アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

7年目の再スタート その1. ムスメの誕生会

大変ご無沙汰していました。2月3月と図らずも怒涛の日々となり、今は燃え尽きてやや灰状態になっているアマンダです。そもそも今年の年始に”怖がらない”と誓いを立てたのが事の始まりで、いざ”怖がらず”に新しいことに挑戦し始めてみたら、人生の転機になるようなことが次々と起こって、ついて行くのがやっとの息切れ状態になっていました。

一つは、昨年から悶々と悩んでいたブエノス・アイレスでのお仕事に応募することを決めたこと。このお仕事がもしも決まればブエノスへの引越しを余儀なくされるため、相当期間悩んだ結果、応募してみるだけなら失うものは何もなし、逆にもし応募すらしなかったら生涯悔いが残ると思って履歴書を提出したのが1月20日、ムスメの誕生日のことでした。何となく人生の次なる章の幕開けは、ムスメが生まれてママとして新しい人生のステージが始まった”区切りの日”にすべきかなと思って。私にとって今回の応募は単にお仕事探しというだけでなく、ムスメ誕生後7年を経て、久しぶりに自分自身に向き合って再スタートを切る、そんな意味のあることだったんです。

もう一つは、今年のムスメの誕生日祝いを初めてラテンアメリカ流にやってみようとダーリンと決めたこと。こちらの子供の誕生会は本当に大掛かりで、一大イベントです。収入はわずかでも、何万円もするパーティー会場を借りて何十人も招待して盛大に行うのが割と一般的です。私にとっては大きなカルチャーショックの一つで、そこまでやらなくとも、といつも若干抵抗がありましたが、これまで色んな事情でやってあげらなかったこのパーティを一度ぐらいはやらせてあげようと決めたところ、準備に追われて大変なことになりました(汗)。

そして怒涛の日々だった3つ目の理由は、3月末に開催された2時間の講演会の逐次通訳を引き受けてしまったこと。これまで通訳のお仕事はメディアコーディネートをしていた時のアテンド通訳ぐらいしかやったことがない私が、突然人前で逐次通訳、しかも挨拶やスピーチ程度ではなく2時間の講演会ということで、お話をいただいた時はびびりまくって即お断りしました。講演会は国立大学主催、お仕事は日本大使館からの依頼を友人を介して紹介された格好で、こんな責任の重い大役をノミの心臓の私が引き受けられないと超弱腰だったのですが、友人に何度も説得され、例の私の”年始の誓い”もあり、最終的にこのお仕事を引き受けることを決めた結果、とんでもなく大変な経験をすることとなりました。

それぞれに書きたいことが山ほどあって、ただでさえ毎回長い拙ブログがもう終わりを見ない気がするので(笑)、今回はまずムスメの誕生会の記録にします。

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アルゼンチンでは、と言ってしまうと、他県の事情を知らないのに国の傾向みたいに話してしまうことになるので、私たちの住むR市では、と前置きしておきます。それと、社会格差の激しいこの国では”一般的”という言葉で括るのも実は難しいので、我が家のような中産階級の中程度と限定した上で書きます。

子供の誕生会は日程的に可能であれば誕生日当日に行いますが、ムスメのように3ヶ月の夏休みのちょうどど真ん中が誕生日の場合は、皆んな旅行に行っていて誰も市内に残っていないため、パーティーは日程をずらして行ったりします。我が家も、1月20日の誕生日から1ヶ月過ぎた頃で、お友達がバケーションから帰って来るタイミングを見計らって2月21日にすることにしました。

誕生会準備の最初のステップはテーマを決めること。6歳ぐらいまでだと、アニメや映画のキャラクーをテーマに選ぶことがほとんどで、女の子ならディズニー映画のお姫様とかミニーマウスとかPeppa Pigとか、男の子ならスパイダーマンとかスターウォーズなどが割とメジャーです。このテーマに沿って色々と準備をするので、作りやすいもの、グッズが手に入りやすいものを選んだ方が後々楽です。

7歳ぐらいになるとキャラクターなどは選ばず、女の子なら”美容院”とか”スパ”をテーマにして、お化粧、ヘアセット、マニュキュアなどをするようなパーティーや、ティーパーティーみたいなことをしたり、男の子ならスポーツクラブでサッカーをするなど、内容も変わっていきます。ムスメも7歳なのでもうキャラクターはいらないかとも思いましたが、一度もキャラを使った誕生会をしてあげたことがなかったので、これが最後のチャンスかと思い、ムスメの希望で『アナ雪』パーティーと決めました。アナ雪なら色彩とかはっきりしているので準備しやすくて良かった!

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昨年姉がムスメにプレゼントしてくれたワンピースが偶然アナ雪カラーでちょうど良かった〜。

キャラクターが決まったら会場探しです。パーティーの3ヶ月ぐらい前からサロンのリサーチを始め、2ヶ月前ぐらいには予約を入れます。 春秋ならカントリークラブみたいなオープンエアな場所でする場合も多いですが、ムスメのような真夏&灼熱&湿度90%の時期の子達はエアコンが命綱になるので室内です。ちなみに、友人一家が真夏のカントリーで娘さんのパーティーをやった時は、主催者も招待者も暑さのために危うく命を落としかけ、もう2度と外ではやらないとこぼしていました(笑)。

市内には星の数ほどサロンがあり、それぞれにコンセプトがあって下調べも楽しいものでしたが、ムスメの場合はPeloteroと呼ばれるジャングルジムみたいな遊具がある場所は今回はカット(危ないから)。それと、アンティークな家屋を改装しているサロンだと、室内が小分けになっていて見通しが効かないので、安全上そういうサロンも避けて、ダダーンと広くて見通しのきく空間で、新しくて綺麗で対応もきっちりしていたBig Bangを選びました。

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写真左の床に畳んであるのは空気で膨らませる大型遊具。他にもトランポリンや大型スクリーンがありました。

こうしたサロンでは大抵、料金の中に色々なサービスが含まれています。Big Bangの場合はこんな感じでした↓。

・子供達用のスナックと食事

・子供たちを遊ばせてくれるお姉さん・お兄さんx 2人

・インフラブレ(写真にあった空気で膨らませる大型遊具)

・トランポリン

・大人用のテーブルメイキング

・調理場と調理人x 1人

・ウエイトレス x 1人

・サロン内のデコレーション

・大型スクリーン&音響設備(ディスコになって子供達が踊り狂う)

・幼児用遊具(兄弟や親戚に赤ちゃんがいることが多いため)

・ピニャータ(お菓子が入っている入れ物を天井から吊るしてお菓子の雨を振らせるというメキシコ由来の習慣)。

などなど。

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ピニャータをやろうとしているところ。本場メキシコではありとあらゆる形とデザインの紙製のくす玉が売られていて、それを目隠しした子供達が棒を持ってスイカ割りの要領でバンバン叩いて割り、落ちてきたお菓子などを取り合うといエキサイティングな余興ですが、アルゼンチン版は箱の紐を引っ張るとお菓子が落ちて来るという味気ないもの。メキシコ・ラブな私的にはぜんっぜん納得いきませんが、今回は自力で作る余力が無かったのでアルゼンチン流です。

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子供たちのおやつの時間。定番はポテチとカールみたいなスナック菓子など。2度目の休憩でホットドッグが出ます。

サロンが決まったら、次はお誕生日ケーキです。注文するとかなり高いので、親戚や友人に頼んで作ってもらうケースも多いですが、市内にはお誕生日ケーキを専門に作るお店や職人さんもわんさかいて、需要の高いマーケットであることが分かります。ちなみにこちらでお誕生日ケーキと言えば、フォンダンアイシングでスポンジの周りをガッチリと飾り付けしたものです。中身のスポンジは大して美味しくないし、キャラメールソースがはさまっていたりチョコチップが混ざっていたりるするから辛うじて食べられますが、周囲のフォンダンも全然美味しくない=全体的にちっとも美味しくない、というのが私の評価ですが、生クリームのデコレーションケーキなどを出しても全く一般的ではないため、子供達は食べてくれません。

