通した考えを持っていて、なんだか私もムスメも良い環境にいるなぁとほっとしました。

とはいえ課題は沢山あります。ムスメの今の最大の壁は”集中力”。授業中もぼーっとしちゃうことが多かったり、先生の指示をきちんと理解できているのか分からないことがあったりすると、学校の先生からも、お勉強を見てくれているリハビリの先生からも指摘されています。昨年も今年も聴覚テストで問題ありと出たことから、難聴の疑いがずっと持たれていましたが、先日R市一番の耳鼻科医に診てもらったところ、どうも耳には大きな問題はないよう。やはり集中力と理解力がテーマなのだと徐々に明らかになってきました。

理解力については前々から気になっていましたが、つい先日リハビリの訓練士さんたちとのミーティングで指摘されました。曰く「よくお喋りするし、自分の意見もきちんと持っている。でも例えば、文章Aと文章Bを繋げた時に、その内容に一貫性がないようなことが多い」と。それは例えば「私の猫はおバカさんなの。なぜなら灰色なんだもの」みたいな文章の繋げ方をしてしまうということです。この意見には訓練士さんの間でも賛否両論あって、「これは彼女の遊びみたいなものだ」と主張する訓練士さんもいます。要は、大人の真似をしてペラペラと話したがるけど、実際には「喋る」ことに集中して楽しんでいるだけで、内容を特によく考えずに文章を繋げているのだ、ということなのですが、、、うーん、どうなんだろう。

いずれにせよ、集中力や理解力に問題があったとしても、それはちっとも驚くことではありません。なぜなら、そもそもムスメが生まれた時、左右の脳をつなぐ脳梁と呼ばれる部分がほとんど見られないと言われ、知的障害の大きな可能性についても言われていたからです。ただし脳梁の担う仕事は他の組織でも取って代わることができるため、小さいうちから沢山刺激を与えてあげることが大事、との医師の言葉を信じて、1歳ちょっとから早期学習クラスに通わせたりと、意識的に色んなアクティビティーをやらせるようにしてきました。その甲斐あってか、今ではなんとか普通校に通えるまでになったわけで、それだけでも私としてはバンザイと叫びたい気持ちです。

集中力も理解力も、歩行や食事などこれまでの他の課題同様、一般的な成長と比べてゆっくりでもいいから、ちょっとずつ身についていけばいいなと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ムスメのスクールライフについてですが、クラスでは本当に良いお友達に囲まれていて楽しそうです。

DSCF1309_convert_20160717234851.jpg     DSCF1336_convert_20160717234954.jpg

昨年9月、日本へ帰国する前に学校でお友達が壮行会をしてくれました。キスとハグの嵐!

特に、2歳の頃から保育園で一緒だったMちゃんと双子のSちゃん&Mちゃんとは大の仲良しで、休み時間も4人でいっつも一緒に遊んでいるとのこと。お家にも招待し合って、なるべく遊ばせてあげるようにしていますが、3人ともムスメの隣に座るのを巡って喧嘩したり、誰がムスメと手を繋ぐかで奪い合いをしたりと、ムスメへの愛が凄すぎて私もびっくりしちゃいます。双子ちゃんのママ曰く、自宅でもいつも二人して「今頃Lちゃん(ムスメ)は何をしているかしら」と遠い目をして呟くんだそうで、この底なしの愛情・友情に出会えたことに心から感謝です。

今年から新しく加わったお友達とは仲良くできるかな、と当初ちらっと心配していましたが、嬉しいことに私の杞憂に終わりました。ある日ムスメのノートに可愛い絵が書いてあるのを見つけて尋ねてみたら、「Lちゃんが書いてくれたの」と。Lちゃんも今年から入った新しいお友達ですが、ムスメを連れて学校に朝行くと、飛び出してきて挨拶してくれる優しい子です。

もう一人、新しいお友達の中にL君という体の大きい男の子がいて、新学期がはじまってすぐにムスメが「L君に顔をぶたれた」と言って帰ってきたことがありました。心配になり、もう一度同じ事があったら先生に相談に行こうと考えていましたが、それ以降は一度もなく、「ぶたれた」というのも「ぶつかった」の間違いだったのかなぁと思っていました。

そんなある日、お友達の誕生会でこのL君をよく知る機会を得ました。誕生会の会場ってみんな興奮していて押し合いへし合いで遊ぶので結構危ないのですが、この日もムスメが遊んでいるところに男子が大挙して押し寄せてきて「危ないっ!」と私が思った瞬間、なんとこのL君が体を張ってムスメをかばい、「今Lちゃんが遊んでいるんだから、押しちゃだめだよ!」とみんなに言ってくれたのです。それはまるで映画のシーンみたいでした。じ〜ん。この日、同じような場面を2、3回目にし、ワタクシすっかりL君に惚れ込んでしまいました(笑)。

DSCF4183_convert_20160717235442.jpg

お友達のお誕生会で。この日は屋上でパーティーでした。

こうして、クラスメート達にとても良くしてもらっているようで安心しましたが、驚いたのは、校内を歩いていると他の学年のお姉さんたちまでムスメの名前を呼んで手を振ってくれることでした。同じクラスにいるダウン症のMくんも学校中の人気者で、休み時間には学年問わずみんなに囲まれて遊んでいるのを目にします。毎回こんな場面に出くわすたびに、この国の子供たちの、”違い”に対する寛容さに心がポッとあたたかくなります。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ムスメが最近はまっていることをいくつか記録しておきます。

1)子供番組

以前は子供番組と言えばPOCOYO一辺倒でしたが、ここ半年ほどはNETFLIX(会員制動画配信サービス)でだいぶ色んな番組を見るようになりました。それは多分理解力がアップしたからだと思います。好きな番組は、日本にいた時はちびまる子ちゃんとおさるのジョージ、NHKの朝の子供番組も大好きでした。こちらに戻ってきてからはペパ・ピッグやダニエル・タイガー、Youtubeの音楽動画(特に英語の歌)に夢中です。

DSCF2620_convert_20160717232211.jpg     

基本、お姫様とか王子様には一切興味なし。そんなムスメがただ一度お姫様に扮した時の貴重な写真。

でもまだまだ映画を見るには至りません。映画って物語の展開スピードが速いし、画面上にものすごく沢山情報があって、ストリーを追っていけないのだと思います。一時『アナ雪』にはハマりかけましたが、それも最初の10分ぐらいだけを繰り返し見るには止まり、長時間ストーリーを追っていくのはまだまだできない印象です。早くムスメと一緒に映画館に行きたいと願っているのですが、この分だとだいぶ先になりそう。

2)音楽

音楽好きは変わらず、今年からR市の由緒ある音楽学校に週1回行くようになりました。学校の仲良し4人組が一緒と言うのもあるでしょうが、とっても楽しそうに通っています。習ってきたお歌はちゃんと教えてくれるし、お歌に合わせて踊ったりと、体を動かして音楽の世界を楽しむという体験をお教室ではしているようです。

DSCF4263_convert_20160718051235.jpg     DSCF4270_convert_20160718051332.jpg

公開レッスンの日。

他の子よりも理解も反応も遅いけど、双子ちゃん、Mちゃん、そして先生がフォローしてくれてました。

小さい頃から記憶力はかなりいい子だったので、長い歌詞でもすぐに全部覚えてしまうし、歌う音程もしっかりしています。ただ、この先もし音楽を続けていった場合、使える楽器はだいぶ限られることになります。肘を曲げて持つ管楽器は無理だし、指の関節がないので絃楽器もピアノも難しいでしょう。でも、打楽器ならムスメにもできるはずだし、種類も色々とあるので選べます。幸い、音楽学校でも子供向けクラスの今は打楽器がメインなので、今のところ問題なく活動に参加できています。

DSCF4280_convert_20160718052722.jpg

でも鉄琴はかなり怪しかったな~。

私もかつてピアノを弾き、6年間ほどトロンボーンに熱中したので、ムスメも音楽を奏でる楽しみを知ってくれたらいいなぁと思っていますが、どこまでハマるでしょうか。

3)自転車

補助輪付きですが、最近はガンガンこいで、10ブロック先の公園まで行って帰って来れるようになりました。でも一緒に横を歩いていく私たちの歩行速度なんてまるで関係ない勢いなので、パパが必死で走って追いかけていきます(笑)。脚力がアップしたのも、自転車こぎによるところが大きいかもしれません。

DSCF4223_convert_20160718052843.jpg

パパ的には散歩というよりジョギングなので、要スウェット。

4)文字

昨年11月頃に日本で文字を教え始めた頃は、ほんっとにイヤイヤ書いていて、私もキーっとなることが多かったのですが、無理矢理でもあれをやっておいて良かった、、、。なぜなら1年生のクラスでは一文字ずつ書き方を教えることはなく、いきなり黒板にだーっと書いた文章をノートに写させるところから始まったからです(汗)。

