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地球の裏側の事情 Calle 13 その2

先日書いたプエルトリコ出身のデュオ、Calle 13 のお気に入りを集めました。ラテンアメリカ事情と絡めつつ、彼らのことをもう少し詳しくご紹介します。

 

2005年にデビューしてから4枚のフルアルバムを出し、これまでラテングラミー19冠に輝くなど、文字通り歴史を塗り替えてきた彼らですが、一体どんな人たちなのでしょう。

 

と、始める前にまず一曲。

強烈な社会メッセージを持つ楽曲が多い中、割とソフトなテーマを優しいメロディーに乗せて歌った『La Vuelta al mundo』は、 2011年にリリースされた4枚目アルバム『Entren los que quieren』 からシングルカットされたもの。微笑ましい和み系MVは、『El secreto de sus ojos(瞳の奥の秘密)』でアカデミー最優秀外国語映画賞を受賞したアルゼンチン人の名匠Juan Jose Campanella(フアン・ホセ・カンパネラ)監督によってブエノスアイレスで撮影されました。

 

 

作詞を担当するボーカルのレネは「日常生活に押し流されて、日々忘れていく目標を思い出し、自らの人生を自分でコントロールできるように」「それぞれが自分探しを始められるよう背中を押してあげる曲」とコメントしています。歌詞の訳を載せようかと思いましたが、ビデオ見ると大体内容がわかるのでやめます。「ルーチンな毎日に待ったをかけて、世界に飛び出し自分を取り戻そう」ってことです。

 

ちなみに、このビデオがきっかけで交際を始めたレネと出演しているアルゼンチン女優のソレダ・ファンディニョが、今年7月にプエルトリコで結婚したとつい先日報道されました。がーん(←なぜオマエがショックを受ける・・)。

 

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さて、Calle 13はこのボーカルのRené Pérez(レネ・ペレス)とギターのEduardo Cabra(エドワルド・カブラ)の二人が率いるアーバンミュージック・デュオです。レネの母とエドワルドの父が結婚して異母兄弟になった二人は、幼いころから音楽と野球に明け暮れ共に育ちました。Calle 13の女性ボーカリスト、Jeana Cabra(ジェアナ・カブラ)は再婚した両親の間にできた二人の妹に当たり、バンドには彼らの他の兄弟も参加していることから、限りなくファミリービジネスに近いものがあります(笑)。腹違いの兄弟が仲良く育つのも、こうして強い絆で結ばれているのも、ラテンアメリカでは珍しいことではありません。

 

彼ら二人にそれぞれresidente、visitanteとあだ名がついているのも、子供のころエドワルドがレネを尋ねて遊びに行くたび、警備員にresidente(居住人)であるレネの名前と、 visitante(訪問者)である自分の名前を告げなければならなかったことに由来します。うんうん、ここら辺も家族の歴史だねぇ。

 

レネはプエルトリコのサンフアン美術学院でデザインを専攻し、アメリカのサバンナ・アート・デザイン大学で修士課程を修めた後、短編映画や3Dアニメーションの製作、建築家グループとのプロジェクトやビデオのアートディレクションに携わるも、なかなか定職につくことができず、ある日エドワルドに「ラップが歌いたいから曲作って」ともちかけたことが、Calle 13の結成のきっかけとなったそう。

 

様々な楽器をこなすマルチミュージシャンのエドワルドは父親の影響で6歳からピアノを弾き始め、レネと共に学校で組んだバンドではピアノとサックスを担当。当時のメンバーを率いて結成したバンドBayangaではヒット曲も残したものの、後に脱退。異なるコンセプトのニューバンド結成に動き出したタイミングでレネから作曲を頼まれ、Bayangaのメンバー数名とCalle 13を結成することになりました。彼も経理と情報科学の学位を収めているインテリです。

 

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Calle 13のビジュアルがいずれもスタイリッシュでセンスがいいのも、一見乱暴な言葉の羅列の中にも品があるのも、レネとエドワルドの経歴を見ればなんとなく納得です。MVに関して言えば、これまで既に3度のラテングラミー最優秀ショートフィルム賞を受賞してもいます。

 

ここで、4枚目アルバムからシングルカットされ、2011年のラテングラミーで同賞を受賞した『Calma Pueblo』のMVをご紹介。レネの米国&ローマ・カトリックへのヘイトが冒頭から炸裂です(爆)。修道女の衣装も、ぶっ倒すコカコーラのビンらしきものでできたオブジェも、言うまでもなくそのメタファー。

