アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

ピカピカの1年生

あっという間に帰国から2ヶ月が経ちました。こちらは昨日辺りからぐっと気温が下がり、すっかりスープの美味しい季節になりました。我が家では、冷蔵庫の切れっ端野菜と白ワイン、オリーブオイル、ローリエをぐつぐつ煮て、カッテージチーズと庭のイタリアンパセリを乗せた即席スープが皆のお気に入り。簡単で美味しくて冷蔵庫の中身が一掃できるありがたいメニューです。

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庭のイタリアンパセリ、バジル、ローズマリーが活躍中。本格的に家庭菜園を始めようかな。

そんな秋の訪れと共に、去る3月2日、ムスメがピカピカの小学1年生になりました。

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小学1年生から皆キャスター付きのリュックをゴロゴロさせて登校し始めます。

日本で入学式と言えば、本人も家族も正装で参加する大事な行事だと思いますが、こちらアルゼンチンの公立学校では生徒はユニフォーム、親達も普段と変わらない服装で登校でした。お教室に入る前の10分間ほど、学校の中庭になっている広い廊下に全校生徒が集まって、毎朝行われる国歌斉唱と国旗掲揚、校長先生から短い歓迎の挨拶があり、各学年の担任教員が紹介されただけで、普段と変わらないとってもシンプルな”お式”?にちょっぴり拍子抜けしました(笑)。

新しいクラスの担任はクラウディア先生。恰幅の良いベテラン先生というイメージです。クラスメートは23人で、そのほとんどが去年のプレスクールのお友達なので、みんなと仲良くできるかな、という入学に伴う心配事の半分は軽減されました。学校に着いた途端、半年ぶりにムスメを見つけたクラスメート達が次々と声をかけてくれたり抱きしめてくれたりして、本人もとっても嬉しそうでしたし、ムスメのお顔が変わったことを気にする子供がほとんどがいなかったことにも私は驚きました。こちらの子供達の柔軟さや懐の深さには、本当にいつも感心させられます。

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座席フリーで、この日は仲良しのMちゃんと並んで座っていました。

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ここでアルゼンチン(R市)の学校事情を少し。こちらの公立小学校は基本的にユニフォーム着用です。男女問わず下はスエットパンツ(夏は半ズボン)、上は学校のロゴ入りTシャツとパーカーかトレーナーと、とってもラフな格好で、体育の授業もこのままやります。学校ごとにユニフォームの色が決まっていますが、ほとんどが紺色か緑で、色さえ守っていれば基本的にどんなズボンでもTシャツでもOKのよう。ムスメもユニクロで買った紺色のレギンスで登校しています。中等教育になると私服の学校も増えるようで、小学校は私服、中学校からは制服の日本とは逆ですね。

公立小学校は午前と午後とに分かれていて、就学時間は午前コースなら8時から12時、午後コーでスなら1時から5時とたったの4時間です。私立校の中には日本のように朝から午後までの学校もありますが、数は少ないよう。ネックは昼食だと思います。日本では当たり前のようにやっている学校給食ですが、実現に至るまでかなりたくさんの条件をクリアしなければできないものなんですね。

午前午後と別れている学校の場合、通常は生徒だけでなく教員も入れ替わるので、雰囲気もガラッと変わるみたいです。学校の規模は様々ですが、ムスメの学校はこじんまりしているので、1年生は午前午後それぞれ1クラスずつあるだけ。校長先生も全校生徒の名前を覚えているほどアットホームな雰囲気です。

学区制ではなく、各自が好きな学校を選んで行けるところも日本とは違うところ。一応学校ごとに優先的に入学できる区域は設けていますが、空きさえあればどこでも入れてくれるので、親の職場近くの学校に通わせるケースも多いです。また、兄弟が通っている場合や親がその学校の卒業生だったりすると、住所関係なく優先的に入れてもらえるのも面白いなと思います。我が家の場合、色んな関係者の方が勧めてくれた学校がたまたまセドリックの通っていた学校だったおかげで、家からは遠いですが問題なく入れてもらえることになりました。

この制度の良いところは、イジメや教育方針の相違などがあった場合すぐに学校を変われること。以前書きましたが、かくいうセドリックも前の学校でバレエをやっているとバレていじめられ、この学校に転校した経緯があります。ただ、学区がないとご近所に学校のお友達がいないというちょっと寂しいことにもなります。