DSCF3385_convert_20160717234652.jpg

これが、”ザ・イヤイヤお勉強”の図。ご覧ください、この目つき。

予習のおかげで一応ベースはあったので、ムスメもなんとか付いて行けた感じでしたが、最初の頃のノートはもちろんグチャグチャ。ところが、いつの時点からか文字を書くのが大好きになりました。今はまだ意味のある単語とか文章などはまだきっと自信がないのでしょう、書ける癖にあまり書きたがらず、ひたすら意味のない文字の羅列をガシガシ紙に書いているだけですが、苦手意識が無くなっただけでもすごい進歩です。公文が出している太めの「こども鉛筆」が握りやすいようで、小さなお子さんやアペール症で指関節のないお子さんにもお勧めです。

日本語はひらがな、カタカナ、漢字があるから文字学習は本当に大変ですが、簡単だと思っていたローマ字も子供には意外とややこしいのだと分かりました。なぜなら、大文字、小文字にくわえ、ムスメの学校ではなぜか既に筆記体(大文字&小文字)まで教え始めているからです。リハビリの先生とも相談して、ムスメには今の時点では筆記体はやらせないと決めましたが、他のお子さんの中にも、筆記体とそうでない文字を混乱して混ぜて使ってしまう子もいて、ちょっと問題になっています。同じ公立学校でも筆記体は2年生から教える学校も多く、担任の先生の一存で決まる進め方に疑問を感じる部分もだいぶあります。

5)お絵描き

肩、肘、手の障害から、鉛筆を握って絵を描くことがあまり得意ではない子でしたが、最近なんだか新しい流れを感じさせる絵を描き始めました(笑)。お友達がみんなお姫様を描く中、ムスメのお絵描きはこんな感じ。斬新じゃないですか??

DSCF4316_convert_20160717235943.jpg     DSCF4314_convert_20160717235811.jpg

DSCF4318_convert_20160718000123.jpg     DSCF4317_convert_20160718000043.jpg

しっかり鉛筆を握って、力強い線が描けるようになったことが何よりです。「出来ないからやりたがらない」という消極的な態度もだいぶ影を潜め、時間があれば「ママ、紙ちょうだい」と机に向かって黙々と作業するようになったのもとっても嬉しいことです。そして描き終わると必ず、「これはママに」と言ってプレゼントしてくれる。どの絵にも、たいていどこかに「MAMA」の文字が入っていて、もう胸がキュンキュンしまくりです。

DSCF4177_convert_20160717235530.jpg     DSCF4167_convert_20160717235723.jpg

人の描き方も昨年に比べるとだいぶ進化しました。

でも、学校で”お題”を出されて描くのは大嫌い。具体的なモノを似せて描くことに苦手意識があるようで、具象画を描き始めるまではまだ時間がかかりそう。

DSCF3959_convert_20160717235621.jpg

もくもくと制作中。

6)読書

寝る前の読書の習慣は今も続いていて、読まないと絶対に寝てくれません。気に入った本を飽きるまで読むので、時には何ヶ月も同じ本を読まされます。今回も日本滞在中からアンパンマンの本にハマっていて、お話の中で子供達が「アンパンマ〜ン!」と叫べばムスメも叫び、アンパンマンのお顔が新しくなれば音楽を口ずさみと、寝るギリギリまでノリノリです。子供心を惹きつけるアンパンマンの魅力って本当に凄いものがありますね。

でも、本にはかなり好き嫌いがあって、どんな本でも興味を持って読んでくれる訳ではありません。ムスメの本の趣味は私とかなり一致していて、私がつまらないなーと密かに思っているような本にはまず興味を示しません(アンパンマンは例外)。特にスペイン語の本でハマった本はごくわずか。確かに、正直こちらの絵本には、よくこんな程度の本が出版に漕ぎ着けたなぁ、とびっくりするような本も多いと個人的には思います。ムスメが唯一ハマったスペイン語の本は有名な翻訳本で、『かいじゅうたちのいるところ』という素晴らしい作品。この本は日本語版の方にも夢中になりました。

では、ムスメは果たして本好きなのか?これが最近ちょっとしたテーマになっています。と言うのも、実は学校の読み聞かせの時間に、ムスメがボーッとして全然興味を示さないと先生から言われまして(汗)。最初は難聴で聞こえていない疑いが持たれましたが、どうもそうでもないらしく、内容がつまらないから関心を示さないのか、物語を追うのが難しいという理解力の問題なのか、はたまた集中力の問題なのか、関係者一同頭を悩ませていますが、今のところはっきりした原因が分かりません。

年間300冊ぐらい読破する”本の虫”のダーリンの子、年間350冊ぐらい読破する物書きのじいじの孫として、本と無縁の人生を送るはずはないような気がするのですが、今後の展開に注目です。

7)架空の世界のお話し

2年ぐらい前からムスメが自分で作った架空の世界のお話しをよくするようになりました。確か、日本へ初めて帰国するちょっと前ぐらいから、お友達の”ピストルちゃん”(←すごい名前)という子が登場したのが最初だった気がします。

ムスメの話によると、このピストルちゃんはムスメが飛行機に乗れば同じ機内にいて、ムスメが入院すれば彼女も入院しているという具合に常にムスメの側にいて、いつでもムスメと同じような経験をしていました。日本ではじいじのお家から数ブロックのところに住んでいたし、ムスメとタイで象に乗った時も、ピストルちゃんはすぐ後ろの別の象に乗っていたんだそうです(汗)。

20160719000356879.jpeg

これが恐怖の象乗り体験です。このお話は後日きっと書きます(涙目)。

ところが、これほどずっと一緒だったピストルちゃんは、今回日本からアルゼンチンに帰ってきてから姿を消しました。ムスメ曰く「もうピストルちゃんはいないの。旅行に行っちゃったから」と、、、。この時やっと気がつきました。ムスメにとってピストルちゃんって、ものすごく大変だった2度の日本帰国と6度の手術を乗り越える間、ずっと心の支えだったんじゃないかって。

これまでいつも不思議に思っていたのですが、日本滞在中は仲良しのお友達の話をしたがらず、学校の先生やクラスメート達からメッセージをもらっても大して見たがらず聞きたがらず、むしろどんどんピストルちゃん話にのめり込んでいくように見えました。もしかするとそれは、一緒にいたくてもいられない”現実世界のお友達”の存在はむしろムスメには辛く、どこまでもついて来てくれて、大変な経験も共有してくれる想像上のピストルちゃんが心の逃げ場になっていたのかもしれません。

このことに気がついた時は、ムスメの健気さに思わず涙が溢れました。子供の自己防衛本能って本当にスゴイ、、、。もともと、手に入らないものには決して文句を言わない子で、日本滞在中もパパに会えないことや、自分のおもちゃがないことを決して口にしませんでした。アルゼンチンに帰りたいとか、お友達と遊びたいとかも一切言わず、全てが終わって帰ってきた時になって初めて、帰ってこれて嬉しいと本当に全身で喜びを表現していました。その我慢も、ピストルちゃんが居てくれたからこそできたのかもしれません。

さて、ピストルちゃんがいなくなった今、新しく取って代わった登場人物は、”私のお姉ちゃん”です。もうこのお姉ちゃん、毎日年齢も変わるし(8歳から80歳まで!)、時には独身だったり、時には赤ちゃんがいたりと、ムスメの果てしない想像と欲求を満たすために日々激しく七変化しています。日本滞在中に私と姉の仲良しぶりを目にして影響を受けたのでしょう。当分は”お姉ちゃん話し”に花が咲きそうな勢いです。

DSCF3495_convert_20160717233716.jpg DSCF3524_convert_20160717232729.jpg 20160719213348d99.jpeg

姉夫婦と一緒に行ったディズニーランドやIKEA。楽しかったな~。

世のお母さま方、こういう”架空の世界の話”をするのは、6歳児には多いものなのでしょうか。それとも、ムスメの生い立ちから生じたことなのでしょうか。是非ご意見をお聞かせください。

DSCF4127_convert_20160717235345.jpg

ちなみにこちらは”現実世界のお兄ちゃん”のお誕生日の写真。もう13歳ですよ!

