アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

さよならNINA

7月28日、夕方外へ飛び出して行ったNINAが夜になっても帰ってこなくて、一晩眠れずに過ごしました。翌朝、屋上からいくら名前を呼んでも、街は静まり返っていてニャァと鳴く声も聞こえない。この世界からNINAの気配がすっかり消えていて、前の晩から予感していた”永遠の喪失感”に、この時はっきりと気がつきました。

半ば諦めながらもダーリンを急いて外を探してもらったりしましたが、しばらくして望遠鏡を片手に現れた彼に「ちょっと来て」と呼ばれて再び屋上に上がりました。「NINAはあそこにいると思う」と、沈んだ顔をした彼が指を指したのは、お隣さんの大きなプールでした。

冬の間も水が入れっぱなしになっているそのプールは、NINAが我が家にやって来た当初から私の心配のタネでした。茂った木の陰になって、水面の半分は私の身長では見えませんでしたが、長身の彼は木の葉の向うまで見えたようで、うんと背を伸ばしてみたところ、汚れた水面にポツンと浮かんだ黄色い浮き輪と一緒に、ぼんやりと白とグレーのモノが沈んでいるのが見えました。

お隣さんに電話をかけて事情を話すと、顔見知りのお手伝いさんが庭に出てきてくれてプールに近づいて行くのが見えました。最初は首を横に振りながら「何もないわよ」とゼスチャーしたので一瞬ホッとしかけたところ、次の瞬間、顔を歪めると首を縦に振るのが見えました。私は堪えきれずに泣き出し、ダーリンは黙って下を向きました。

水から引き上げてもらってようやくNINAの姿がはっきりと見えた時には、悲しみにのみ込まれて息が苦しくなりました。きっとNINAはお隣の庭で遊んでいるところ、その家の大きな猫に挑まれて慌てて逃げようとして水に落ちたのでしょう。固く強ばった体は腕をうんと伸ばしていて、必死に何かにつかまろうとしたようでした。寒い寒い冬の夜、一晩中あんなに冷たい水の中にいたのかと思うと、可哀想で涙が止まりませんでした。

「死」とは厳然たる別れであって、そこには「終わり」を受け入れる以外どんな選択肢も用意されていないのだと、NINAの死を目の当たりにして改めて思いました。どれだけ愛しんでも、恋しがっても、もうNINAはいない。あのグンニャリと柔らかくて、いつも暖かくて、撫でるとグルグルと喉を鳴らすNINAの体を抱きしめることはもうできない。手の打ちようがない。諦めるしかない。助けてあげられなかったから。

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我が家の周辺にはデッカい半野良猫がたくさんいるので、小さなNINAをもらい受ける時にだいぶ躊躇しました。NINAもそんな猫たちの存在に直ぐに気がつき、最初は無邪気に近づいて行きましたが、早速縄張り争いの洗礼を受けて、引っかき傷を付けられて戻ってきました。最初のうちは、せめてもう少し大きくなるまでは外にあまり出したくなくて、私とムスメはドアや窓の開閉に気を配っていましたが、たとえ冬でも換気のために空けておいた窓から出てしまったり、私の帰宅時に玄関を開けた瞬間飛び出して行ったりと、閉じ込めておくことはできませんでした。

一度外に出始めたら、小さなNINAには目にする全てが新しくて、外の世界を知りたくて、好奇心に突き動かされるまま木に登り、芝を駆け回り、本当に生き生きと動き回っていました。その姿があまりにも生命力に満ちていて、閉じ込めておくのも可哀想だと思うようになりました。外から戻ってくるたびに体の傷が増えていくのを見て心配でたまらなかったけれど、危険もリクスも含めてそれがNINAの世界であり、学んでいかなければならないもの だと割り切ろうとしていました。

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NINAの小さな体を、八重のハイビスカスの下、私の愛猫のコゲの隣にダーリンが埋めてくれました。今頃はきっと、喧嘩王だったコゲがきっちりNINAを守ってくれているはずです。だからもう安心だよ、NINA。

ダーリンはNINAの死をムスメには言いたがらず「遠くに行っちゃったんだよ」と話していましたが、数日経ってもNINAの名前を呼んで探そうとするムスメを見て、私がことの次第を話しました。”死ぬ”ということが何を指すのか、ムスメがどんな風に理解したのかは分かりません。それでも、もう会えないということははっきりと認識したようでした。

「でも今はコゲちゃんと一緒にいるから大丈夫。コゲちゃんがしっかりNINAの面倒をみてあげているからね」と話すと、ムスメも安心したように笑って、いつものように言いました。「もう、まったくNINAったら!」

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10数年は一緒に暮らすだろうと思っていた”NINAというオス猫”の人生は、私の予想に反してこんな風に突然幕を閉じました。ダーリンはオス猫と分かっても”NINA”と呼び続け、私は”NICKY”、セドリックは”NINO”、ムスメは「NINA!それともNINI、それともNINO、それともNICKY」とあらゆる名前で呼びました。

決まった名前すらまだ持たなかったNINAの存在は、名前のごとくどこかおぼろげで、儚くて、蜃気楼のようにある日突然すうっと消えてしまったけれど、それでもこの小さな愛しい命と一緒に過ごした1ヶ月間は、家族みんなが浮かれて毎日がお祭りのように楽しかった。あんなに嬉しそうなムスメの姿を見たのも初めてだった。それはたった4ヶ月間しか生きられなかったNINAがくれた贈り物だったのだと思います。

私達家族の幸せの真ん中にいてくれたNINA。膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしながら私をじっと見つめていた、あの不思議な色合いを持つ蒼い瞳を、きっと一生忘れないでしょう。

さよなら、NINA。

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