 

 

アルバムの中でも特にこの4枚目『entren los que quieran』のできばえは突出していて名曲揃い。ただし配給会社であったソニーとはこのアルバムをもって契約を打ち切っており、裏には複雑な経緯があった様子がありありと伝わってきます。曰く、ヒットチャートに載せるためにアーティスト自らが自腹を切ってCDを購入することがもはや音楽業界では常識で、同じことをするよう求められたCalle 13が「詐欺行為だ」と怒って関係が決裂したとか(だから歌詞の中で「Youtubeで好きなだけ無料で聞いてくれ」とあります)。

 

また、ラジオで毎日曲が流れるように、アーティストがラジオ番組を買収することもよくあると知り、こうした一連の音楽業界の悪習をレネは『Calma Pueblo』の歌詞の中で怒りを込めて告発しています。「落ち着けみんな、俺たちがここにいる。みんなが感じることは俺も感じることだ。なぜなら俺はみんなの一人に過ぎないからだ」という断りのあと、「ヒットチャートのために自分のCD自分で買ってるんだろ?アーティストの半分は刑務所に入るべきだぜ」と絶叫(!)。

 

大企業ソニーに対して「俺たちのレコード会社はソニーじゃねえ。リスナーみんなだ!」と言い切ってしまう気骨溢れる二人組みの姿勢は、正しいことを正しいと信じて突き進むレネのブレない鋭い視線と、伝えたいイデオロギーをがっしりと支えるエドワルドの豊かな音楽性が、必ず人々に受け入れられるものという自信があるからこそでしょう。「歌に言葉に音楽に力があることを、曲がヒットして初めて自覚した」と本人達が言うとおり、レネが拳銃の代わりにマイクをガンホルダーから引き抜き歌い始める姿や、エドワルドがギターで狙いを定めるシーンは、音楽で世の不正・不条理・不公平に戦いを挑む彼らを象徴している名場面と言えます。

 

歌詞はそのまま「スカートもスーツも脱ぎ捨てろ。この世を変えたきゃ裸になれ。正直であるためには化粧も服も必要ない」と続くため、ビデオもこのように過激なことになります。うーん。彼らのことは好きだケド、化粧ぐらいさせてよ・・と思ってしまうワタクシではあります(笑)。

 

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彼らがこれほど世のあり方に強い批判精神を持つ理由の一つに、プエルト・リコという極めて特殊な国の状況が背景にあることは想像に難くありません。日本でプエルトリコと言っても、きっとあまり知名度は高くないですね。リッキー・マーティン?と答えられたら合格ぐらいでしょうか。

 

もともとコロンブスに発見されて以来スペインの領地として植民地化されてきたプエルト・リコが、現在まで続く米国領となったのは1898年に勃発した米西戦争の結果。この”侵略国の首の挿げ替え”が起こったのは1897年にプエルト・リコ側とスペイン側の合意によってようやく自治が認められ、自治政府が成立した翌月の98年4月のこと。プエルト・リコの人々にとっては、自由を目前に”汚い手で奪い取られた自治権”であることは間違いなく、以降、米国に対する独立運動は激化の一途を辿ることになります。それにしても改めて思うケド、ほんっとアメリカってラ米全域で相当無茶苦茶やってきたよね。

 

当時プエルト・リコの島民たちはアメリカ国民としての市民権を得てはいても、合衆国大統領選挙への選挙権は与えられませんでした。また、所得税は免除されていたものの徴兵の対象となったため、第一次世界大戦では2万人のプエルト・リコ人が徴兵されアメリカ軍の兵士として戦っています。独立運動は、プエルト・リコ島内にとどまらず、ワシントンでもトルーマン米大統領暗殺未遂や合衆国下院の攻撃が実行される事態にまで発展し、事を重く見た連邦政府は1952年に内政自治権の付与を決めました。

 

現在ではアメリカの51番目の州に昇格を希望する州昇格派、現状維持で自治権の拡張を求める自治派、主権を求める完全独立派がそれぞれの政党を作り三つ巴の戦いを繰り広げていて、うち最も支持を得ているのは皮肉なことに州昇格派ですが、calle 13 はグラミーにも星1つだけの星条旗をプリントしたTシャツで登場するなど、完全独立派のようです。

 