8)大人の真似

日本にいた時、じいじが新聞を読むと「大変大変!」と慌てて自分も新聞を手に取り、じいじが本を読めばこれまた「急いで急いで」と大慌てて文庫本を手にしてじいじの横で読みと、コピーロボットのごとくじいじの真似をしていたのですが、最近では私が携帯で友人と話している内容を聞いては、おもちゃの電話で話をリメイクして誰かと話しています。聞いていると、なんだか、話し方まで私そっくりなんですが(汗)。

DSCF2618_convert_20160717231844.jpg     DSCF2429_convert_20160717232256.jpg

証拠写真。

今はNINAを叱るのがマイブームらしく、これまた私がムスメを叱る口調そのままで、激しく遊ぶ子猫を指差し「それしちゃダメでしょう?分かったぁ?」と実に生き生きと叱っている姿が可笑しいです。

DSCF2572_convert_20160717231924.jpg

電話の会話には私の友人が多数登場&イマジネーションで凄い世界が展開します。

9)写真

以前もチラッと書きましたが、実はムスメは写真を撮るのがとっても上手です。カメラを構えたと同時にあっという間にシャッターを切るので、絶対にフレームに収まってないと思うのですが、見てみると構図バッチリで毎度びっくりします。

DSCF2514_convert_20160717234538.jpg

ムスメ撮影のこの1枚が私のベストショットかも。

そこでクリスマスにキッズカメラをプレゼントしましたが、意外にもこれにはあまりハマらず。あくまでも私が使うちゃんとしたカメラか、携帯での撮影にこだわるので、近いうちに安いデジカメを買ってあげようかと思案中です。

DSCF2501_convert_20160717232109.jpg     DSCF2499_convert_20160717232346.jpg

じいじと一緒にムーミンのぬいぐるみを撮りまくり。

DSCF2444_convert_20160717231142.jpg     DSCF2447_convert_20160717231301.jpg

新しいカメラを記念して、私も鏡の前でムスメと撮影会をしてみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

予告の通りすっかり長くなりました。

昨年のお顔の大手術についても、いつかきちんと記録に残そうと思いながら10ヶ月も過ぎてしまいました。あの手術では頭にがっつり延長器をはめられ2ヶ月過ごし、ムスメも私も家族全員ものすごく大変な思いをしましたが、それが終わってようやく、誕生直後から続いていた6年間に及ぶ手術ラッシュも一段落しました。そして今、母子共に今まで体験したことのない”凪”の時を満喫しています。

そんな中、先日突然ムスメが言いました。

ムスメ「ママ、日本にいた時、私、頭に延長器付けていたでしょう?」

ワタシ「うん、そうだね。大変だっだよね。」

ムスメ「でもママがずっと見ていてくれた」

ワタシ「うん」

ムスメ「ママ、ありがとう。大好き。」

ワタシ「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(ボロ泣き)」

正直に告白すると、これまの15回に渡る手術はいつも、私が時期や医療機関を決めてきたため、ムスメの痛そうな姿を見るたびに全ての責任が自分にあると感じて、その重さに潰されそうになってきました。手術や治療が上手くいかなかった時はどうしても自分を責めてしまい、やり場のない思いも積もりました。それでも周囲で応援してくれる人たちに、「いつかきっとムスメちゃんに感謝される日がくるから頑張りなさい」と励まされて今日まで来ましたが、そんな日はずっとずっと先のことになるだろうと思っていたんです。

それが、たった6歳の小さなムスメが、「ありがとう」って、、、。

本当にびっくりして信じられなくて、とっさに言葉も出ず、ただただムスメを見つめたその目から涙が溢れて止まらなくなりました。思わず声をあげて泣き出してしまいそうで、慌てて手で口を押さえたままボロ泣きする私を、立ち上がったムスメがぎゅっと抱きしめてくれました。

母としてムスメの看護師として、最初の1年間は無我夢中で、その後の5年間も散々迷って悩んで歩いてきましたが、ムスメと手を取り合って乗り越えてきた全てのことを「やって良かったんだ」って、ようやく心から思えた瞬間だったかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近ではムスメがよく「ママが私の一番のお友達」と言ってくれます。これからは”看護師”を返上して”親友”になれたらいいな、と母6歳6ヶ月を迎え、密かに願っている今日この頃です。

DSCF3800_convert_20160718194249.jpg

魔法の夜と悩める青春時代

先日、本当に久しぶりにライブを見に行ってきました。Lisandro Aristimuño というパタゴニア出身の若いアルゼンチン人のアーティストでしたが、パフォーマンスも音楽もとっても良くて、感動してボロボロ泣いて帰ってきました。

 

 

不思議なもので、ライブを見ている間にものすごく沢山のことを感じて思い出して考えました。そもそもこんな風に音楽を聴きに夜一人で出かけるなんて贅沢ができたのは数年ぶりだったし、ムスメのこと以外で感動して泣いたことなんてこの6年間ほとんどなかったかもしれません。

 

音楽を聞きながら、これまで忘れていたことや、心の奥深くに仕舞い込んでいたことが驚くほど鮮明に頭をよぎって、感情の激流が押し寄せて自分でもびっくりしましたが、それはきっと若い頃ライブハウスによく行っていたことと、この夜の経験が重なったからだったのだと後から気がつきました。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

都内のライブハウスによく通っていたのは、20歳前後のこと。その当時の私は都内の某美大に通う大学生で、ベースを弾く彼がいて、周りには音楽をやっている人がとても多かった。ベルボトムをはき、古着の皮のコートにかかとの分厚いブーツ、髪の毛はセシルカットでベリーショートにしたり、アフロにしたり、シャギーのストレートにしたりとどこまでもヒッピーで、くわえ煙草でトム・ウェイツを聞きながらポンコツを運転していたものです。あ〜、若かった〜(笑)!

 

将来のビジョンも見えなくて、精神的にも不安定で、大してお金もなかった時代で、大学卒業したての彼と一緒に狭いアパートで料理をしたり、映画を見たり、議論したり、猫と遊んだり、散歩する日々でした。当時、新宿のジャズバーでアルバイトをしていた彼が、お店でいつも作ってくれたカシスオレンジや、かけてくれたケニー・ドーハムの曲まで今でもはっきりと思い出せます。80年代の若者らしく、お金が貯まるとバックパックを背負ってアジアを放浪したりして、先の見えない苦しい青春時代だと感じていましたが、今振り返るとどの思い出もキラキラ輝いている気がします。そう、今は亡き愛猫のコゲも、この頃彼のアパートに現れたのがきっかけで、その後10数年間の人生を共にすることになったのでした。

 

 

改めて振り返ると、あの時代は、私が大海原に飛び込んで本格的に世界を航海し始める前の、最後のぬくぬくした時間だった気がします。日本の外に飛び出してからもう15年以上経つ今、その間の全ての経験が面白かったし、一個も後悔していないと言えますが、でもそれはやっぱり体を張って闘ってきた年月でもあって、あの新宿で仲間たちとワイワイ過ごした時間は、無邪気にのんびりと楽しかったなぁと懐かしく思い出しました。

 

そんな時代を共有した大事な友人で、昨年の今頃に他界したSのことも、ライブを見ながらずっと考えていました。あの当時の彼女を本当に懐かしく思い、会いたい気持ちでいっぱいになり、一人でボロボロ泣きました。彼女と二人、目一杯背伸びして、尖ってて、カッコつけて、色んなライブやイベントに行ったものです。そして不意に思いました。いつのまに私、こんなに丸くなっちゃったんだろう、こんなに怖がりになっちゃったんだろうって、、、。今ここに彼女がいたなら、二人でそんなお互いの変化について沢山話せたのになぁと、心から彼女を恋しく思い、彼女の不在を痛烈に感じました。

 

 

おかしなもので、ライブが終わる頃には、勢い込んで「ベルボトムを買いに行こう!」なんて思っている自分がいました。なんかこう、忘れていた自分を取り戻そう、原点に戻ろう、という気持ちになったのかな。別に今の自分が嫌だという訳でもないのですが、こういう感情って、過ぎし時代への愛着なのかもしれません。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やっぱり、クリエイティブなものに触れて刺激を受けるという経験は、いくつになっても意識してしないとダメですね。すっかり忘れていた感動を再体験し、20年以上も前のことを鮮やかに思い出した魔法の夜でした。

 

悩める青春時代も悪くなかったね、S。

 

私のこと 草木のこと

最近、自分のブログのあり方をずっと考えていました。実は日本から帰ってきてからの3ヶ月間ほど本当に目の回る忙しさで、限られた時間の中でもの凄くたくさんの問題解決に迫られ、精神的にかなりきつかったこともあり、そのことをブログにも書きたい、訴えたい、吐き出したいという思いがずっとあったのです。

 

例えばそれば、アルゼンチンの障害者福祉は手厚いもののその申請手続きが死ぬほど煩雑で毎年4〜5ヶ月間はその作業にかかりきりになってしまうこととか、今年もお願いするはずでリハビリの時間割など難しい調整を全て済ませていた送迎車さんがリハビリ開始前日に突然短いメッセージ一本で辞めてしまったとか、その人の代わりを探すのにもの凄い苦労をしてとんでもない運転手さんに当たってしまったり、その間ムスメのアクティビティーが全て保留(=私の自由時間もゼロ)になってしまったとか、学校が始まってからムスメが廊下で転倒して顔を打ち鼻血が3日間止まらなかったとか、手術したての顔面を打つのは絶対に避けなければならないので付き添いさんの時間帯について学校側と再三協議したけれどなかなか合意に至らなかったとか、ある日学校から娘のカニューレが外れたと連絡があって私は学校までのタクシーの中で胃がひっくりかえって呼吸困難になるぐらい心配したとか、、、、一つ一つの事情を詳しく書こうと思ったら、それはもうブログをどれだけ長く書いても足りないほどでした。

 