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今回はお友達に頼んで作ってもらいました。とっても暑い日だったので、移動中にちょっと溶け気味に(汗)。

なぜだろうとずっと疑問に思っていたんですが、これはきっと誕生会のやり方と関係があるのだと、実際にやってみて気がつきました。こうしたお誕生会は大抵3時間コースですが、開始から終了間際のバースディソング合唱&ろうそく吹き消しまで、ケーキはずっと飾り付けの一環として室内に置かれたままなんです。これではフルーツなどの生物はダメになってしまうし、生クリームのデコレーションだと、いくらエアコンが効いていたとしても夏なら溶けてしまいます。だから例の美味しくない、でも溶けたり鮮度が気になったりしないフォンダンアイシングケーキが一般的になったのでしょう。これはアルゼンチンだけじゃなく、こうした形式のパーティーをする西洋諸国では割と一般的なのかもしれません。

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こういう”mesa dulce”(スウィーツ用のテーブル)を用意します。マシュマロは私がせっせと串刺しにしました。

さて、こちらのお誕生会では”Sorpresa”=「”びっくり”の意」と呼ばれるお返しの品が欠かせません。これは来てくれたお友達が帰る際に、招待したその日の主役が一人一人に手渡しする袋で、中身は主にお菓子類と何かちょっとした記念品であることが多いです。最近いただいたSorpresaでは、シャワー用のスポンジ(星型)、小さな手縫いのぬいぐるみ、マウスパッドなどがありました。今回私達が用意したのは、アナ雪に因んだ飾りのついた鉛筆で、ムスメの親友マルーちゃんの叔母さんに手作りしてもらいました。

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左がSorpresaの袋。これも一つずつ手作りで用意しました。そして右が頼んで作ってもらったオラフ、花、雪の結晶が付いた鉛筆。

個人的には、あまりキャラメルなどを食べる習慣のないムスメが、お誕生日ごとにもらってくる袋いっぱいのキャンディーの処分に結構困ってしまうので、用意した袋には小さいパックのフルーツジュース、カップケーキ、鉛筆などを入れ、甘いものは手作りの物を少しだけにしました。ちなみにこのカップケーキは、私のお友達の娘さん(11歳)が作ってくれました。

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左は友人の娘さん作。右はケーキをつくってくれた友人のCからのプレゼント。

さて、残るは当日直前の大仕事、大人用の食事です。会場ではケータリングサービスなども紹介してくれますが、とっても高いので我が家は自前で。まあ”食事”と言っても食文化の貧しいアルゼンチンでは、誕生会で出されるメニューも全然大したものではありません。大人用の定番メニューは、ハム・チーズのサンドイッチ(野菜ナシ)、ピザ、エンパナーダ(ミートパイ)など。子供にはスナック菓子の後にホットドックが出されます。私はこの子供メニューに抵抗があり、もう少し健康的なメニューに変えたいなと思っていましたが、実際のところそのぶん断然手間と費用がかかることが分かり、忙しさにかまけて結局提供されるメニューをそのままお願いすることにしちゃいました。こうやってなし崩し的に”伝統”が続いていくのだなぁと深く納得。

大人25人分の食事に関しても、珍しい物が嫌いな人も多いので基本メニューはそのままで、巻き寿司だけをプラスしました。それでも盛り付けなどは凝りたいと、色々調べて計画を立てていましたが、いざとなるともう全然時間がなくて、思い描いていたことは全く何もできず。私の場合は特に手伝ってくれる家族がここにいないため、私一人で全部用意できるだろうかと途方に暮れていたところ、親友のナタリアが助っ人を買って出てくれました。とは言っても彼女は全く料理をしない人なので、実際には彼女の旦那様(!!)が前夜、とっても美味しいピザとサンドイッチを作ってくれたんですが。エンパナーダと巻き寿司は私が用意し、こうしてなんとか無事に当日を迎えることができました。

パーティー開始前は手分けしてケーキを取りに行ったり、会場に料理やプレゼントを運んだりしてバタバタと慌ただしかったのですが、このBig Bangさんの素晴らしかったところは会場の飾り付けを完璧にしてくれたこと。他の場所では親が飾りも買って会場を作らなければなりませんが、今回は本当に楽させてもらいました。

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会場内ではこうしてお姉さんたちが子供たちを遊ばせてくれます。

さて、予定通り午後6時に開始したパーティーですが、お国柄(地域柄)から6時に到着した招待客はお友達1名のみ。6時半を過ぎる頃からようやく人が増えてお誕生会らしくなりましたが、特に大人の招待客は8時頃にやって来る人もいてびっくり!でもムスメはポロポロと時間差でやって来るお客さんから受け取るプレゼントを開けては喜び、遊びに戻ってはまたはしゃぎで、”自分が主役”の特別な1日を本当に楽しそうに過ごしていて、そんな姿を見られただけで、ああ大変だったけどやって良かったなぁとしみじみ。だから皆んな頑張って毎年やるんだね、と共感できました。

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大好きな訓練士さんのロミーと。お隣は親友のマルーちゃん。お顔のペイントも誕生会の定番です。

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今回やってみた感想は、やっぱり自分のために皆んなが集まってくれて、お祝いをしてくれること、皆んなに想ってもらえて、愛されているのだと感じられる日があるというのはいいな、ということでした。特に、治安上の理由から子供同士が簡単に集まって遊べる日常がないこの国では、”お誕生会”が皆んなで遊べる大事なチャンスになっているんですね。だから逆に、こんなに完璧な会にしなくっても全然いいな、と言うのも同時に感じたことです。私にとっては初めてのことで、遠くに住むダーリンの親戚なども招待したので、それなりに完成された形を目指して頑張りましたが、子供たちにとっては皆んなで集まれて遊べればそれが一番楽しいわけで、来年はもっと砕けたスタイルで遊び重視の会でもいいな〜、なんて、すでに来年もやる気になっている自分がいました。

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ケーキにぶっ刺す花火こと”ベンガラ”。燃えている間に数を数え、その数だけ良いことがあるよって事らしいです。

準備も大変だし、本当に周囲の友人たち(とその娘さんや旦那さんまで)に手伝ってもらって何とかやれたパーティーでしたが、あのムスメの幸せそうな顔が見られるならまた来年も違った形でやってあげたいと、とってもポジティブな気持ちになれた良い経験でした。パーティー後も今日に至るまでしょっちゅう写真を眺めては楽しそうに語っていて、忘れられない思い出になっていたらいいなあと思います。

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もう7歳、まだ7歳。すくすく育って欲しいような、このままでいて欲しいような。

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ところがその晩、、、。

山のようなプレゼントを抱えて夜10時近くに自宅に戻り、大はしゃぎだったムスメが、ベッドに入った途端にまさかの号泣。30分ぐらい激しくしゃくりあげ、泣き止まない。その原因は、翌日に控えた私のブエノスアイレスでの面接試験でした。

次回に続く。

ムスメ 7歳

去る1月20日、ムスメが7歳の誕生日を迎えました。6歳からの1年間は手術が一つもなく、これまでで最も穏やかで充実した1年を過ごしたムスメの成長はいたって健やかで、昨年12月には無事小学1年生を終了し、3月からは同じクラスのお友達と一緒に2年生になります。

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ボサボサ頭が可愛くて、写真を撮ってみたら、すっかり少女になっていました。

毎日一緒にいるけれど、いつの間にこんなに大っきくなっちゃったのか、なんだかとっても不思議です、、、。

長い長い夏休みも残すところ後1ヶ月となりました。1月からはムスメのサマースクールも始まり、私も落ち着いて翻訳の仕事に手をつけられるようになりました。このスクールには2年前にもお世話になり、ありがたい事に多くの関係者の方たちがムスメを覚えていてくれて、今回も熱烈歓迎してくれました。先生方がムスメの障害について理解してくれていること、昨年学校に付き添いしてくれたジゼラが同伴してくれていること、そして家の目の前のクラブなので何かあったら飛んでいける距離にいることが安心だと思っていましたが、蓋を開けてみたらムスメ自身がしっかり成長していて、以前に比べて格段に不安要素が減っていることに気がつきました。