もともと彼らが有名になったきっかけの一つは、プエルト・リコ独立解放を目指す民兵組織、通称マチェテロのリーダーだったFiliberto Ojeda Ríos(フィルベルト・オヘダ・リオス)がFBIによって殺害されたことを非難し、事件から30時間後に『Queridos FBI(親愛なるFBI)』という曲をネットを通じて発表したことでした。彼らはこの曲をCDにコピーして量産し、道端で配布をしたりするなど、積極的な社会活動に出ます。その当時から彼らの政治的立場は明確だったわけです。

 

ここら辺の事情は、歴史上植民地化されたことのない私達日本人は経験したことのないものではありますが、物心ついたときからずっと列強に不当に支配されてきた者の怒りは想像はできるし、彼らの痛みの激しさも伝わってきます。

 

でも我が家のダーリンも言っていましたが、やはり主要産業がなく生活の糧を自らで得ることが難しい現状があると、急に独立というのも理想論になってしまうのかなぁ・・・。列強の植民地支配から解放された国で内戦が勃発して荒廃したり、経済的に立ち行かなくなった例は世界中で枚挙に暇がなく、解き放たれた先に幸せがあるわけではないという現実が、もしかしたら一番残酷なことなのかもしれません。

 

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こうした歴史的背景を持つ国として避けられない社会格差とそこに必ずある貧民街。リオ・デ・ジャネイロのファベーラ、アルゼンチンのビージャ31と名高い貧民地区はラ米全域にいくつもありますが、2009年のラテングラミーで最優秀ショートフィルム賞を受賞した『La Perla』はプエルト・リコの貧民街perla(”真珠”の意)をテーマにしたもの。

 

パナマ出身のサルサの大御所、Ruben Blades(ルベン・ブラデス)とタッグを組んだこの曲、正にcalle 13 + Ruben Bladesの世界!気持ちよくフュージョンしたサルサと小気味良く耳に響く歌詞とパーカッションのリズムに、体も自然と踊りだす! でもすごいね~、ルベンってフュージョンもラップもいけちゃうんだ・・・って感動しちゃいました。さすがの貫禄をさりげなく隠して若者と楽しそうにしているところにも、大人の余裕や魅力を感じてシビレます。。

 

 

ちなみに、これはロングバージョン。受賞したのはショートバージョンの方でした。perla地区のこれまでの歴史が垣間見える映像は、どこかブラジル映画の傑作『Ciudad de Dios (City of God)』を髣髴させます。ラ米全域には数え切れないほどのperla地区やCiudad de Diosが存在し、その数だけ貧困の歴史もあるということなのでしょう。

 

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calle 13 は新人であるにも関わらずこうして多くの大物アーティスとコラボしていますが、中でもメキシコの個性派ロックバンドCafé Tacubaとのコラボは私のお気に入りです。この熱烈なラブソングでは、才能あふれる二つのユニットが「この世の中には何でもあるけど、君みたいな人は他にはいない」ということを、あの手この手でこれでもかと熱唱していて笑えます。

 

 

それにしてもコラボって楽しいですね。どちらがどちらに食われることもなく、お互いの魅力を最大限発揮してx2の相乗効果を生んでいて感激します。レネの語呂合わせもホント、頭いいな~この人って毎度毎度感心しちゃいます。少しレトロでお茶目なCafé Tacubaの雰囲気とcalle 13の流暢な言葉遊びに、双方の”毒”がエッセンスで効いていて、何度も見たくなるMVになっています。この曲、2009年ラテングラミーでは最優秀オルタナーティブ曲賞にも輝きました。

 

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時折こんな可愛らしい楽曲も織り込みつつ、でもcalle 13はやっぱりかなりの社会派バンド。2005年にデビューしてから多くのヒット曲を飛ばす中で、自らの発信力、影響力に気づいたレネとエドワルドは、その”力”の使い方について自問自答を始めます。ここら辺が彼らの偉く賢いところ。自分と家族の私服を肥やすことに専念もできたはずなのに、彼らは自らの力をパブリックのために使い、弱者の代弁者となることを選んだのでした。

 

恐らくそんな決断を手助けたのは、「自らのアイデインティティーを探したい」と低予算でペルー、コロンビア、ベネズエラ、ニカラグアを訪れた旅。彼らはその旅をドキュメンタリー『Sin Mapa(地図を持たずに) 』として後にMTVで発表しています(youtubeでスペイン語版が見られます)。

 