何度も書きかけてはやめ、また手をつけては立ち止まり、そうこうしている内にもっと楽しいこと、興味あるテーマが生活の中からどんどん出てきたので、そちらを優先させて書いている内に日が経って、気がついたらこの3ヶ月間の辛かった気持ちもだいぶ消化されて体からスーッと抜けていました。

 

なかなかうまく書けずにジリジリした気分の時に、この「実際に書きたいことの10分の1も書けない」ジレンマをある方にちらっと話したら、その方から「実際にはもっとずっと忙しかったりもするのでしょうが、私はこのブログのタッチが好きです」というシンプルでいてどこか深いコメントをいただき、そこでふと考えさせられました。そうか、別にこのブログに、私の実生活の全てをぶつけなくてもいいのか、と。色々な経験や感情を忘れないように記録しておきたいという気持ちもありましたが、「記憶」という装置が自然に淘汰しているように、忘れてしまってもいいものは忘れていけばいいのかもしれません。

 

もともとかなり開けっぴろげの性格なので、これまでも辛かったこととか泣き言なんかもだいぶストレートに書いてきましたし、これからもそれは変わらないでしょうが、一つ一つ起こったことを詳細に伝えて訴えなくても、もっと筆の進むこと、書きたいと思うことを思うままに書いていけば、それが自然に私らしいブログを作っていくことになるのかもしれないし、後から読んだ時に良い記録になっているのかもしれないと、少し吹っ切れたような気がします。エルサルでお仕事中のMさん、ありがとうございます。あなたがさらっと書いてくれた言葉が、実はずんと胸に響いていました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ずっと書きたかったお庭のことを少し。私の留守中はかなりワイルドな風情の「緑地」と化していましたが、この数ヶ月の間に少しずつ手を入れて徐々に「庭」らしい姿を取り戻しました(笑)。

 

この機に思い切って大型の園芸用ハサミを購入し、かなり切りにくい葉っぱも根元からばっさり切れるようになったお陰で、私の愛するヤシの木も見違えるほどすっきりしたお姿に。壁を伝うスイカズラもダラダラと伸びていた部分を切って形を整え、伸び放題だった八重のハイビスカスも枝を払って小ぢんまりした姿になりました。

 

image1_convert_20160512030951.jpg

 

実はこのヤシの木、買った時は1株だと思っていましたが、2株がくっついていたことが後に判明しました。小さい方は切ってしまわないと真っ直ぐに育たないと言われましたが、この2本ぴったりと寄り添う姿が母と子を思わせるため、とても切り離す気になれず、そっとしておくことにしました。このヤシの木を見ると、ついいつも自分とムスメを連想してしまい、愛おしくてたまらなくなります。

 

先日も書きましたが、根っこしか残っていなかったお気に入りのカラーは、もともと湿気を好むため3週間の長雨を機に復活を遂げ、逆に新しく植えたばかりだったアフリカ原産のEricaという植物(エリカ属ツツジ科)はあまりの湿度に腐ってしまいました。このエリカ、乾燥に強いと言われ、うちの庭の中でも特に日差しが強くて他の植物が育たなかった場所に植えたところとっても綺麗に花を咲かせていたのですが、このまさかの長雨で短命な結果となりとても残念です。短命すぎて写真もありません(号泣)。

 

image3_convert_20160512031759.jpg     image4_convert_20160512032143.jpg

多肉植物の皆さんはやっぱり頑丈で元気です。天候に左右されないので頼もしい。

 

こちら(右側)↓の立派な鉢植えは、去年ダーリンが誰かからもらってきたと言って庭の隅にポツンと植えていたちっぽけな葉っぱでしたが、この夏の酷暑にも耐え、ものすごく大きくなっていました。日本滞在中に咲いた花をダーリンがスカイプで見せてくれたところ、どうも蘭の一種のよう。あまりに大きく育って周囲の植物とぶつかり合ったため、今回鉢に植え替えてみました。

 

image2_convert_20160512031212.jpg

次に花が咲くのが楽しみ。前回はカメラ越しだったので、本物をこの目で見てみたい!

 

その左側にある赤い花をつけている植物は、私が先日一目惚れして買ってきたDiplademiaと言います。キョウチクトウ科だそうで、日本語でもそのままディプラデミアと呼ばれるよう。ツタ系植物なので、本当は地面に植えて壁に這わせたいところですが、我が家にはすでにスイカズラがいるため這わせる壁がもうなく、諦めて鉢植えにしました。鉢だとどこまで育つかな。最近寒さからか葉っぱが黄色くなって少しずつ落ちるようになっていて心配です。慣れない植物ってお手入れがドキドキですね。水の量が多いか少ないか、寒いくないか暑くないかと、まるで幼い子供を育てている気分です。

 

image5_convert_20160512032432.jpg     image6_convert_20160512032548.jpg

日本だと6~9月に花が咲くとか。こちらではその反対なので12~3月かな?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さて、実は今”家の中に温室&工房を作ろう”プロジェクトを思案中です。そこで、数ヶ月後にはきっとできるであろう温室に置くための観葉植物を少しずつ集め始めたのですが、一つ鉢植えが増えるたびに何とも言えない幸福感に満たされています。この数年間は入院や旅行で家を空けることが多かったので、室内に植物を置かないようにしてきましたが、生活空間にグリーンがあるって本当に良いものですね。目にするだけで心が優しく穏やかになる。植物って本当に平和の象徴だなぁとしみじみ思います。

 

image1+(1)_convert_20160512030843.jpg     image3+(1)_convert_20160512031307.jpg     

新しく我が家に来てくれたアイビーとハイエロファントグリーン(法皇緑とも呼ばれるよう)。

 

誰に教えられたわけでもないのに、いつの間にかこんなに植物が好きになっているのは、きっと実家の母の影響なのだろうと思います。母が幾つもの鉢植えを大事に大事に育てていた姿は、いつも心に残っている風景の一つです。日本に帰国して姉夫婦の新居に行ってみたら、そこでもやっぱり部屋中に所狭しと大小のプランターが並んでいて、姉がせっせと世話をしていました。気がつかないうちに色々な影響を受けているものです。

 

image2+(1)_convert_20160512031054.jpg

この鉢植えはダーリンと暮らし始めた8年前から彼の家にあったもの。

幾度かの危機を乗り越えて、今では青々と元気です。まるで私たちの関係そのもの??

大事にしないとです。

 

温室&工房プロジェクトの詳細はまた近々。

小学校1年生の性教育

熊本地震が発生してから毎日のようにニュースを追っていて、2001年に経験したエルサルバドル大地震の眠れぬ夜を思い出しました。毎晩洋服を着たままベッドに入り、避難用のリュックを握りしめて浅い眠りについては、余震のたびに目を覚ましたものです。あの治安の悪い国で、それでも多くの人々がガレージや軒先にマットレスを出して眠っていたことも忘れられません。

この地震で、私が勤めていた国立大学の同僚教師もご家族と共に土砂崩れに遭い、命を落としました。熊本地震で被害に遭われた方々に深く哀悼を捧げると共に、1日も早い復興を心よりお祈りします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こちら南米でも先月16日にエクアドルでM7.8の大地震があり、600名を超える死者を出しました。なんだか世界中で異変が起きているような気がします。それは気候も然りで、ここR市では4月に3週間ほどずっと雨続きという異常事態が起きました。いわゆる雨季のないアルゼンチンで、今回のこの長雨は例を見ません。空気中の湿度があまりにも高すぎて、家中の鏡が曇りっぱなし、タイルの床も壁もビタビタに濡れてしまった日もありました。こんな自然現象を見るのは生まれて初めてのことだったので、どうしたら良いかも分からず呆然としました。

気温の上昇、気候の変動、地震。やはりもっと地球を大事にしなければならないという合図なのかな、と改めて思います。先日遂に近所のスーパーでは買い物用のビニール袋を廃止しましたが、アルゼンチンには分別ゴミの制度がないなど、改善すべきテーマがまだまだ山のようにあります。

DSCF4052_convert_20160506054420.jpg

やっと雨がやんでお外に出られたけれど、どんより曇り空。

肌寒いのに湿気が多くて公園では蚊が大量発生。これもやっぱり不気味な現象です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、いつものようにだいぶ時間が経ってしまったのですが、去る4月7日、ムスメの学校で1回目の父母会がありました。

担任のクラウディア先生から最初に話があったのは、意外にも性教育についてでした。この学校では既に昨年5歳児クラスの時点で性教育の導入が始まっていて、男女2体のお手製のお人形を生徒たちが順番に自宅に持ち帰り、「目」「鼻」「口」「髪の毛」など学校から出される指示に従って、親子で好きなようにパーツを付け加えていき、年の最後に完成させるという面白いプロジェクトを行っています。私は型紙から人形本体の布を切る作業には参加できましたが、その後は日本に行ってしまったのでパーツを加えていく過程は見ることができず、この日初めて完成体を見せてもらいました。

男の子はホセ、女の子はマルガリータという名前のこのお人形たちにはちゃんと生殖器もついていて、5歳の子供達はこのお人形を通じて体の違いなどを学んだそうです。今年はもう少し踏み込んで、男女差だけでなく個体差もあること、違いをバカにしたりからかったりするのではなく、互いに尊重して調和のある環境を作り出すことを学ぶ予定だそう。