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みんなに仲良くしてもらっているようで良かった!肌質が私とそっくりで、直ぐに真っ黒に日焼けしました。

誕生日当日にはスクールでみんなにお祝いしてもらうのが恒例ですが、今年の6、7歳女子グループはなんと80人(!!)の大所帯だったので、前日、33度の暑さの中、一日中オーブンフル稼働でケーキを4つ(一つは自宅用)を焼きました。子供用のデコレーションが不得手なので、出来上がりにイマイチ納得できずにいましたが、当日持参した3つのケーキはほぼ完食してもらえてほっとしました。

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こちらでは生クリームのデコレーションケーキを食べない子がとても多いので、敢えてシンプルなチョコレートコーティングにしています。アナ雪はムスメのリクエストで。

毎年のことですが、この日もまた朝起きてからずっと、7年前の出産当日のことや今日に至るまでのムスメの軌跡を思い出して私の涙腺は緩みっぱなし。スクールで100名を超えるお友達にバースディソングを歌ってもらって、生まれて初めて照れずに人前でちゃんとロウソクの火が吹き消せたムスメの嬉しそうな顔が眩しくて、またしてもウルウルと目を潤ませていたところ、顔見知りの先生たちが次々とハグしてくれて本格的に泣けました。

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先生方(写真右)が本当にみなさん懐の深〜い方達で、今年もすごく可愛がってもらいました。

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この際、私の二の腕は見なかったことにしてください、、、。

いつの間にこんなに太くなっちゃったんだろうって、本当に不思議です、、、(遠い目)

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ムスメ7歳の成長記録です。今回も長いです。

現在、身長125.5センチ、体重20.5キロで、半年前と比べると身長は7センチ、体重は1キロ増えたことになります。やっぱり身長は高いですが、体重の増加は思うようには伸びず、25キロ越えがざらなお友達の中では華奢なまま。お陰で、仲良しのお友達の履けなくなった半ボンなどをお下がりでもらったりと助かっています(笑)。割とよく食べるのに全然太らないこの体型は、もう完全に遺伝なのでしょう。

身体的な成長としては、今のところ乳歯が下の前歯4本抜けて、永久歯が2本生え、今3本目が姿を現しつつあります。歯は生え揃うのも遅かったですが、生え変わるのも遅そうな印象。特に調べた訳ではないですが、お友達の中には激しく歯っ欠けな子も多いので。今は上の前歯が一本、若干動くかな~ぐらいなのですが、母としては上の歯が欠けたムスメの姿を想像しては、その可愛さに今から悶えています。

記録的な進歩と言えば、この半年間、転んで顔を打ったりしていないこと。椅子に座っていて何かの弾みに床に落ちたり、寝相が悪くてベッドから落ちたり、走っていて軽く転んだりはありましたが、激しく転倒して顔から落ちたことが半年間とないと言うのは、もはや新記録です。脚力と平衡感覚が強化されたのでしょうが、それでもやっぱり階段の上り下りがまだ1人でさせられないのが残念なところ。特に降りる時、片足で体重を支えて膝を折ることが難しいようで、まだまだ見ていて危なかしい。これができるようになるだけでだいぶ自立できるのですが、もう少し時間がかかりそうです。

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サマースクールの修了イベントではこのマントを着て踊るんだそうです。「お母さん作ってくださいと」いうレターが届き、久々にミシンを引っ張り出しました。

自立と言えば、最近ではお風呂でもできることはなるべく自分でやらせるようになりました。今こちらは真夏なので、寒さに震えて慌てなくてもよい分、時間がかかっても自分で足は洗うとか、石鹸の泡を落とすなどの練習をしています。洋服の着脱もしかりで、Tシャツなど上半身は私が手助けしますが、ズボン、パンツは自分で着たり脱いだり時間をかけてしています。学校がなくて時間的な余裕があるので今がチャンス。そう考えると、3ヶ月の夏休みも悪くないかもしれません(笑)。

歯磨きも、私の仕上げ磨きは絶対に必要ですが、それでもだいぶ上手に自分で磨くようになりました。歯ブラシの柄の部分を伸ばしてあげられるような方法を考えてあげられれば、きっともっとしっかり持って磨けるようになると思うので、これは私の課題です。

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お得意のひょっとこ顔。ふざけてばっかで全然磨いてないじゃないっ!といつも叱られるヒト。

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学習状況ですが、学年末に持って帰ってきた成績表は1学期と比べて飛躍的に良くなっていて、ムスメの1年間の成長にじ~んとなりました。5段階評価で5が一番良いのですが、10科目中8科目が4、2科目は3で大健闘。本当にびっくりしました。なにせ1学期は、10科目中9科目が3、1科目は2でスタートしましたから(それでもものすごく感動しましたけど)。

もっとも、この8科目4という評価にも怪しい部分はたくさんあります。例えば算数が大嫌いなムスメはまだ足し算引き算もちゃんとできないし(やろうとしない、かな)、逆に大好きな国語は仲良しのお友達よりも簡単に文章を書いたり読んだりできて、綴りも滅多に間違えないので、この二つの科目が同様に4の訳はないと思うのです。算数はやっぱり贔屓目の4をいただいたのかな〜。

こちらでは夏休みの宿題らしきものがほとんどないので、1月末までは勉強のべの字にも触れずに好きなことだけやっていましたが、2月に入ってからは1日30分だけ机に向かってお勉強をしようと提案しました。当初はぶーぶー言っていたムスメですが、筆記体(1日2文字)、ひらがな(1日3文字)、算数の計算(1日6個)、というカリキュラムに徐々に慣れてきて、今では「お勉強やる~」と言いながら自主的にノートを持って来るようになりました。集中力が持続しないムスメには、少しの量で始めたのが良かったみたい。さてこれから新学期に向けて、色々と思い出してもらわないと。

そう言えば、学年末の保護者会で「夏休みの宿題はないのですか?」と私が質問したところ、先生やお母さんたちが一斉に「子供達には休みが必要よね」と大合唱したのには本当に驚きました。またしてもカルチャーショック!だって3ヶ月間何もしなかったら全部忘れちゃうよ??と思ったのは私だけだったみたいです。ユルイ~!!

今はどうなのかよく知りませんが、私が子供の頃は1ヶ月半の夏休みに山のような宿題が出ていたものです。アサガオの観察日記、絵日記、新聞の切り抜き、読書感想文、自由研究に国語と算数のドリル、果ては家庭科のエプロン作りまで。今思うと確かに、「夏休み」と謳っているにも関わらず、なんであんなに沢山のことをやらなくちゃいけなかったんだろう、と思います。だって宿題のことを考えると、気持ち的に全然休めなかったから(それはきっと側から見ていた私の母も)。

アルゼンチン(中南米)と日本は色んなことが本当に対極にあって、私の中の常識が覆されることと、それをきっかけに考えさせられることが尽きません。どちらが良いかは一概に言えませんが、子供たちが楽なのは断然こちらでしょう。でも治安上、子供たちだけで公園や道端で自由に遊べるわけでもないから、長い夏休み+宿題ゼロでは時間を持て余しちゃうかも。

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さて、昨年の学校での様子ですが、1年生は23人中13人が女子で、どうやらその中に3つのグループがあったようです。一つは勉強も生活態度も優秀な子たち、もう一つは学校にもお洒落(口紅まで)してくるおませな子たち、そして最後は一番子供っぽくてイノセントな子たちで、ムスメはこの最後のグループにいました。

メンバーは双子のサブリナちゃんとモラちゃん、そしてブラジル生まれのマルーちゃんとムスメで、幼稚園から一緒だった仲良し4人組です。面白いのは、この子達が多分クラスの中で最も特殊な環境で育った子たちでもあることです。双子ちゃんは双子ちゃんという特異性があり、マルーちゃんはお父さんがコロンビア人でお母さんがアルゼンチン人の科学者、ブラジル生まれで今でもお母さんの仕事の関係で頻繁にブラジルへ行くことからポルトガル語も話し、そこら辺も日本との二重国籍を持ち日本語を理解するムスメと共通するものがあります。

