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アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

怒れるプエルトリカンの雄叫び Calle 13

2005年にデビューしたプエルトリコ出身の二人組みユニット、Calle 13(カジェ・トレセ)と言えば、今じゃラテンアメリカの若者で知らない人はいないほど有名ですが、日本での知名度はまだまだ低いようです。私も彼らを知ったのはつい最近のこと。以前ご紹介したコロンビアのToto la Momposinaとのコラボを発見したのがきっかけでした。

 

『Latinoamerica(ラテンアメリカ)』というこの曲のMVを初めて見た時、図らずも大泣きしてしまった自分がいて、その後何度も繰り返し見たけれど、やっぱり見る度に何度でも泣いてしまう・・・そんな衝撃的な出会いをした彼らのことをずっとブログに書きたいと思いつつ、あまりにも思い入れが強すぎて、何をどう書いたらよいのかすっかり考えあぐねて時間が経っていました。

 

この曲になぜこんなにも胸を打たれるのか散々考えましたが、どうもそれは、11年半のラテンアメリカ生活の中で、知らず知らずのうちに胸に溜まっていた感情の断片が堰を切って溢れ出したから、ということのよう。

 

ラテンアメリカと一言で言ってしまうとまるで一つの国のような印象を与えますが、ラテンアメリカ諸国には微妙に異なる歴史を背景とした異なる文化、習慣、言語、信仰を持つ様々な民族が暮らしています。その多様性は実に豊かで素晴らしいのに、長い歴史の中で常に強い者たちによって不当に虐げられてきたため、全ての民族やそのカルチャーが尊重されてきたとは言いがたいのが現実です。

 

私はこれまで、先住民文化が色濃く残るメキシコ、1990年代まで内戦の続いた中米のエルサルバドル、アルティプラーノと呼ばれる高原の民が多く住む南米のボリビア(首都のラ・パス)、そしてヨーロッパ移民が国民の圧倒数を占める白人主体のアルゼンチンで暮らしてきて、目もくらむようなラ米の多様な現実を生きるチャンスに恵まれてきました。だから、『Latinoamerica(ラテンアメリカ)』のMVの冒頭に登場する様々な民族の顔を、実際に間近に見てもきました。

 

10代でゲリラ兵となり、反政府軍に入ってライフルを担ぎ戦場を駆けぬけたエルサル人の私の友人。ボリビアの4000メートルの雨が一滴も降らないような乾いた高地で、唯一育つキヌアだけが収入源の、学校すらない先住民族の村。70、80年代に南米諸国で吹き荒れた軍事政権による独裁時代に、秘密警察によって連行され拷問の挙句虐殺された何万という行方不明者の顔写真。どれだけ虐げられても、古代文明の時代から引き継がれたレシピを守り、今も石臼でトウモロコシを挽いて香ばしいトルティージャを焼く、褐色の肌のメキシコの女性たち。

 

そうだ、私は彼らの顔を知っている。彼らの暮らしを知っている。彼らの苦しみを少しだけ知っている。彼らの悔しさや怒りや、喜びや誇りや、ささやかな幸せや、ひっそり胸にしまってある夢も、ほんの少しだけ知っている。そして、そんなラテンアメリカを愛して、誇りに思っていたのだった-。

 

それぞれの国や場所で、様々な人たちの表情や暮らしや歴史を目の当たりにする度に抱いてきた強い感情を、これまでずっと表現することなく胸の中に仕舞い込んできましたが、Calle 13のMVを見た時に突然それが激流となって溢れ出てきたのでした。

 

彼らの歌詞は胸に突き刺さるほど真っ直ぐで正しくて、涙が出るほど力強くてまっとうで、力を合わせて進んでいけばもっといい明日があるに違いないと思わせてくれる。偶然聞いたこの曲が、既にフルアルバムを4枚リリースしているCalle 13にとってもまた最も重要な曲であり、ラテンアメリカ全域の人々の胸を打ち、気持ちをまとめ、ラテンアメリカの”国歌”とまで言わしめた作品だったことは私にとって幸運でした。

 

ラテンアメリカを知らなければ、このMVを見ただけではなかなか伝わらないかもしれない。スペイン語が分からないと、ニュアンスも感じられないかもしれない。でも、なんかいい曲だな、と、地球の裏側にあるラテンアメリカに想いを馳せてもらえたら嬉しい。

 

 

 

この曲では、先述したコロンビアのToto la Momposina(トト・ラ・モンポシーナ)、ペルーのアフロペルー音楽を代表する歌手・作曲家であり文化大臣の経験を持つSusana Baca(スサナ・バカ)、 日本でも言わずと知れたブラジルの歌姫 Maria Rita(マリア・ヒタ)がコーラスで、またアルゼンチンを代表するミュージシャンGustavo Santaolalla(グスタボ・サンタオラージャ)がプロデューサーとしてだけでなく数々のフォルクロール楽器を演奏してコラボするなど、新たな才能を支える業界の重鎮たちの活躍にも注目です。