さながらラテンアメリカ版うるるん紀行的内容ではありますが、プエルト・リコを出て自らの足で歩き、自らの目で見た素顔のラテンアメリカの姿は彼らに衝撃を与え、後の創作活動に大いに反映されることになっただけでなく、自称「ラテンアメリカの掲示板」として体を張り、これまでタブー視されてきたメッセージを世に送り出すことを誓うことになります。

 

チャリティー活動も積極的に始め、アルゼンチンやエルサルバドルで入場料の換わりに食品や衣類などを集め、豪雨の被害者達や貧困者支援食堂などへ寄付をしたり、ラ米全域で教育の無料化を訴える活動などに取り組んでいます。また、ユニセフと共に若年層へ向けて不当な虐待から身を守るためのドキュメンタリーも発表しました(『Esclavos Invisibles(姿なき奴隷たち)』これもスペイン語版ならyoutubeで見られます)。彼らの若者に対する影響力を考慮すれば、かなり効果の高いプロパガンダになったことは間違いないでしょう。

 

そんな社会活動の一環とも言えるのが『La Bala(銃弾)』という曲(4枚目アルバムに収録)。銃から弾が飛び出て人体を貫通する経緯や、現代社会における銃の存在について、また、金と力ある者が貧者や弱者に実行を命じる銃犯罪の構造について抑揚を押さえ淡々と描写する歌詞は、弾も血も一切出てこないのにもの凄い衝撃を与えるMVの映像にも似て、心をえぐる力強さがあります。ラストの大量虐殺らしき映像は圧巻。こうした場面がラテンアメリカ各地において、実際の歴史の中で何度も繰り返されてきたことを思い、背筋が凍りました。

 

 

体が銃弾のインパクトを受けて跳ね上がり、地面に崩れ落ちる。ハリウッド映画に慣れてしまった私の目には、飛び散る血こそ陰惨なものな気がしていましたが、本当はそうじゃないんですね。体が異質な悪意に突然貫かれてもがく、そんな肉体の動きこそが忌まわしい惨劇の象徴だったのだ、とこのビデオを見てつくづく思い知らされました。こういう表現の方法があったのか。やはり映像を学んでいたレネのセンスがここでも発揮されているのでしょう。

 

「金がない、でも銃弾は沢山ある。食うものがない、でも銃弾は沢山がある。いい奴なんてほとんどいない、だから銃弾が沢山ある」と繰り返すさびの部分に深く頷いてしまう。「しかも銃弾はコンドームと同じで安い」・・・そう、本当にそうなんです。だから「金持ちが命じて貧乏人が撃つ」ことになっちゃう。「文字が読めないやつが銃を撃つ」「俺は銃を使う前に言葉で撃つ」レネの悲痛な想いが絶叫となって耳に残ります。

 

キャストに東洋人が多いし、撮影場所も・・・これって日本じゃん!とびっくりして色々調べてみましたが、撮影情報がいまいち手に入らず。日本のスーパーをぼんやり眺めて「懐かしいなぁ~」なんて思いましたが、撮影の経緯詳細はよくわかりません。残念。

 

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いつも移動中に創作活動をするというレネは、飛行機の中での執筆が多いそうです。そんな彼が一番頭を悩ませることが、「どう表現したらリスナーの心に最も深く届くか」だと言います。先述した若年層虐待を訴える曲として彼らが選んだ表現方法は、どこまでも爽やかで健気で、でもだからこそ胸が締め付けられるほど切なくなってしまうこんなビデオでした。

 

 

タイトルの『Preparame la cena』は「晩ご飯作っておいて」の意味。ビデオをよく見ると、炭鉱労働へ向かう幼い兄弟と、アルバイト探しのつもりが暴力組織にパスポートを取り上げられ売春を強要される少女二人と、違法に国境を越えようとする家族の物語が同時進行しているのがわかります。みんな「すぐに帰ってくるから、晩ご飯作っておいてね」と気軽に出かけたはずなのに、二度と戻ってくることができなくなってしまった哀しい人たち。だからタイトルがものすごく切なく響くのです。

 

そんな日常のすぐ隣に潜む罠に気をつけろ、慎重に考えて行動し身を守れ、と言うのがCalle 13から若者たちへのメッセージ。重たいテーマなのに爽やかなメロディー、哀しい内容なのに軽やかなタイトルで、そのギャップが心に残る。ここら辺にCalle 13の優れた表現力をまたしても感じてしまうのでした。

 