ちなみに、国で定められた義務教育は5歳児クラスのプレスクールから小学校の7年間の計8年間で、その後はSecundariaと呼ばれる日本の中学と高校が一体化した中等教育機関で5〜6年間学ぶのが一般的です。我が家のセドリックも今年Secundariaに入学しました。市内1番の名門校を目指していた彼ですが、入試の結果合格には至らず(基本的に怠け者だから。笑)、数学の得意な彼をよく知っている学校長の勧めで、船に関する専門技術も学べるというちょっと面白い中等教育機関を選び、今は楽しそうに通っています。

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我が家では私がオフィシャル美容師で皆の髪を切ります(自分の髪も)。

このヒトも先日切ってさっぱりしました。

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この6年間色々とありましたが、皆んなで乗り越えてきて遂にムスメも小学生。本当だったら感動してゴーゴー泣きたいところですが、実はこの日を迎える前も、迎えた後も、ちっとも感動に浸れないぐらいピリピリしながら慌しく過ごすことになりました。

でもこの話はまた次回(ってこればっかりでスミマセン)。なぜなら、今日はどうしても書きたい別のことがあるから。それは、”アルゼンチン的びっくり新学期”です。

まずは先述の通り、入学式がなかったことにびっくり。でもそれ以上にびっくりしたのは、学校が始まって2日目にムスメがほとんど空っぽのペンケースを持って帰ってきたことでした(爆笑)。ハサミもノリも色鉛筆のほとんどもマジックも鉛筆削も消しゴムもなし!どうしたの?と聞いたら、忘れちゃった、と、、、。がーん、、、ハイパーインフレのアルゼンチンの物価は、物によっては日本の比ではないほど高かったりするので、母は結構なショックを受けました。

この時思い出したのは、お教室の机です。1年生のお教室には、皆んなで囲んで使う大きな机が4つあって、そこでお勉強するので、各自の持ち物が混ざってごちゃごちゃになってしまうのでしょう。だからきっとお友達が間違えて持って行ってしまったのだろうと思いました。ところが!その日の午後、近所のお店の人とそんな話をしていたら「ああ、それは例の”Saqueo”にあったんだな!はははは」と大笑いされまして、、、。Saqueoって直訳すると「略奪」のこと。そう、こちらの人に言わせると、新学期の「略奪」は子供たちの恒例行事のようなものなんだそうです(ええええーーー!?汗汗汗)。

そんなびっくりな”略奪”も、もしかするとあるのかもしれない。でも、ムスメがボケーっとしていて自分の物をしまったりできないことが失くし物の最大の原因だと思ったので、まずはムスメとじっくりと話しましたが、その後も彼女の失くし物は続く毎日。私自身は、自分の子供時代に失くし物をした記憶がほとんどないし、もともと性格的に「そこにあるべきもの」が無いのが許せない性分なので(苦笑)、この無くし物三昧の日々には結構ストレスを募らせました。

ところが、ある日帰宅したムスメのリュックを開いてみたら、ポケットの中にそっと、失くしたはずの色鉛筆が数本とハサミが入っていたのです。リュックは毎日チェックしているので、その日に学校で誰かが入れてくれたよう。その翌日も、翌々日も、毎日何かがそっと入れられていて、小さな文房具を一つ一つ見つける度に、なんだか気持ちがぽっと暖かくなりました。

Saqueoの被害なのか、確かに戻ってこなかった物もありましたが、ちゃんと返してあげようって思ってくれたお友達や、間違えて持って行ってしまったことに気がついてくれた子もいたのです。別の日には、学校にムスメを迎えに行った私を数人のクラスメートが追いかけてきてくれて、「これ忘れ物ー!」ってムスメが机に置きっぱなしにした筆記用具を渡してくれました。ムスメを気遣ってくれるお友達の優しさが本当に嬉しくて、じーんと心に沁みてしまって、あやうく涙が出そうになりました。イベント的なSaqueoがあってもいいじゃない、ちゃんとみんな優しい気持ちがあるんだものって、なんだかゆる〜い気持ちになりました。

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日本のじいじとばあばが送ってくれた荷物を開けて大はしゃぎ。大好きなカプリコミニを発見!!