 

撮影場所はペルー。撮影期間は29日間。現地のラジオ局でケチュア語で紹介され、ボーカルのレネもケチュア語で答えてから歌い始める姿が印象的。

 

一見悪ガキちっくな風貌のレネと、物静かな雰囲気を醸し出すギターのエドワルドが生み出すこの名曲を聴いて、Calle 13って一体どんなアーティスト??と、沢山の疑問符が残り、それから1ヶ月間は彼らの音楽を聴きまくり、彼らのドキュメンタリーやインタビューを見まくり、彼らの生い立ちや過激なまでにアクティブな行動について調べまくり、ものすごい勢いでCalle 13の世界にはまり込んでしまいました。

 

一言で言えば、彼らの音楽は「怒れるプエルトリカンの雄叫び」であり、それはひいては多くの「ラテンアメリカ人の魂の叫び」でもあり、私は全面的にそのメッセージに共感する者です。レネのインテリで挑戦的な言葉遊び的歌詞にのせた強烈なメッセージも好きだし、それを支えるエドワルドの幅広い音楽性もまた素晴らしく、下手するとただのアホっぽいレゲトンユニットかと勘違いされそうな彼らが、実は奥深~い知性を湛えていることを知ってすっかり虜になりました。

 

そんな彼らの詳細と他の曲のご紹介はまた次回。

 

最後に、『Latinoamerica』の歌詞の翻訳を記載しておきます。

 

僕は、

僕は彼らが残していったもの

盗まれた後に残った物

山頂に身を隠した民

僕の肌は革でできてる、だからどんな気候にも耐える

僕は煙を吐く工場

君の消費を支える農作業

真夏の寒冷前線

コレラの時代の愛、兄弟よ

生まれる太陽と、死にゆく日、 最高の夕日と共に

僕は悲惨な開発

熱意のない政治演説

見たこともない可愛い顔の数々

僕は行方不明者の写真

僕は君の血管に流れる血

僕はちっぽけだけど大切な土地

僕は一籠の豆

僕はイギリス相手に2点を決めたマラドーナ

僕は僕の国旗が支えるもの

地球の背骨は僕の山脈

僕は、 祖国も母親も愛さない僕の父が教えてくれたもの

僕はラテンアメリカ

脚がなくても歩く民

 

君に風は買えない

太陽は買えない

雨は買えない

暑さは買えない

雲は買えない

色は買えない

僕の喜びは買えない

君に僕の痛みは買えない

 

僕には湖がある、川もある

微笑むための歯もある

僕の山々を彩る雪

僕を乾かす太陽と、僕を洗う雨もある

一杯のプルケに陶然とする砂漠

コヨーテ(※1)と歌うために必要なものの全て

僕には澄んだ青い空気を吸い込む肺がある

息苦しいほどの高地

僕はコカの葉を噛む奥歯

散る木々の葉と秋

星空の下で綴る詩

ブドウの実で一杯のブドウ畑

キューバの太陽の下広がるサトウキビ畑

僕は小さな家を見守るカリブの海

聖水で儀式を行いながら

僕の髪を梳く風

僕は僕の首にぶら下げた全ての聖人たち

僕の闘いは見せかけだけの作り物じゃない

僕の大地を肥やすのは自然のものだから

 

君に風は買えない

太陽は買えない

雨は買えない

暑さは買えない

雲は買えない

色は買えない

僕の喜びは買えない

君に僕の痛みは買えない

 

君に太陽は買えない

雨は買えない

(歩いて行こう、僕らの道を描いて行こう)

君に僕の命は買えない

僕の土地は売り物じゃない

 

荒々しく、でも誇りを持って働く

ここでは皆が分かち合う、僕のものは君のものだ

僕らは決して溺れない

もしも崩れたら、僕が再び建て直す

君を見る時は瞬きしない

僕の苗字を覚えてもらうために

僕の故郷を荒らしたコンドル作戦(※2)

赦してやる、でも決して忘れはしない!

 

歩いていこう

ここで闘いは息をつく

歩いていこう

僕は歌う、皆に聞こえるように

 

僕たちはここに立っている

ラテンアメリカ万歳!

 

君に僕の命は買えない

 

 

※1:メキシコ-アメリカ国境の密入国を助ける違法組織

※2:70,80年代に米国CIAの支援を受け、南米各国の軍事政権間で取り交わされた左翼分子一掃のための取り組み。少なくとも6万人以上の死者、行方不明者を出したとされる。