こうした教育は、この国で非常に多く見られる性的虐待への対応策でもあります。何かされた時にしっかりNOと言えること、すぐに誰かに相談できること、子供達にはみんな知る権利と守られる権利があると知ること。更には性感染症の予防や望まぬ妊娠の防止にも繋げていくということです。法的に堕胎が禁止されている国なので、私がムスメを出産した時にも、病院には13歳や15歳の幼い”お母さん”が何人もいました。小さい頃から性教育が徹底される必要性が高いのも頷けます。

DSCF3968_convert_20160506053758.jpg     DSCF3973_convert_20160506054021.jpg

4月のとある土曜日、お誕生会が2つもあって、昼も夜も遊び倒したヒト。

DSCF3981_convert_20160506054143.jpg           DSCF3992_convert_20160506054317.jpg     

さすがに夜のお誕生会では後半ぐったりしていましたけど(笑)。

父母会には教頭先生も参加していて、”Desprincesacion(脱お姫様)”という活動についてもお話しがありました。曰く、こちらの国では女の子達のお姫様好きが半端ではなくて、例えば汚れるような遊びはしたくないとか、男の子が使うようなオモチャは嫌がるとか、ピンクや赤じゃないと使いたがらない色差別の現象が幼い頃から顕著に見られるそう。また、ディズニー映画の影響から、”王子様”と”結婚すれば”幸せになれる、というような刷り込みも強く、それは決して放置しておいて良い価値観ではないという認識があるようです。

そもそもラ米社会では幼い頃から性差が顕著です。生まれた時に女の子にはピアスをさせる習慣があるし、3、4歳にもなるとマニキュアを塗って幼稚園に通う女児もたくさんいます。女の子用の衣料品はすべからくピンクか赤で、オレンジや黄緑を探すのは難しく、シックな色合いとなるとほとんど見つかりません。自分の子供時代を考えると、日本の小学生ってもっとずっと中性的なイメージがあって、当初はこうした現象に慣れずに戸惑うこともありました。

また元来、ラ米社会には「マチスモ」が根強くはびこっていると言われます。「マチスモ」を大雑把に表現すると「男尊女卑」に近いと言えるでしょうか。男はこうあるべき、女はこうあるべきという概念が未だ強く、そうした家庭内のしつけから、例えば休み時間中も女の子はあまり場所を取らないようはじの方にじっと座って動かず、男の子だけが我が物顔で校庭を駆け回り独占して使う、というような”不公平な”現象も見られるのだそう。こうした古典的な概念からの脱却を学校としては目指しているというようなお話でした。

ここまで聞いてようやく理解しましたが、これは単なる”性教育”ではなく、いわゆるジェンダーフリー教育なんですね。クラスのお母さん達に聞いたところ、ムスメの学校はかなりリベラルだそうで、実際には学校ごとで方針は様々とのことですが、性差の激しい社会だからこそこうした教育が低学年から導入されているのは間違いなさそうです。

私個人としては、男女の「らしさ」を頭から否定するのではなく、個々の個性や男女の性差を尊重した上で、多様な価値観を認めることが大切ではないかなと先生方の話を聞いていて思いました。そうした認識のもと、それぞれの子供達が自らの意思で己の道を自由に選択できる社会になると理想的かな、と。アルゼンチンにはフェミニストがとても多いと常々感じてきたので、逆に言えば、最終的に「私はお姫様になりたいのよ」という選択肢もまた尊重されるべきだろうと思いました。

父母会では色んなお母さんから面白いコメントが出ました。例えばこの先、お人形のホセもマルガリータももしかすると自分の性別を変えたいと思うこともあるかもしれないとか、ある時全身にタトゥーを入れてくるかもね、とか。そんな意見に対して皆んなで笑ったりうなずいたりしているのを見て、ああ、アルゼンチンだな〜としみじみ思いました。こんなコメントもこんなリアクションも、きっと日本の小学校1年生の父母会では見られないだろうと思うので、、、。この2体のお人形は子供達が小学校を卒業するまで一緒に成長していく予定なので、今後の彼らの変化がとても楽しみです。

先ほども書いた通り、教育方針も考え方もアルゼンチンの中でも色々とあるでしょうが、この国が様々な国から移民を受け入れてきた歴史から、他のラ米諸国と比べても”多様さ”に対してかなり寛容な国であるのは間違いないと思います。歴史的にはもちろんのこと、今もなお差別がないとは言えませんが、”違い”を尊重する、もしくは尊重しようと努めるこの社会では、例えば公務員や銀行員が鼻ピアスをしていたり、モヒカンだったり、タトゥーが入っていたりするのも普通に見かけます。日本だったら絶対にあり得ない風景に最初はびっくりしましたが、それもまた多様性を許容するという姿勢の延長線上にあるのだろうと思うようになりました。

私にはこの社会のあり方が、どこか風穴があいているようで息がしやすい。自分自身でいられることは自己肯定感に繋がっていく大事なことだと思うし、外国人である私も、障害児であるムスメも、違いをあまり意識させられずに受け入れられていると心から感じます。入学当時から常に言われてきたこの学校のポリシー、「みんな違っていて当たり前。みんなちがっていて良い。みんな違うけど公平に扱おう」という言葉に、子供の頃から窮屈な校則やしきたりが苦手だった私は救いを感じています。

DSCF4058_convert_20160506054520.jpg     DSCF4067_convert_20160506054822.jpg

                                                         DSCF4084_convert_20160506054926.jpg

こちらでは5月1日のメーデーは大切な日で、学校でも行事がありました。

1年生は働き者のアリさんに扮して参加。子供が仮装する機会がとても多いので、親は準備が大変です。

13102675_10208328310519860_1335765945691588331_n_convert_20160506053631.jpg DSCF4103_convert_20160506055025.jpg 13087760_10208328310759866_7226194700640250505_n_convert_20160506053711.jpg

でもこんな可愛らしい晴れ舞台を見ると報われます(笑)。

神妙な顔して列の最後尾に付いて行ってたくせに、突然一人立ち上がって私に手を振ったりして大笑いでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ピカピカの1年生の最初の父母会から性教育の話でちょっと面食らいましたが、突き詰めていくともっと広いテーマに繋がっていき、考えさせられることがとても多かった。日本で子育てをしたことがないので分からないのですが、現代日本の小学校1年生、そして性教育ってどんなものなのでしょう?興味深々の今日この頃です。

DSCF4017_convert_20160506060939.jpg

おまけ:長雨で庭のカラーが復活しつつあります。お帰りなさい。

ピカピカの1年生

あっという間に帰国から2ヶ月が経ちました。こちらは昨日辺りからぐっと気温が下がり、すっかりスープの美味しい季節になりました。我が家では、冷蔵庫の切れっ端野菜と白ワイン、オリーブオイル、ローリエをぐつぐつ煮て、カッテージチーズと庭のイタリアンパセリを乗せた即席スープが皆のお気に入り。簡単で美味しくて冷蔵庫の中身が一掃できるありがたいメニューです。

DSCF3949_convert_20160407044727.jpg

庭のイタリアンパセリ、バジル、ローズマリーが活躍中。本格的に家庭菜園を始めようかな。

そんな秋の訪れと共に、去る3月2日、ムスメがピカピカの小学1年生になりました。

DSCF3697_convert_20160407040414.jpg

小学1年生から皆キャスター付きのリュックをゴロゴロさせて登校し始めます。

日本で入学式と言えば、本人も家族も正装で参加する大事な行事だと思いますが、こちらアルゼンチンの公立学校では生徒はユニフォーム、親達も普段と変わらない服装で登校でした。お教室に入る前の10分間ほど、学校の中庭になっている広い廊下に全校生徒が集まって、毎朝行われる国歌斉唱と国旗掲揚、校長先生から短い歓迎の挨拶があり、各学年の担任教員が紹介されただけで、普段と変わらないとってもシンプルな”お式”?にちょっぴり拍子抜けしました(笑)。

新しいクラスの担任はクラウディア先生。恰幅の良いベテラン先生というイメージです。クラスメートは23人で、そのほとんどが去年のプレスクールのお友達なので、みんなと仲良くできるかな、という入学に伴う心配事の半分は軽減されました。学校に着いた途端、半年ぶりにムスメを見つけたクラスメート達が次々と声をかけてくれたり抱きしめてくれたりして、本人もとっても嬉しそうでしたし、ムスメのお顔が変わったことを気にする子供がほとんどがいなかったことにも私は驚きました。こちらの子供達の柔軟さや懐の深さには、本当にいつも感心させられます。