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2歳の時に知り合った4人の友情が続いていることに、幼稚園の先生たちも感動〜!って言ってました。

昨年末にはおませちゃんグループの子がモラちゃんのノートをふざけて破いて捨てたりと、クラスの中でも徐々に色んな出来事が起こり始めていてるようです。ムスメは概ねみんなに良くしてもらっているようですが、一度だけクラスの男子に「バーカ」とからかわれたことがあり、横にいたマルーちゃんがムチャクチャ怒って食ってかかってくれたそう。こういう話しも全部マルーちゃんが教えてくれるので、本当にお友達の存在が有難いのです。今年度からは、遂に付き添いなしで1人で学校生活を送ることに決まったので、大丈夫かなぁと今から心配ではありますが、周りのお友達に助けてもらいながら本格的な自立の第一歩を踏み出してくれるといいな。

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みんなポーズ取っちゃったりしてカッコイ〜(笑)。写真右はお引っ越し中の双子ちゃん宅で記念撮影です。

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ムスメの照れ屋は相変わらずですが、嬉しい事にサマースクールでもすぐにお友達ができました。今回も縁があったのは双子ちゃんだったそうです(余談ですが、アルゼンチンって双子がとっても多いんです)。子ども一人一人の障害児に対する柔軟さ、寛容さは異なりますが、沢山のお友達にお菓子をもらったり、手遊び歌を教えてもらったりと仲良くしてもらっているようで、「サマースクール大好きっ!」といつも上機嫌で帰って来ては、習ってきた遊びとか踊りとかお歌を披露してくれる姿を見るのが、私にとって何よりの幸せです。

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ただ今、手遊び中。

スクールではもう水も怖がらず、顔に水しぶきが飛ぶのも嫌がらず(自分で拭けないけど)、ジゼラと一緒にがんがんプールにも入っているそうです。2年前にはクラブの大型プールを怖がって、赤ちゃん用のプールでチャプチャプ水遊びをする程度だったのに、すごい進歩。ジゼル曰く、「お魚みたいな子」だそうで、水に入るのが本当に好きな様子。

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ビクトリアにある大型プール施設にて。色んな水温のプールの中でも、湯治客で賑わう温泉プールが一番のお気に入りでした。母はすっかりのぼせちゃいましたけど。

先日、R市を流れるパラナ川を船で渡って対岸のビーチに家族で行った時も、ず~っと川に浸かりっ放しでした。気管カニューレが付いているので、胸元までしか水に入れないのが本当に残念。カニューレが取れた暁には、ムスメと一緒に頭までザブンと水に入ってお祝いしたい!

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対岸ビーチでテレレ(氷入りの冷たいマテ茶)を飲んでいるところ。木陰もあって涼しくて、とっても心地よい場所でした。

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性格的には相変わらずポジティブで朗らか、人を笑わせるのが好きな子で、不機嫌なことがほとんどないので助かっています。が、最近ではB型的「己の道を行く」精神や気の強さも見え始め、それに伴い兄弟喧嘩が激化しています、、、。お兄ちゃんのセドリックももう13歳になり、毎週末我が家に来ることもなくなり、昨年からは2週に1度、金曜から月曜まで来るようになりましたが、そのわずかな時間に喧嘩するする。うるっさーい!いい加減にしなさいっ!!とママが爆発するまで2人してゴチャゴチャ言い合ったり、叫び合ったり、ドアをバタンと閉め合ったり、相手のした事を私に言いつけ合ったりしています(←交互に来るからオカシイんです)。

セドリックもお母さんの家では一人っ子、ムスメも我が家でお兄ちゃんがいない時は一人っ子。それが2人になった時のぶつかり合いがコレなのかなぁ。まあでも兄弟って喧嘩するものですよね。私と5つ年上の姉も、子供の頃はほ~んと喧嘩しかしませんでした。「あんたは橋の下で拾われた子なのよ」といつも姉に意地悪を言われ、口で上手に言い返せない私は悔しくて姉に殴りかかったものです。姉の腕に青タンを作って、母にもの凄く叱られたこともありましたっけ。だから自分は姉に嫌われているとずっと思っていましたが、大きくなって初めて、本当は凄く大事にしてくれて、自慢の妹と思っていてくれたことを知ってびっくりしたんでした。あ、涙出てきちゃった。

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久々の家族写真。こうしてみると仲良さそうな家族に見えますけど、、、ね(苦笑)。

話は逸れましたが、ムスメの「ゴーイングマイウェイ」な性格を頼もしく思う場面も最近増えました。先日も、私のお友達の娘さんのお誕生会に招待されて行った時、集まった30人ぐらいの子供達は誰もムスメのことを知らず、最初はびっくりしてみんな遠くからムスメをじーっと眺めていました。そんな空気がムスメにはちょっと居心地悪いかな~と私が気にして、「ママと一緒に座っておやつ食べようか?」と声をかけたところ、「ううん、遊び場でみんなと遊ぶ」と即答。「本当?大丈夫?」と聞くと、「全然大丈夫!」と遊ぶ気満々でプレイルームへ戻って行きました。

7歳にもなれば自分とお友達の違いもはっきり分かっているでしょうし、周囲の視線や態度にも絶対に気がついているはずですが、本人は気にする素振りもなく、逆に外で知らない子にじーっと見られたりすると、私を見上げてニコニコします。じーっと見る子供達も、チャンスを作ってあげれば近寄って来て「この子どうしたの?名前は?何歳?」と次々に質問してくれて、そしてムスメと仲良くなってくれる。本人もそういう経験を沢山してきているから、誰も悪意を持っている訳ではなく、自分を見るのは自分に興味があるから、と理解しているのかもしれません。そんなムスメの態度が私には凄くタフに見えるし、怯まない姿を誇らしくも思いますが、私のこの感覚こそがいわゆる”大人の感覚”で、本人的には別にタフなわけでもなんでもなくて、自然体なのでしょう。

他にも、すっかりお姉ちゃんになったなと思うのは、私が疲れていたり、頭が痛かったり、落ち込んでいたりするとすぐに気がついて、気を使ってくれたり、慰めてくれたりするところ。ママのことを本当によく見ているなあと思います。絆創膏を貼っているのを目ざとく見つけたり、私の独り言とか表情の変化も見逃さず「どうしたの?」とすかさず聞いて来るので、余計な心配させないように逆に気をつけなくちゃと思うことも増えました。

ご飯が美味しいと「美味しい。ママ、ありがとう」と言ってくれるし、やりたい事、食べたい物、行きたい場所などもハッキリしているし、何事においても意思表示や自己主張がしっかりできるようになりました。後でちゃんとお勉強するからちょっとだけゲームさせて、なんて交渉ごともお手の物。元々甘いパパなんてイチコロで、ムスメの手の平でコーロコロ転がされていて困ったものです。ま、今でもママと一緒に手を繋いで寝たいとか、目を覚ましてママが横にいないと泣いちゃうところはまだまだ赤ちゃんですけどね(←実は嬉しい)。

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マルーちゃんが初めてお泊まりに来てくれた日。夜遅くまで子犬のようにじゃれ合ってました。

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この1年で上達したことや、今興味があることをまとめてみます。

1)お絵かき

お絵かきは2匹の猫が我が家にやって来てから飛躍的に上手になりました。話したいことがあるから語学が上達するように、描きたいものがあることが絵の上達に欠かせないのだと再認識しました。猫の口の描き方を教えてあげたら早速真似して描き始めたのですが、ちょっと歪んでいてアンシンメトリーなところが無茶苦茶カワイイ!このブサ可愛い猫は、キャラクターグッズにしたら人気が出るんじゃないかと真剣に考えた私は親バカでしょうか??