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2009年のMTVビデオ・ミュージック・アワー・ラテンアメリカでプレゼンテーターとして登場したレネは、出演中に異なるメッセージの書かれたTシャツを何度も着替えて話題を呼びました。

 

その内容は、亡くなったばかりの偉大なアルゼンチン歌手メルセデス・ソーサへのオマージュとして「メルセデス・ソーサの歌は永遠に響く」、プエルト・リコの完全自治を目指して「自由なプエルト・リコ万歳」、2009年ホンジュラスで起きたクーデター(クーデター政権の政治指導者がミチェレッティ)と1973年チリで起きたピノチェト将軍の軍事クーデターをかけて「ミチェレッティはピノチェッティと語呂が合う」、1968年メキシコのトラテロルコで起きた学生大虐殺に触れて「メキシコは68年10月2日を決して忘れない」など。政治色の極めて強いこれらのフレーズは、ツイッターで世界中のファンから寄せらたメッセージを即興でプリントしたものでした。

 

まさに「ラテンアメリカの掲示板」。体を張ったこのパフォーマンスに賛否両論はあったものの、自らの言葉に忠実に行動を起こす勇気には脱帽せざるを得ません。これら一連の社会活動の結果、Calle 13はこれまでに幾度もの殺害予告を受けていて、本人たちも「40まで生きられるかわからない」とコメントするほどですが、「怖がっていては真実は語れない」と強固な姿勢を曲げる気配はありません。

 

今年10月には発売と噂されていた5枚目アルバムは私の知るところ未だ世に出てはいませんが、多くのファンのみならず、実は政治関係者たちにもその動向を注視している人たちがきっといることでしょう。大手ソニーから離れ完全にインデペンデントとして制作している5枚目アルバムがどんな驚きを仕掛けてくるか今から楽しみだし、ラテングラミーの歴史をまたしても塗り替えるかもしれず目が離せません。

 

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最後におまけの一本。

メキシコの人気シネアスタであるDiego Luna(ディエゴ・ルナ)がMVのメガフォンをとって話題を呼んだ面白いコラボなので、ラテンアメリカ好きの方たちへトレビアとしてご紹介です。歌の内容はビデオを見れば一目瞭然。ラテンアメリカ版ロミオ&ジュリエット。貧乏青年が逃げて貧民街をひた走るスピード感も心地良く、シュールな展開とラストのメキシカン・キッチュな終わり方も可愛らしくて可笑しい。

 

 

Diego Lunaと言えば、同じくメキシコの人気シネアスタで世界で活躍するGaer Garcia Bernal(ガエル・ガルシア・ベルナル)と共に映画配給会社CANANA FILMSを立ち上げ、メキシコの優秀な才能がアメリカなどに流出しないようにと積極的にメキシコ映画を牽引している若手の実力派として有名です。この二人は格差社会の是正のため多くの社会活動にも積極的に参加しており、Calle 13ともお互いの”戦う姿勢”に共通点を見出したのでしょう。

 

文化と芸術と歴史と政治。ラテンアメリカで起こるムーブメントを語る時、このいずれも避けて通ることは出来ません。数百年にわたる搾取の歴史を超えて、これから若い世代のアーティストたちがラ米諸国をどのように変えていけるか、期待が膨らみます。そんな地球の裏側の事情を、Calle 13を通じて少しだけご紹介したかったのですが・・・伝わったでしょうか。

 

もっといい曲が他にも沢山ありますが、長くなってしまったので今回はここまで。

 

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最後にCalle 13のディスコグラフィーを載せておきます。

 

2005年 アルバム『Calle13』リリース

ラテングラミー3部門受賞(Best New Artist, Best Urban Music Album, Best Short Form Music Video)

 

2007年 アルバム『Residente o Visitante』リリース

ラテングラミー2部門受賞(Best Urban Music Album, Best Urban Song)

 

2008年 アルバム『Los que atras vienen conmigo』リリース

ラテングラミーで5部門受賞(Recordo of the Year, Album of the Year, Best Urban Music Album, Best Alternative Song, Best Short Form Music Video)

 

2011年 アルバム『Entren los que quieran』リリース

ラテングラミーで主要部門を含む9部門受賞(Record of the Year, Album of the Year, Song of the Year, Best Urban Music Album, Best Urban song, Best Alteranative song, Best Tropical song, Best Sohrt form Music Video, Producer of the Year)

テングラミーの最多受賞記録を一夜にして塗り替える。

 

 

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