DSCF3710_convert_20160407040714.jpg     DSCF3713_convert_20160407040805.jpg

座席フリーで、この日は仲良しのMちゃんと並んで座っていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここでアルゼンチン(R市)の学校事情を少し。こちらの公立小学校は基本的にユニフォーム着用です。男女問わず下はスエットパンツ(夏は半ズボン)、上は学校のロゴ入りTシャツとパーカーかトレーナーと、とってもラフな格好で、体育の授業もこのままやります。学校ごとにユニフォームの色が決まっていますが、ほとんどが紺色か緑で、色さえ守っていれば基本的にどんなズボンでもTシャツでもOKのよう。ムスメもユニクロで買った紺色のレギンスで登校しています。中等教育になると私服の学校も増えるようで、小学校は私服、中学校からは制服の日本とは逆ですね。

公立小学校は午前と午後とに分かれていて、就学時間は午前コースなら8時から12時、午後コーでスなら1時から5時とたったの4時間です。私立校の中には日本のように朝から午後までの学校もありますが、数は少ないよう。ネックは昼食だと思います。日本では当たり前のようにやっている学校給食ですが、実現に至るまでかなりたくさんの条件をクリアしなければできないものなんですね。

午前午後と別れている学校の場合、通常は生徒だけでなく教員も入れ替わるので、雰囲気もガラッと変わるみたいです。学校の規模は様々ですが、ムスメの学校はこじんまりしているので、1年生は午前午後それぞれ1クラスずつあるだけ。校長先生も全校生徒の名前を覚えているほどアットホームな雰囲気です。

学区制ではなく、各自が好きな学校を選んで行けるところも日本とは違うところ。一応学校ごとに優先的に入学できる区域は設けていますが、空きさえあればどこでも入れてくれるので、親の職場近くの学校に通わせるケースも多いです。また、兄弟が通っている場合や親がその学校の卒業生だったりすると、住所関係なく優先的に入れてもらえるのも面白いなと思います。我が家の場合、色んな関係者の方が勧めてくれた学校がたまたまセドリックの通っていた学校だったおかげで、家からは遠いですが問題なく入れてもらえることになりました。

この制度の良いところは、イジメや教育方針の相違などがあった場合すぐに学校を変われること。以前書きましたが、かくいうセドリックも前の学校でバレエをやっているとバレていじめられ、この学校に転校した経緯があります。ただ、学区がないとご近所に学校のお友達がいないというちょっと寂しいことにもなります。

ちなみに、国で定められた義務教育は5歳児クラスのプレスクールから小学校の7年間の計8年間で、その後はSecundariaと呼ばれる日本の中学と高校が一体化した中等教育機関で5〜6年間学ぶのが一般的です。我が家のセドリックも今年Secundariaに入学しました。市内1番の名門校を目指していた彼ですが、入試の結果合格には至らず(基本的に怠け者だから。笑)、数学の得意な彼をよく知っている学校長の勧めで、船に関する専門技術も学べるというちょっと面白い中等教育機関を選び、今は楽しそうに通っています。

DSCF3951_convert_20160407045133.jpg     DSCF3953_convert_20160407045418.jpg

我が家では私がオフィシャル美容師で皆の髪を切ります(自分の髪も)。

このヒトも先日切ってさっぱりしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この6年間色々とありましたが、皆んなで乗り越えてきて遂にムスメも小学生。本当だったら感動してゴーゴー泣きたいところですが、実はこの日を迎える前も、迎えた後も、ちっとも感動に浸れないぐらいピリピリしながら慌しく過ごすことになりました。

でもこの話はまた次回(ってこればっかりでスミマセン)。なぜなら、今日はどうしても書きたい別のことがあるから。それは、”アルゼンチン的びっくり新学期”です。

まずは先述の通り、入学式がなかったことにびっくり。でもそれ以上にびっくりしたのは、学校が始まって2日目にムスメがほとんど空っぽのペンケースを持って帰ってきたことでした(爆笑)。ハサミもノリも色鉛筆のほとんどもマジックも鉛筆削も消しゴムもなし!どうしたの?と聞いたら、忘れちゃった、と、、、。がーん、、、ハイパーインフレのアルゼンチンの物価は、物によっては日本の比ではないほど高かったりするので、母は結構なショックを受けました。

この時思い出したのは、お教室の机です。1年生のお教室には、皆んなで囲んで使う大きな机が4つあって、そこでお勉強するので、各自の持ち物が混ざってごちゃごちゃになってしまうのでしょう。だからきっとお友達が間違えて持って行ってしまったのだろうと思いました。ところが!その日の午後、近所のお店の人とそんな話をしていたら「ああ、それは例の”Saqueo”にあったんだな!はははは」と大笑いされまして、、、。Saqueoって直訳すると「略奪」のこと。そう、こちらの人に言わせると、新学期の「略奪」は子供たちの恒例行事のようなものなんだそうです(ええええーーー!?汗汗汗)。

そんなびっくりな”略奪”も、もしかするとあるのかもしれない。でも、ムスメがボケーっとしていて自分の物をしまったりできないことが失くし物の最大の原因だと思ったので、まずはムスメとじっくりと話しましたが、その後も彼女の失くし物は続く毎日。私自身は、自分の子供時代に失くし物をした記憶がほとんどないし、もともと性格的に「そこにあるべきもの」が無いのが許せない性分なので(苦笑)、この無くし物三昧の日々には結構ストレスを募らせました。

ところが、ある日帰宅したムスメのリュックを開いてみたら、ポケットの中にそっと、失くしたはずの色鉛筆が数本とハサミが入っていたのです。リュックは毎日チェックしているので、その日に学校で誰かが入れてくれたよう。その翌日も、翌々日も、毎日何かがそっと入れられていて、小さな文房具を一つ一つ見つける度に、なんだか気持ちがぽっと暖かくなりました。

Saqueoの被害なのか、確かに戻ってこなかった物もありましたが、ちゃんと返してあげようって思ってくれたお友達や、間違えて持って行ってしまったことに気がついてくれた子もいたのです。別の日には、学校にムスメを迎えに行った私を数人のクラスメートが追いかけてきてくれて、「これ忘れ物ー!」ってムスメが机に置きっぱなしにした筆記用具を渡してくれました。ムスメを気遣ってくれるお友達の優しさが本当に嬉しくて、じーんと心に沁みてしまって、あやうく涙が出そうになりました。イベント的なSaqueoがあってもいいじゃない、ちゃんとみんな優しい気持ちがあるんだものって、なんだかゆる〜い気持ちになりました。

DSCF3937_convert_20160407045010.jpg     DSCF3938_convert_20160407044922.jpg

日本のじいじとばあばが送ってくれた荷物を開けて大はしゃぎ。大好きなカプリコミニを発見!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アルゼンチン的びっくり新学期はまだまだ続きます。例えばそれは、新学期が始まってから1ヶ月以上の間、時間割が決まらなかったこと。私の子供の頃の記憶が正しければ、時間割って始業式と同時にクラスに貼ってあったような気が、、、。そんなつもりでいたらトンデモナイ!毎日ムスメが学校で何をしているのかさっぱり分からないんです(笑)。

プレスクール時代から仲の良かったお母さんたちと数人でWhatsup(アジア圏のLineみたいなもの)でグループを作っているのですが、そこでも毎日のように混乱した母親同士の会話が飛び交いました。「今日の宿題はなに?」「明日は何の授業があるの?」「音楽の先生がノートを持ってきなさいって言ったそうだけど、どんなノート?」などと情報が錯綜し、もうみんなして苦笑い。

「どうも美術は木曜日らしい」「え、木曜日はテクノロジーじゃないの?」「私はテクノロジーは月曜日って聞いたけど」「じゃあテクノロジーは週2回?」「いや、1回らしいよ」なんてほとんどジグゾーパズルのピースを合わせるようにして個々の情報を組み合わせ、ようやく時間割らしい時間割がおぼろげに判明したのですが、な、ん、で、こんな基本的なことを学校が書面で知らせないのか本当に、もう本当に謎でした。

もう一つの謎は、持ち物。これまた明確な指示が全くなかったんですよねぇ。ムスメの学校では1年生の特別授業は音楽、美術、体育、テクノロジー、コンピューターとなっていて、それぞれの授業で用意していかなければならない物がありました。ところが、前もって行われた父母会で配られたプリントには通常授業で使う持ち物がリストアップされていただけで、それ以外の多くの持ち物は謎に包まれたまま数週間が経過。

いざ特別授業が始まったと思ったら、そこからまたモヤモヤっと噂話の延長みたいな情報が流れてきて、「テクノロジーで使うノートはどこぞの本屋で注文しないといけないらしい」「今日注文しに行ったらまだ受付開始してないって言われちゃった」「え、私は昨日もう受け取ったけど」「中身は白紙のただのノートらしいよ」「いや、ノートじゃなくて教科書だって」、、、なんて会話が数週間続いたわけです。

くどいようですが、私が本当にびっくりしてしまうのは、こういう学校側の対応に対して以上に、だーれもこの状況に文句を言わないことです(笑)。全てが「Es asi(こんなもんだよ)」というお決まりの文句で流されてゆく不思議。下手に腹を立てようものなら、怒っているこちらが堪え性のないダメな人的扱いを受けて、みんなに慰められたりなだめられたりして情けない気持ちになってしまうので、うかつに怒れないところもストレスが溜まる要因です。