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ブサカワ猫シリーズの1枚。右側の「風船を持つ女の子」も一時ブームでした。

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ここら辺からテーマが「猫」→「女の子」に。どの絵にも「ママへ」って書いてくれます。キューン。

最近はママ、パパ、自分、そして猫たちや想像上の飼い犬などを描きますが、なぜかセドリックのことは描きません。一度4人の人物を描いたので、「これはセドリック?」と聞いてみたら、「ううん、フェデ(架空の恋人)」としらっとした顔で答えました(爆笑)。なんでかなー。やっぱりお兄ちゃんと喧嘩ばっかりしているから、その仕返しなのかなー。

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ハート、太陽、雲、星、花など、描けるモチーフがだんだん増えて行き、本人も楽しくなったみたい。  

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これも4人ですがセドリックはいなくて、代わりに”ミニちゃん”という見知らぬ子が。右の絵ではパパにおヒゲも描くようになりました。

塗り絵も進歩しました。枠の中を塗る、というルールは前から分かっていましたが、どうせ自分には細かい作業はできないと半ば捨て鉢でガシガシ塗っていたのが、鉛筆の握り方が上手になったためか「自分でも塗れる」って思ったよう。こうして自分に自信が持てると、挑戦してくれるようになって成果も出るので、まずは自分を信じられるようになることが最初の一歩ですね。たくさん褒めてその気にさせる作戦が功を奏したのかな。

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ここでムスメの架空の愛犬「ローラ」が登場!!

2)文字

もう一つ、昨年目覚ましい上達を見せたのが、文字を書くこと。1年生開始時と終了時の文字を比べて見るとこんなに違います。

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これが1年生開始時のノート。文字がでっかいだけでなく、いたずら書きも多くて途方に暮れました。

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これが学年末の頃のノート。見違えるほど小さくキレイに文字が書けるようになりました

文字を書くことが楽しいって、ある段階で思ったようで、家にいても一人で紙に向かって文字をひたすら書いている時もありました。最初は意味のない文字の羅列だったのが、段々単語に変化していったのには感動しました。スペイン語の場合、RとL、BとV、SとCとZ、GとJなど発音上間違えやすい綴りが幾つかありますが、驚いたことにムスメはほとんど間違えません。自信がない時はちゃんと聞いてきますが、そうして疑問に思うことも大事なことなんだそうです。多くの子供が疑問にも思わずに誤った綴りで書いてしまうそうなので。

私の家系は100%文系で、私自身学生時代は国語はクラスで一番、でも数学は赤点、みたいな極端な文系人間だったので、国語的な血を引いているのは納得できます。以前にも書きましたが、うちはダーリンが本の虫、じいじも本の虫、私の姉も本の虫、と本の虫だらけなので(笑)余計に納得。

これまではスペイン語学習が第一で、負担になるようなら日本語は二の次と思っていましたが、様子を見ていたらいけそうなので、2月に入ってから試しにひらがなを教え始めました。ひらがなって形が難しいのでどこまできちんと書けるようになるか、定着するかは分かりませんが、日本の絵本などを自分で読めるようにしてあげたいなと思って。今のところ楽しそうに勉強しているし、パパに偉そうに教えたりするのが特に嬉しいみたいなので、地道に続けていこうと思います。

3)英語の歌

Youtubeで1年以上前にはまった「フィンガーファミリー」を、365日以上、毎日聞かされて家族中が閉口しています、、、、。この歌、アニメや映画のキャラクターバージョンも沢山あり、本人は見飽きないのかもしれませんが、同じ歌のあまりの再生回数に私たちの方が根を上げています(汗)。思えば2年前は「イヤイヤオー」って曲を、めまいがするほど聞いていましたっけ。まあこんな歌がきっかけで英語を習いたいと言っているので、ちょっと子供向け英語スクールに今年は通わせてみようかと思案中。「勉強」となると絶対に嫌がるはずなので、それこそ英語のお歌を教えてくれるような、ゆる~いお教室を探しているところです。

4)架空のお話し

ムスメに架空のお友達”ピストラちゃん”がいた事は半年前に書いた通りですが、その後ブームが「お姉ちゃん」→「恋人」→「いとこ」と変わり、最近では「私の犬がね、、」と遂にマスコットが登場しました。曰く、”ローラ”という黒いワンちゃん(色は日替わりです)が、ムスメのお姉ちゃん”カロリーナ”の家で飼われているのだそうです。段々物語が多重構造になって来ています。大丈夫でしょうか??

ちなみに、架空の恋人はこれまでに3人いました。ある日突然「もう、ニコったら、ワッツアップ(LINEみたいなもの)で写真とかメッセージとか沢山送って来るから困っちゃう」と発言。「ニコって誰?」と聞いたら「私の恋人」とのお返事!でもこのニコ、メッセージの送り過ぎでムスメに嫌われたのか、しばらくしたら”ルーカス”が登場。「あれ、ニコは?」と尋ねたら、「ニコとはもう終わったの」だって、、、(汗)。こういう会話を学校のお友達がしているのかな。もちろんムスメはまだ携帯電話など持っていないので、メッセージの送り過ぎって言うのも架空のお話しです。

その後の「いとこブーム」は、いとこの多いマルーちゃんを見ていて火がついた模様。でも、実際にいとこが1人もいないムスメには、どういう関係がいとこなのか全く分かっていません。いとこが身近にいなかった私も、子供の頃、道行く人や知り合いのお子さんを見ては「あの子は私のいとこ?」と母に聞いていたそうで、意外といとこの概念を理解するのって難しいかもしれません。

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マルーちゃんがムスメにとってはいとこみたいな感じかな。マルーちゃんのママと私が姉妹みたいなので。

5)映画

集中力が続かずに、長めの動画が見られなかったムスメですが、なんとこの半年の間にシュレック1、2、4(3はつまらないから省略)とシュレック・クリスマス編を見終わりました!とは言っても、一度に全部見るわけではなく、最初の15分ぐらいを何度も見た後、私の説得により更に次の15分を見る、という感じで、何日もかけて最後まで見終わったのですが、一度最後まで見てしまうと、次には同じ映画を30分ぐらいは継続して見られるようになりました。

細切れに見ているとは言え、一番大事なことは、長いストーリーを最終的には繋げて理解できるようになったこと。なぜシュレックだったかと言うと、子供向けの映画で私が一番好きだったから(笑)。何度も繰り返し見ることになるなら、せめて私の好きなやつを、、と思って選びましたが、久しぶりに見たらやっぱりシュレック最高でしたよ!シリーズ最終編なんて何度見てもラストシーンで感動して泣き、そんな私を見るのがムスメ的には面白かったみたいです。

さてそこで、この夏休みの目標の一つであり、私の長年の夢でもあった「ムスメと一緒に映画館」を遂に実行に移しました。いくつか候補を上げて予告を見せたところムスメが選んだのは『モアナと伝説の海』。よーし、それならと、夏の1日フルコースでムスメが喜ぶこと満載にしてあげようと企画したのですが、なんとこれが裏目に出ることに、、。完全なる計算ミスで思わぬ結果となりました。

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これから見るぞー!という一枚。ま、実際にはそうはならなかったんですケド(爆笑)。

この日は朝11時ごろ家を出て、暑い中バスに揺られながらショッピングモールに到着したのは12時前。映画館でチケットを発券してもらってからフードコートでランチにしましたが、ムスメはすぐ横のゲームエリアに気もそぞろ。ご飯を半分以上残し、大好きな車のレース、エアホッケー、モグラ叩きに挑み大満足。その後、まだまだ上映時間前なのに映画館に入りたいと騒いだので15分前に入場。待っている間は1分おきに「モアナは?モアナは?」と言い続けて私を狂気の淵まで追い詰め、場内暗転となってから20分も続いたコマーシャル中も横から呪いのように「モアナは?」とつぶやく声が聞こえること数10回。遂に本編開始と思いきや、10分後には力尽きました。