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アルゼンチン的びっくり新学期はまだまだ続きます。例えばそれは、新学期が始まってから1ヶ月以上の間、時間割が決まらなかったこと。私の子供の頃の記憶が正しければ、時間割って始業式と同時にクラスに貼ってあったような気が、、、。そんなつもりでいたらトンデモナイ!毎日ムスメが学校で何をしているのかさっぱり分からないんです(笑)。

プレスクール時代から仲の良かったお母さんたちと数人でWhatsup(アジア圏のLineみたいなもの)でグループを作っているのですが、そこでも毎日のように混乱した母親同士の会話が飛び交いました。「今日の宿題はなに?」「明日は何の授業があるの?」「音楽の先生がノートを持ってきなさいって言ったそうだけど、どんなノート?」などと情報が錯綜し、もうみんなして苦笑い。

「どうも美術は木曜日らしい」「え、木曜日はテクノロジーじゃないの?」「私はテクノロジーは月曜日って聞いたけど」「じゃあテクノロジーは週2回?」「いや、1回らしいよ」なんてほとんどジグゾーパズルのピースを合わせるようにして個々の情報を組み合わせ、ようやく時間割らしい時間割がおぼろげに判明したのですが、な、ん、で、こんな基本的なことを学校が書面で知らせないのか本当に、もう本当に謎でした。

もう一つの謎は、持ち物。これまた明確な指示が全くなかったんですよねぇ。ムスメの学校では1年生の特別授業は音楽、美術、体育、テクノロジー、コンピューターとなっていて、それぞれの授業で用意していかなければならない物がありました。ところが、前もって行われた父母会で配られたプリントには通常授業で使う持ち物がリストアップされていただけで、それ以外の多くの持ち物は謎に包まれたまま数週間が経過。

いざ特別授業が始まったと思ったら、そこからまたモヤモヤっと噂話の延長みたいな情報が流れてきて、「テクノロジーで使うノートはどこぞの本屋で注文しないといけないらしい」「今日注文しに行ったらまだ受付開始してないって言われちゃった」「え、私は昨日もう受け取ったけど」「中身は白紙のただのノートらしいよ」「いや、ノートじゃなくて教科書だって」、、、なんて会話が数週間続いたわけです。

くどいようですが、私が本当にびっくりしてしまうのは、こういう学校側の対応に対して以上に、だーれもこの状況に文句を言わないことです(笑)。全てが「Es asi(こんなもんだよ)」というお決まりの文句で流されてゆく不思議。下手に腹を立てようものなら、怒っているこちらが堪え性のないダメな人的扱いを受けて、みんなに慰められたりなだめられたりして情けない気持ちになってしまうので、うかつに怒れないところもストレスが溜まる要因です。

結局、新学期開始から1ヶ月ちょっと経った頃、連絡帳にペロッと時間割と持ち物リストが貼られてきて、一件落着となりました。これができるんなら、なんで新学期に合わせてやらないんだろ??と疑問を残したのは多分私だけで、この件はこのまま忘れ去られて終了。きっと来年も同じことを繰り返すのだろうと思います。

ラテンアメリカに住んで早14年。いろんな修羅場を潜り抜けてきましたが、まだまだ知らないことが沢山あるのだと思い知らされたこの新学期。発見の旅は続きます。

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最後に、アルゼンチンでは3月24日は「最後のクーデターを忘れない日」でした。学校でも全校生徒が参加する行事があり、私達親も見に行きました。1年生は何かしらの職業を表す仮装をして参加するようにとの指示があって、ムスメはお医者さんを選びましたが、登校してみたらムスメの他にも100人ぐらいお医者さんがいました(笑)。みんなが”市民”という役で体育館内でデモ行進をするというアクトでした。

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軍事クーデターで発足した独裁政権下で、秘密警察などにより3万人もの一般市民が誘拐、殺害、行方不明となった暗黒の時代の開始から今年でちょうど40年。まだたったの40年。今もなお行方を絶った人々を探す家族たちが大勢いて、アルゼンチンの癒えない傷を見る思いです。ダーリンの叔母さんも一時誘拐され、生きて救出できたのは奇跡だったと聞いたことがあります。

1976年に軍事政権が発足したという事は、ムスメのクラスメートの親御さんたちの多くは、そんな混沌とした時代に小学校に通っていたはずです。この数週間、学校の対応がいい加減で、途上国はこれだからなと一人ブツブツ文句を言っていましたが、ついこの間まで凄まじい時代を体験したこの国の人たちにとって、持ち物がどうとか時間割がどうとかって、実際のところ大してプライオリティーの高いことではないのかもしれないと、このアクトを見ていてふと思いました。市民が平等に生きる権利、発言する権利を持つこと。整然とした学校教育以前にこの国が取り組まなければならないもっと大事な課題が沢山あるのかもしれません。

異文化理解ってやっぱり難しいですね。複眼で見て、単純に比較してはいけないのだなぁ。

なんて、ムスメと共に新しい環境の中で日々学ぶ母なのでした。