結局、新学期開始から1ヶ月ちょっと経った頃、連絡帳にペロッと時間割と持ち物リストが貼られてきて、一件落着となりました。これができるんなら、なんで新学期に合わせてやらないんだろ??と疑問を残したのは多分私だけで、この件はこのまま忘れ去られて終了。きっと来年も同じことを繰り返すのだろうと思います。

ラテンアメリカに住んで早14年。いろんな修羅場を潜り抜けてきましたが、まだまだ知らないことが沢山あるのだと思い知らされたこの新学期。発見の旅は続きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最後に、アルゼンチンでは3月24日は「最後のクーデターを忘れない日」でした。学校でも全校生徒が参加する行事があり、私達親も見に行きました。1年生は何かしらの職業を表す仮装をして参加するようにとの指示があって、ムスメはお医者さんを選びましたが、登校してみたらムスメの他にも100人ぐらいお医者さんがいました(笑)。みんなが”市民”という役で体育館内でデモ行進をするというアクトでした。

DSCF3817_convert_20160407042212.jpgDSCF3834_convert_20160407042301.jpgDSCF3858_convert_20160407043318.jpg

軍事クーデターで発足した独裁政権下で、秘密警察などにより3万人もの一般市民が誘拐、殺害、行方不明となった暗黒の時代の開始から今年でちょうど40年。まだたったの40年。今もなお行方を絶った人々を探す家族たちが大勢いて、アルゼンチンの癒えない傷を見る思いです。ダーリンの叔母さんも一時誘拐され、生きて救出できたのは奇跡だったと聞いたことがあります。

1976年に軍事政権が発足したという事は、ムスメのクラスメートの親御さんたちの多くは、そんな混沌とした時代に小学校に通っていたはずです。この数週間、学校の対応がいい加減で、途上国はこれだからなと一人ブツブツ文句を言っていましたが、ついこの間まで凄まじい時代を体験したこの国の人たちにとって、持ち物がどうとか時間割がどうとかって、実際のところ大してプライオリティーの高いことではないのかもしれないと、このアクトを見ていてふと思いました。市民が平等に生きる権利、発言する権利を持つこと。整然とした学校教育以前にこの国が取り組まなければならないもっと大事な課題が沢山あるのかもしれません。

異文化理解ってやっぱり難しいですね。複眼で見て、単純に比較してはいけないのだなぁ。

なんて、ムスメと共に新しい環境の中で日々学ぶ母なのでした。

ただいま

大変長らくご無沙汰していました。

5ヶ月間の日本滞在を無事終えて、2月10日にアルゼンチンの我が家に戻ってきました。なるべく早く帰国のご報告をしたかったのですが、帰宅と同時に山積みとなっていた問題を解決するため奔走することとなり、ブログの更新はおろか、日本から抱えてきた4つの特大スーツケースも半ば放置状態で時が経ってしまいました。

思い返してみると、雪の日本から真夏のアルゼンチンという変化からして、行程2日間という長旅を終えたばかりの体にはなかなか厳しいものがありました。アルゼンチンではこの夏、記録的な猛暑が続いていたそうですが、私たちの帰国日翌日、翌々日辺りが一番の暑さだったとか。この国に暮らして8年。恐らく初めて、起床時から就寝時までエアコン点けっぱなしにしたんじゃないでしょうか。部屋の外に一歩出ると火事かと思うほどの熱気で呼吸も苦しかったほど。庭の壊れかけたプールがなんとか踏ん張ってくれたのが幸いでしたが、あまりの暑さに2日で水が緑色になって沼化していました(汗)。

そんな中、一人ご機嫌だったのがムスメです。5ヶ月間の日本滞在中、お家に帰りたいとかパパに会いたいとか一切言わなかったムスメですが、やっぱり我慢していたんですねぇ(涙)。我が家に帰れたこと、お兄ちゃんやパパと一緒に遊べる喜び、自分のオモチャに再会できた嬉しさは言葉に尽くせなかったようで、別人かと思うほどのはしゃぎようでした。このハイテンションのおかげで、12時間時差でフラフラのはずの時間帯も昼寝をしようとせず、夜まで意地でも遊び倒そうとしてくれたので、あっという間に時差ぼけが抜けました。良かった良かった(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのムスメですが、今回の手術を経てお顔がだいぶ変わりました。以前はお鼻がへっこんでいてメガネが支えられなかったため、頭にすっぽりかぶせるタイプのメガネをしていましたが、今回ようやく普通の可愛いメガネが使えるようになりました。なんとなくお姉ちゃんっぽい印象になったのは、このメガネとお顔の変化によるところも大きいですが、何より、今回の長旅と大手術を経験してムスメ自身も大きく成長したからのように感じます。

DSCF2511_convert_20160327212417.jpg

気管カニューレを取ることを最大の目標にしていた今回の旅でしたが、諸々の事情で今時点の抜去は不可能と判明しました。ムスメのお顔の大幅な変化や、カニューレが取れないと分かるまでの長いプロセスで、私もだいぶショックを受けたり凹んだりと消耗しましたが、今となっては、大変な治療の過程で大きな問題もなく元気に二人でアルゼンチンに戻って来れただけでも良かったと思えるようになりました。そんな手術や治療のご報告と日本滞在記録はまた後日、少しずつ書いていきたいと思います(忘れない内に書かないと、だいぶ記憶が怪しいことになっています。汗)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、こちらに帰ってきてからも2月末まで夏休みで学校がなかったため、早速ムスメの仲良しのお友達をお家に招待しました。親友のMちゃんもこの夏ブラジルへ行っていたそうで、生粋のブラジル人も顔負けのこんがり色で登場(マルーちゃんのママはアルゼンチン人、パパはコロンビア人です)。他にも数人のクラスメートが訪ねてきてくれました。日本滞在中にムスメに欠けていたのは他の子供達との交流だったので、お友達ときゃっきゃと遊ぶ姿が本当に幸せそうで、ああ戻ってきて良かったなぁ~としみじみ思いました。

DSCF3671_convert_20160327213448.jpg

DSCF3679_convert_20160327211350.jpg DSCF3680_convert_20160327211425.jpg DSCF3681_convert_20160327211525.jpg

無邪気に遊ぶムスメはいいとして、ワタクシの帰国後は先述の通り少々ハードでした。そもそも私たちの留守中、この家ではダーリンとセドリックと、ダーリンの弟ルーカス24歳の男子3人が暮らしていました。なぜルーカスがいたかと言うと、お母さんに家から追い出されて行き場を無くしていたからです(苦笑)。それは全然構わないのですが、男子3名が数ヶ月間”管理”していた家って、ご想像の通り汚いっ!!

ダーリンは私を気遣って、最後の数日間に相当頑張って掃除してくれたらしく、床などは綺麗になっていてほっとしましたが、何が汚かったって”水周り”です。帰宅したのは夜中の3時ごろだったので、そのまま倒れて寝ましたが、翌朝起きてキッチンに立った時は衝撃を受けました。お皿洗いの水切りトレイに、黒いねっとりした水が溜まっていたり、、、(恐らく一度も洗ってない・・)。まあ予め予想はしていたましたが、さすがにコーヒー一杯入れる気になれず、パジャマのまま大掃除に突入しました(笑)。そこからは、シャワーを浴びれば浴室の汚れが、洗濯をすれば洗濯機の汚れが気になり掃除をしまくる日々。

DSCF3911_convert_20160327211721.jpg DSCF3910_convert_20160327211937.jpg

お庭も、男子3名が力を合わせて世話をしてくれていましたが、猛暑もあって、お気に入りの鉢植えが数個消滅、大好きなカラーも姿を消していました(幸い根っこは残っている様子。生き延びられるかも!)。葉っぱを切ってやらないと育たない椰子の木は髭ボーボーのおじさん風に、ツタ系植物はお互いが絡まり合って何がなんだか分からないことになっていて、極めて野性的な風情の庭に様変わりしていたのですが、連日の猛暑と大掃除にかまけて2週間ほど放置。遂にムスメのお友達を招待する段になり、さすがにこれはちょっと恥ずかしいと思い立ち、早朝2時間ほど汗ぐっしょりになりながらざっくりお手入れしました。

ここ数日で急激に秋の気配が漂い始めぐっと涼しくなってきたので、庭を占領していたプールも仕舞われ、ようやく庭仕事がしやすくなりました。今はちょっとした時間を見つけては庭に出て、雑草を取ったり、植え替えしたり、枝を払ったりしながら、やっと個々の植物とちゃんと向き合えるようになった感じ。ただいま、お庭。またちゃんと面倒見るからね。

という家の話は実は本題ではなくて(笑)、本当にハードだったのは別のことなのですが、書くととっても長くなるのでまた次回。本日は取り急ぎご挨拶まで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月から放置していた拙ブログですが、この度久しぶりに開いてみたら、拍手ボタンに70件ものクリックがあってもの凄くびっくりしました。また、不在中にも知らない読者の方から暖かい応援コメントや、術後の様子を気遣ってくださるコメントをいくつもいただき感激しました。この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。