そう、寝位置を求めて座席の上でモゾモゾと動き続けるムスメに気づいて「眠い?抱っこしようか?」と聞いてみたところ、もにょもにょ言いながらすぐさま膝に乗っかり、私の胸に頭を預けて爆睡してしまったのです(!!)。まあそうだよねぇ、、、朝から興奮しっぱなしで、長いことバスにも乗って、ご飯も食べた直後でお腹いっぱいで、遊んだ後に散々待たされて、おまけに場内は暗くて涼しくて、もう眠気は最高潮だよねぇ、、、と、スヤスヤ眠るムスメの寝息を感じつつ、己の計画ミスを悔いて、一人ほぉ~っと深いため息をつきました。

そしてエンディングロールが流れる中ゆったりと目覚めた我が家の姫は、「映画館に来るの好き?」という私の問いにニッコリ笑いながら「大好き」と(爆笑)。次回は絶対に家の近くの映画館に行って、余興一切なし、本編開始と同時に場内に入る!と固く心に誓った次第です。今回はまあ、「一度入場したら終わるまで出ると言わない」という私との約束は守ったことを高く評価して、良しとします。

余談ですが、『モアナ』は話の展開がすごく速くて、キャラクター的にもせわしなくて、『アナ雪』レベルを期待していた私としてはちょっと残念でした。テーマや舞台は素敵なので、もう少し感情移入できるメッセージがあり、落ち着いた雰囲気だったら良かったのになと個人的には思いました。でも夜の海に光るエイがやって来るシーンなど、映像はとっても綺麗です。

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さて、今年の課題です。

ムスメは抽象的な概念を理解するのが苦手なようだと、確か前回も書いたと思うのですが、引き続き”算数”と言う名の高い高い壁を前に格闘しています。3と4と、どちらの数が「大きい」かという質問を理解することがまず難しいよう。具体的にものを並べて見せたり、絵を描いたりもしましたが、数字が「大きいか小さいか」と言う問いは、改めて考えてみるととても抽象的です。

それと同じことが、通っていた音楽教室でもありました。お歌大好き、楽器を触るのも大好きなムスメではありましたが、楽譜を学ぶ段になりとても苦労しました。口ずさむ歌があのオタマジャクシになって、紙の上に書かれるって、確かに極めて抽象的ですよね。それが原因で今年はもう音楽学校に行きたくないと言い出したのですが、逆に言えば楽譜を学ぶこと以外は大好きだった訳で、それだけの理由で辞めちゃうのはもったいないよって話しをした結果、一応継続することになりました。

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音楽学校、最後のクラス発表会。「誰か歌ってくれる人?」と先生に聞かれたら率先して手を挙げ、皆の前で堂々と一人で歌を歌って喝采を浴びました(!)。

音感はある子だと思うし、まずは耳から覚えていけばいいんじゃないかなぁと私は思っていて、楽譜に関しては徐々に抵抗感がなくなっていけばいいかな、と。もう少し続けてみて、本人が苦痛だと思うようならやる意味はないですが、ちょっと苦手と思うことがあっただけで簡単に諦めて欲しくないので。

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先生が「ド」「ミ」「ソ」と言うのに合わせて、5本の線上に丸いカードを置いていく遊び。ここら辺からちょっと難しかったかな。

算数も本当にゆっくりゆっくり、ムスメが一番理解しやすい方法を手探りで探しながら、道を開いて行ってあげないと、、、と頭では分かっているんですが、何度説明してもどうしても分かってもらえなかったり、忘れられちゃったりすると、つい私の方がキーッとなってしまう(元来、堪え性全くナシ)。もうこれは既にムスメの勉強と言うよりも、私の忍耐力を培う訓練と言えるでしょう。ムスメは数字と、私は己の短気と取っ組み合う日々はまだまだ続きそうです。

もう一つは、やっぱり自立です。ムスメの体の構造上どうしても不可能なことはあって、そこは多分生涯どなたかの助けを借りないとできないとは思うんです。それは凄く日常的で基本的なこと、例えばメガネをかけたり外したり(将来的にはコンタクトかも)、髪の毛を梳かして結んだり、Tシャツを着たり脱いだりのように毎日しなければならないことです。私が生きている間は手伝ってあげられますが、将来的にどうなるのかな、、と考え始めると正直とっても不安があります。でも今は、ムスメが自分で出来そうなことから一つずつ練習させていくしかないですし、今年から具体的にテーマを決めて徐々にクリアしていけるよう作業療法士さんとも話し合おうと思っています。

道具が必要なことも見極めて用意してあげていかないと。手が届かない顔を洗うための柄付きのスポンジとか、柄の長い歯ブラシとか毛髪用のブラシとか。口に入ってしまった髪の毛をどうやって自力で取るか、食後に口の周りの汚れをどうやって拭くか、目が痒い時にどうやってかくか、サンドイッチやポテトチップスをどうやって口に運ぶか等々、基本の基本過ぎて健常者にはちょっと想像もつかないことが実はできないので、リストを作って使えそうな用具・道具を探したり作ったり、それらを実際に練習してみたりすることを今年は始めたい。

この作業はきっと、ムスメにとって”自由への道”になるでしょう。本人の中に芽生えつつある自立心を大切に育てて、助けてあげられる方法を一緒に考えていくことが今年の親子の課題です。

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踊るの大〜好き。腕は真ん中の写真ぐらいしか上がりませんが、本人気にせずいつも楽しそうに踊ってます。

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最後に。

アルゼンチン人の著名な心理学者であるガブリエル・ロロンがその著書に書いていたのですが、「人間とは決して”本能的な生き物”ではない」そうです。それはなぜかと言うと、どんな動物も病気や障害を持って生まれた我が子を守ろうとはせず、むしろ殺したり、食べたり、見捨てたりと切り捨てるのに対して、人間の母親はどこまでも生かそう、守ろうと命をかけて奔走するからだそうです。つまりそれは、人間が動物とは一線を画す、ヒューマニティーの根幹とも言えます。

ムスメのクラスにはダウン症児のマルティン君がいます。いつでも天使のように無垢な笑顔で、周囲の人間を幸せにしてくれるこの子のお母さんもまた、とても文章の上手な素敵な方ですが、その彼女がある日私に携帯メッセージを送ってくれました。

「私はマルティンを授かって、一つの使命を与えられたと思っているの。それは、マルティンをしっかり育てて、そしてマルティンがいつか”ヒューマニティーを救う”と言うこと」

このメッセージを読んだ瞬間、「ああ、そういうことだったんだ」と雷に打たれたようなインパクトを受けました。頭の中に散らばっていた幾つもの思考の断片が、突如繋がり形を成した気がして、しばし身動きできずに何度も何度もそのフレーズを読み返しました。何年も前に読んだロロンの分析が鮮明に思い出され、生まれたばかりで死にかけたムスメを抱いて必死だった自分や、日本で障害児を中絶する女性が増えているという衝撃的なニュースや、あの信じられない相模原の障害者殺傷事件が頭をよぎり、自分がこの使命を授かった感動と痛みと、社会に対する不安と期待と、その他たくさんの名前が付けられない感情で胸が一杯になり、しゃくり上げて泣きました。

ヒューマニティー。障害があっても病気でも、互いに助け合い、共に生きていくことができるのが人間のはず。

障害児者と一言で言っても、障害の程度も苦労も人それぞれですし、経験というのはいつでも個人的なものですが、あくまで私の話をすれば、障害者手帳2級の障害児の親になって7年間、どれだけ大変な思いをしても、辛くて泣いたことが数えられないほどあっても、私の人生はそれ以上に”幸せ”と思える瞬間に満ちていました。ムスメに教えてもらった”可能性”と”希望”と、そして”立ち向かうこと”は、何よりも重要な私の生き方の礎にもなりました。

子供の頃から器用で割となんでも簡単にできてしまった自分には計り知れない苦労を、ムスメが一つ一つ乗り越えていく姿は、私の「世界を見る目」を根底から変える力がありました。自分が何も考えずに過ごしてきた子供時代を、今ムスメと共にとことん考えながらやり直している気分で、こうして2度目の人生を異なる視点で生きられることにとても感謝しています。ムスメの母になれたことは私の人生で最良の出来事でしたし、生まれ変わってもまたムスメの母になりたい。絶対になりたい。

世界が、そして日本が、そんな”異なるキャパシティーを持つ人々”から大切なメッセージを受け取れるだけの繊細さと想像力を、どうか失いませんように。7歳、すっかり少女になったムスメが、これからも逞しく生き抜いていけるような、ヒューマニティーに溢れた世の中でありますように。

ママはずっと見守っているから。

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真夏の庭にて、すっかり大きくなったクロエと。

2017年 年始の想い

明けましておめでとうございます。本年も皆様にとって叶えたい夢に満ちた1年でありますように。拙ブログも、今年こそはもう少し頻度高めに更新していきたいと思っています。と、毎年書いている気がします。

昨年は久しぶりに日本で寒いお正月を厳かに迎えましたが、今年はここアルゼンチンで30度越えの熱帯夜の中、汗だくになりながら、除夜の鐘ではなく爆竹と花火の轟音に包まれて2017年を迎えました。こうも暑いと料理を作る気にもなれず、共に過ごした友人一家のお父さんにASADO(アルゼンチン式バーベキュー)をお願いして、女性陣はみんな楽させてもらいました。

告白すると、今回の年越しは昨年残した多くの課題で頭がいっぱいで、明けてめでたしと言うよりも、どうやって諸々の事に立ち向かって行こうかという少し生真面目で重たい気分で過ごしました。こういう気持ちで新年を迎えるのはもしかすると人生で初めてかもしれず、今の自分が人生の岐路に立たされていることを改めて思い知らされました。

守りに徹するか、攻めに転じるか。現状維持か、新たな冒険に乗り出すか。独り身だったなら迷わず後者を選ぶところですが、これは家庭を持って以来初めて自分が直面するY字路で、しかも妊娠、出産、育児看護と脇目もふらずに突っ走ってきた8年間を経て直面した”私自身の人生”で、ブランクの怖さもあって余計迷っています。

40も過ぎるとそこそこ手に入れてしまった物もあって、そんな”安定”を手放して再び大海原へ飛び出し、未知の世界に向かって漕ぎ出すリスクを敢えて取るというのは難しい選択です。でも、先日縁あってみていただいたタロットの先生に「あなたの人生ナンバーは臆病な冒険者」と言われて深く納得したように、やっぱり怖がりの癖に冒険好きの自分が体の中でうずうずしている気配も感じています。いろんな可能性を視野に入れながら、あまり考え過ぎずに大きなうねりに身を任せてみようかな。

そんな私の今年の目標は、「変化を怖がらない」。先日ある人に言われました、「変化っていいものよ」と。そのシンプルな言い方がすごく新鮮に胸に響いて、ああそうだよなとしみじみ。実家を出た後は横浜2年、東京2年、エルサルバドル、メキシコ、ボリビアそれぞれ2年、、、かつての私は2年以上同じ場所に居られないほど変化の好きな人間だったことを思い出しました。それが今、アルゼンチンR市に9年と言うことは、すごい記録を更新していることになります。

だから二つ目の目標は、「自分が何者だったか思い出す」。歳を重ね、パートナーと人生を共にするようになり、母親になって人生の役割が増えたことで、元々自分がどんな人間だったのかすっかり忘れている部分も沢山あることに気がついたので。私の幸せの中心はムスメで、そこは何があっても1ミリもブレませんが、元来の自分を思い出し、今の年齢・環境の中でどう生きていきたいのかをきちんと考えてみたい。なんて、日々の忙しさに追われて、時間ばかりがどんどん経って、こんな目標が埋もれてしまわないように生活しないと。

そんな迷いと日々のことを徒然なるままにつづっていきますので、どうぞ本年も宜しくお願いします。

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最愛のムスメは、今月20日に7歳になります。

ChloéとAdela

暑〜いっ!連日35度越えのアルゼンチンR市です。2014年に8年ぶりぐらいで日本の夏を体験した時には、目の前で母が熱中症で倒れ、その凄まじい暑さに慄きましたが、こちらの夏も半端ないです。週間予報を見てみたら、むこう1週間、連日36、37、38度と続く模様。やっぱり温暖化です。8年前に引っ越して来た頃は、2、3日35度を超えたら雨が降って気温が下がり、28度前後に落ち着く日が数日続くと言うサイクルでしたもの。

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夏の風物詩その①プール開き。でもこのプール、ボロボロ過ぎて夏の終わりまで絶対もたない。

そもそも川沿いの街なので、湿気も凄いし蚊も多い。しかも日本の家屋と違って網戸がない上、我が家の周りはぐるっとご近所さんの広大な庭ということもあり、虫除けを浴びて生活していましたが、先日日本のネットで『蚊がいなくなるスプレー(キンチョウ)』なるものを発見。口コミを読んだら素晴らしい評価だったので、早速購入し、両親に送ってもらおうとしたところ、「国際郵便ではスプレー缶は送れません」と発送してもらった荷物が差し戻しになったそうで、泣く泣く諦めたのでした。ああ、便利グッズ大国日本は遠い。

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夏の風物詩その②クリスマスツリー飾り。何年やっても暑いクリスマスは情緒がなくて盛り上がれな~い!

まだ12月なのにこの猛暑。夏は始まったばかりで少々憂鬱です。そしてもう12月、、、。2016年が矢のように過ぎ去って行こうとしていますが、今年中に絶対に書いておきたいことが沢山あり、お尻に火がついてきました(汗)。12月に学年末を迎えたムスメの3ヶ月間に渡る長い長い夏休みも始まり、いよいよ自分の時間も取れなくなりました。年内にあと何回ブログを更新できるでしょうか。

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夏休み中のお嬢様はお菓子を作ったり軒先のハンモックでおくつろぎになられたり。

ずっと相手をするワタクシに自由時間ナシ(涙)。

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さて、先日ちらっと写真を載せましたが、10月中旬に2匹の子猫が我が家にやって来ました。生後1ヶ月半の姉妹で、男子顔負けのおてんば娘・ゴロゴロ言う癖にちっとも抱っこさせてくれないツンデレのAdela(アデラ)と、太っちょでノロマで食いしん坊・ちょっぴり甘えん坊の癖にゴロゴロとは絶対に言わないChloé(クロエ)です。

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左がクロエ、右がアデラ。(変換したら「黒江」「あ寺」と出てきました。日本的で斬新!笑)

NINAのこともあったので当初は消極的だった私ですが、NINAに注ぎきれなかった愛情を注ぎたい想いが自分の中でくすぶっていることには薄々勘付いていました。何より、NINAの死を受け入れられず、いつまでも名前を呼んでは探し続けるムスメが不憫で、新しい家族を探し始めたところが大きかったです。

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NINAのおうちをすっかり気に入った2匹。捨てられずに取っておいたけど、こんな終着点があって良かった。

fbの飼い主探しサイトに連絡してみたり、毎週土曜日に町中で行われる里親探しのイベントに行ってみたりして何度か猫をもらい受けるチャンスはありましたが、その都度何かが起こって最終的には破談になるパターンが続き、縁がないんだなあと諦めていた矢先のこと。ダーリンのお母さんのお知り合いの家で生まれた子猫を、是非ムスメちゃんにもらって欲しい、と連絡をいただきました。

早速見に行ったダーリンとムスメから私の携帯に写真が送られて来たと思ったら、そこにはなんと2匹の子猫が!なんでも、飼い主さんが既に色違いの2匹をセットで準備していてくれたそう(超想定外。汗)。もちろんダーリンもムスメも2匹で2倍の可愛さのチビ助達にすっかりノックアウトされ、そのまま飼い主さんの思惑通り姉妹揃って我が家に迎え入れることとなりました。

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小さくてケモケモしているというだけで可愛いところがずるい。これじゃあ2匹とももらってしまいます。

医療費、特にワクチン代も食費もバカにならないし、2匹飼うことになるなんて夢にも思っていませんでしたが、「猫は2匹で飼うのが良い」という通説があるらしく、結局反対していた私がみんなに押し切られる格好となりました。確かに2匹いるとずっと一緒に遊んでいて手がかからないし、噛み合いっこをすることで強く噛み過ぎないことを学んだりと良い点も色々とあるようです。その分、5分おきにトイレ掃除をしている気分でしたけど、、、。子猫ってこんなに頻繁におトイレに行くものでしょうか??しかもx2だから余計!!