もともと友人や家族に向けての近況報告と、記憶力が悪くて筆不精の私用の育児記録になればと思って綴ってきたブログでしたが、いつの間にか多くの方が読んでくださっていたのだと知り、これまで通りジリジリとでも続けていこうかなと思いを新たにすることとなりました。

ムスメも今年の1月でもう6歳になりました。彼女のプライバシーを考えると、どこまでブログという形で育児記録をすべきか大いに迷うところではありますが、模索し軌道修正しながらやっていこうかな、と今は考えています。

どうぞこれからもアルゼンチンの4人家族をよろしくお願いします。

DSCF3721_convert_20160327211633.jpg

行ってきます

いよいよ日本帰国が6日後に迫ってきました。

今回の帰国で楽しみなのは、行きも帰りもメキシコ経由になること。以前住んでいたメキシコは私にとって第2の故郷ですが、今回は実に6年ぶりの訪問となります。トランジットの待ち時間も行きは半日、帰りは一泊と長いので、大好きな友人たちと懐かしい再会を果たし、久しぶりのメキシコ料理をがっつり食べてきます!初メキシコのダーリンもトロツキー博物館に行くのだと鼻息を荒くしていましたが、月曜日着で美術館博物館関係は全て休館。残念~。帰路に持ち越しとなりました。

DSCF1225_convert_20150830231758.jpg

ムスメ生まれて初めての「MAMA」です。じ~ん。

さて、航空会社に提出する医師の診断書を揃えたり、来年度のリハビリや学校の調整をしたりとバタバタしていますが、目下のところ私の一番の心配事はムスメの精神状態です。日本に行きたい、じいじとばあばに会いたい、病院に戻ってプレイルームで遊びたいなどなど、とっても前向きなように見えますが、実際のところ、再び手術を控えてどんな心境でいるのか気になるところです。

1ヶ月ほど前、i padで写真を見ていたムスメが突然「ママ見てー」と呼ぶので覗いてみたら、術後の自分が車椅子に乗っている写真を見つけてニコニコしていました(汗)。去年入院した時のもので、両手は包帯でぐるぐる巻き、足には点滴が付いていて歩けず、それでトイレに行くために車椅子に乗せられているかなり可哀想な感じの写真でした。それなのに嬉しそうに私に写真を見せるムスメの本意を図り兼ね、首を傾げてしまいました。

IMG_1092_convert_20150830230508.jpg

こちらがその写真。次回の入院中も車椅子に乗りたいと今からやる気満々?なんですが、、、汗。

他にも、手術後に酸素チューブを付けて寝ている写真とか、指の延長器をがっつり手に取り付けられている痛そうな写真まで平気な顔をして見ている姿に疑問を覚え、これはもしやあまり良くないことじゃないかと思って、写真を削除することも考えました。でも本人はいたって冷静で、「痛かった?」と私が聞いても「うん、痛かった」とクールなお返事、、、。「また病院に行くけど大丈夫?」と聞くと、「うん。病院に行きたい」と満面の笑み。うーん、、、。

これまでいつも、ムスメの朗らかさと内面の強さに救われてきたのは事実です。もしも泣いて嫌がられたり、痛かったと訴えられたりしたら、もう二度と病院に連れて行けないと思ってしまうことでしょう。あんなに辛かったはずの入院も手術も治療も、ムスメはいいところだけを記憶しているように見えてほっとはしていたのですが、私としてはどうにも腑に落ちませんでした。

次回の手術後には気官カニューレが取れることも知っているので、「日本に行って病院に行ってこれ取るの」と嬉しそうに言う姿に至っては、なんと健気なことだろうと感動すると同時に、本当に大丈夫かなーと心配していました。

DSCF1227_convert_20150830232314.jpg     DSCF1231_convert_20150830232508.jpg

お絵かきも上達しています。いつものお顔におたまじゃくしみたいな体が付きました!

特に今回の手術では顔面骨の延長器を2ヶ月半ほどがっつり顔に付けられるので、そのことを事前に話しておく必要がありました。術後に集中治療室で目覚めた時、自分の身に何が起こったのかわからずにパニックになるかもしれないからです。でも、何をどこまで話したらいいのか。ネットで探せば、ごっつい延長器の映像も見つかるでしょう。でもそれを見せてしまったら、今から恐怖心を掻き立てるだけで逆効果です。

目覚めた時に延長器が顔についていて、その状態が2ヶ月半続くことを、どのタイミングでどうやって伝えたらいいか、ムスメのカウンセラーさんとも話し合って、8月に入ったらカウンセラーさんからも話してもらうことにしました。

DSCF1284_convert_20150830233627.jpg     DSCF1286_convert_20150830233821.jpg

私の日本語クラス用のホワイトボードに夢中、、、。

そこで、準備として私が何枚かの絵を描くことになりました。1枚目に描いたのはムスメが入院病棟にいる絵。パパとママもその横にいて、皆にこにこ笑っている図です。私が作業を始めると、ムスメも興味深々で横に張り付いてじーっと眺めていましたが、、、そこで突然、一言ポツリ。

ムスメ「なんで病院にいるの?」

私 「日本に帰ったらお顔の手術をするでしょう?」

ムスメ「なんで笑ってるの?私が泣いているように描いて」

私 「(絶句)、、、、、、、、、なんで?」

ムスメ「なんでも」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを聞いて、やっぱりそうか、と思いました。明るく振舞ってくれているけど、やっぱり本当は辛いんだ、本当は怖いんだって。私ですらこんなに怖いんですもの。当事者はもっと辛くて怖いのは当たり前です。

カウンセラーさんにこの会話のことを話したら、数日間そのテーマには触れないようにと言われました。絵はムスメ不在中に仕上げ、カウンセラーさんに渡して彼から話しをしてもらうことにしました。

カウンセラーさんから絵を見せられたムスメの反応は落ち着いたものだったそうです。一度に全てを話すのはやめて、ムスメの理解が徐々に進むように、ムスメが絵を見て関心を示したことから話すようにしてくれているようです。私も自宅で何度かムスメと一緒に全部の絵を見ました。お顔に延長器がついている絵も見せて、さらっと説明もしました。手術が終わって目が覚めたら、お顔に金具がついているけどびっくりしないでね、2ヶ月半つけるだけで、後で取れるからね、と。ムスメはまだピンと来ないようで、聞き流していましたが、、、。

DSCF1288_convert_20150831225840.jpg     DSCF1287_convert_20150830234926.jpg

お友達のN君3歳と。二人してバナナ食べてる姿は正に子ザル二匹。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

次回の入院、手術、治療は、この5年間で行ってきた治療の中でも最大の山場です。

母子共に最短で2ヶ月半に渡る長期入院のストレスを克服しなければならないことが一つ。顔の数箇所から針金が飛び出した状態になるのをムスメが我慢しなければらないことがもう一つ。そんなムスメが転んだりしないよう、近くで万全のケアをしなければなりません。

そして、ムスメも私たち家族も、彼女のお顔の大幅な変化を受け入れなければなりません。治療後は面影も残らないほど大きく変わってしまうようで、、、これまで愛してきたムスメの可愛らしい鼻ぺちゃなお顔に別れを告げなければなりません。

もちろん、鼻で呼吸ができるようになれば今よりもずっと楽でしょうし、「カニューレが取れたらプールに潜るんだ!」とムスメが嬉しそうに言うように、私たち親子の人生が変わるほど大きな改善につながることは間違いありません。でも、たとえそうであったとしても、こんな試練にたった5歳のムスメが挑まなければならないこと、今更ながら胸が痛んで止みません。

DSCF1222_convert_20150831230109.jpg     DSCF1223_convert_20150831230241.jpg

仲良しのMちゃんともしばしのお別れ。それにしても、狭いところにはさまって遊んでいるなぁ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日ワクチンを打ちに病院に連れて行ったところ、診察室に入ったムスメは泣いて叫んで暴れて大変でした。あんなに嫌がったのは後にも先にも始めてのことでしたが、これまでの積もり積もった痛い記憶と経験がムスメに恐怖心を植え付けているのは明らかなようです。

もう何も分からない赤ちゃんじゃない、しっかり自己主張をするムスメが、次回の治療に対してどういう反応をするのか心配です。治療が避けられないものである以上、私がムスメにしてあげられることは、ずっとそばに居て、しっかりその手を握ってあげることだけ。

ブログを読んでくださっている皆様、今とってもナーバスな私達親子にどうぞポジティブなエネルギーを送ってやってください。

DSCF1274_convert_20150830233520.jpg

家族写真なんて久しぶり。私の誕生日にちょっぴり不細工なお手製ケーキと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

顔面骨延長と気管カニューレ抜去が全て順調に済めば、来年の2月にはアルゼンチンに戻って来られると思います。その間はブログの更新が滞りますが、元気なご報告ができるようムスメと一緒に頑張ってきます!

DSCF1299_convert_20150831230346.jpg

行ってきます!