2匹飼うとこうなるのかと初めて知ったのは、いつもピッタリ寄り添っていて、私たち人間にはへーんって顔をしていること。もっと甘えて欲しい私はちょっぴり寂しかったりもします。おいでと呼んでも知らんぷり、抱き上げればピョンと飛び跳ねて直ぐにどこかに行ってしまう(涙)。

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2匹飼うのは躊躇しましたが、こんな姿を見ていると、姉妹一緒の方が断然幸せだなと思います。

クロエはちょっぴり甘えん坊と書きましたが、ただ単に小太りで動きが鈍く、抱き上げると「うっ」となってあんまり動かないと言うだけで、決して甘えん坊な訳ではないことにも最近気づきました。が、その鈍さを狙ってキスの雨を降らしグリグリと撫でる私。むしろクロエが”私に甘えさせてくれる”と言った方が正しいかもしれません。

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本音を言えば、NINAみたいに白とグレーとか、白黒とか、三毛とか、コゲとは違う白ベースの猫が飼いたいと思っていたんです。でも、何度かそういう猫をもらえるチャンスに遭遇したのに、全て途中で諦めざるを得ず、最終的にやって来たのが、模様のはっきりしない黄色いクロエと、コゲの生まれ変わりかと思うほど私のかつての愛猫にそっくりなグレーのアデラでした。アデラを見た瞬間「あら〜、またアナタ?」と思わず呟いてしまったほど。これが縁というものなのでしょう。

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生活空間にうろうろしている生き物がいると和みます。

当初私は黄色いクロエを「ブサイクブサイク」と散々言っていたのですが、我が家に来る人みんなが「何て綺麗な猫ちゃんなんでしょう!」とクロエを絶賛するのを聞いて「アルゼンチン人って美的感覚ないのかな?」とか失礼なことを考えながら首を傾げていました。ところが、ある日ワクチン接種で獣医さんに連れて言ったところ、獣医さんまでもがクロエに一目惚れ。「そんなにブサイクって言うなら僕にください」と。

曰く、「黒の斑点の入ったトラっぽい模様で、この黄色は非常に珍しい」んだそうです。一般的なのは白地に黒&グレーの斑点のアデラの方だそうで、クロエは山猫とか野生の猫から来た色をしていると説明されました。へ〜そうですか。でもブサイクだけどね(笑)。

ま、美しいかどうかはともかく、この子達のおかげで家の中が格段にうるさく明るくなったのは確かです。セドリックもムスメも生き物を慈しむことを日々学んでいるし、私の中にも久しく眠っていた猫愛がフツフツと湧き上がって来ているのを感じます。

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2匹いるお陰で兄弟喧嘩をしないでくれるので助かります。お兄ちゃんもやっぱりデレデレなので。

実は新しく子猫を貰い受けるかどうか散々迷っている時、ボリビア人の友人に言われました。「私たちの前に現れるこの天使達は、愛し愛されるチャンスを運んで来てくれるんだよ。コゲもNINAも、アマンダに愛され、アマンダを愛し、共に人生を過ごせたことをきっと誇りに思ってる」と。

彼女のこの一言にボロボロと涙を流し、そして背中を押されました。本当にそうです。生活する中でアデラとクロエに対する愛情が家族みんなの中で溢れ出し、猫達の中でも私たちへの信頼が日々強くなっていくのをしっかり感じます。この子達のお陰で、人生の中で愛する存在が二つ増えた。それはとても幸せなことだと思います。

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現実的な話をすると、今最大の問題は、2匹が避妊手術を受けられるようになる生後6ヶ月まであと3ヶ月間、絶対に家から出せないことです。今では下手したら子供もできちゃう月齢となったため、細心の注意が必要です。とは言えこちらはちょうど夏ですし、我が家は窓もデカくてオープンな作りなので、外に出さないというのは至難の技。

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今は生後3ヵ月半。すっかり大きくなって、目の色も青から茶色に変わりました。もう赤ちゃんじゃないなぁ。

あっちのドアを開けたらこっちを閉める、この窓は絶対に開けちゃだめ、みたいな複雑なオペレーションをしながら何とか脱走を阻止していますが、無頓着なダーリンがあちこちのドアだの窓だのを閉め忘れて、すでに何度か庭に駆け出してしまったりもして、それが原因で離婚騒動になりかけています(汗)。しかも数日前、あまりにも外に出たいお転婆なアデラは、遂に2階の窓から庭にダイブ。ああ、この窓ももう開け放しにできない、、、。

あと数ヶ月、締め切った家で猛暑を乗り切れるかどうか、、、挑戦は続きます。

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〈おまけ〉夏の庭。元気のなかった赤いハイビスカスも復活して花を咲かせました。

カストロという革命家の死、そして再生

今年も短い春と初夏があっと言う前に過ぎ去り、本格的な暑さが到来したアルゼンチンR市です。庭ではダーリンの叔母さんからいただいたマルガリータが驚くほど一気に成長して、初めて花を咲かせました。それにしてもマルガリータって花自体は小ぶりで可憐ですが、植物としてはすっごくデッカい!どんだけ場所取るんだろうと、ぐんぐん育つ様を見て少々焦りました。

 

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これでもだいぶ切りました。すごく背が高くてびっくり。

 

アガパンサスも続々花を付けています。ひょろ〜っと1本だけ花を付け、しかもその貴重な1本をセドリックに折られて鬼に豹変した数年前の夏が懐かしく思い出されます(笑)。

 

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花自体が大きいので、10数本も咲くと豪華絢爛!

 

そしてこちら、先日ご紹介した通称「一日蘭」ですが、あれから色々と調べたところアヤメ科の一種で、「アメリカシャガ」、もしくは「ウォーキングアイリス」という名を持つメキシコ・中南米原産の花だと判明しました。開花しても1日で落ちてしまって寂しいと前回書きましたが、なんのなんの、春から初夏の間に何度も花をつけ、とっても賑やでした。

 

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1枚の葉っぱの先からこうしていくつも蕾が出てきて花を咲かせます。蕾もふっくらしていて可愛らしい。

 

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こちらはランタナ。クマツヅラ科の花で、種類によっては色々な色の混ざった華やかなのもありますが、我が家のはシンプルに黄色一色。縦に育って茂みになるタイプだと、うちの庭にはもうスペースがないので、地を這うタイプをミルクジャスミンの足元に植えました。マルガリータに続き、この花も今年初めて開花。新しい花がちゃんと咲いてくれると、育って良かった〜とホッとします。

 

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咲いた花を見たダーリンが「おばあちゃんの家にも咲いていた!」。花が繋ぐ記憶ですね〜。

 

ミルクジャスミンも少し前に満開となりました。

 

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その芳香を求めて、初夏の午後は庭の隅にテーブルを出すのが定番となります。

 

 

こちらはムスメが選んだ紫のペチュニア。赤い鉢を選ぶあたりのセンスがワタシとぴったり。

 

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自分のお花を買ってもらえたことが嬉しくて仕方がない様子。あ、でもペチュニアは匂わないのよ、、(笑)。

 

春になって花が増えた途端、ハチドリが蜜を求めて頻繁にやって来るようになりました。時には水やりをしている私の側でホバリングし、ホースから飛び散る水を飲んだりしていきます。ヒュンヒュンと高速で動くので、写真を撮るのが難しいのですが、これは我が家上空の電線に止まった時を激写したもの。

 

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色んな種類がいますが、我が家に来るのはこの青緑の玉虫色の綺麗なタイプ。

 

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一昨日、キューバのフィデル・カストロ前議長が亡くなり、一つの長い歴史が幕を閉じたなぁと、なんだかしみじみ考えてしまっています。折しも米国では例の新大統領が選出され物議を醸している真っ最中。このタイミングでカストロの時代が終わったことに不思議な一致を見る思いだし、タイミングとしては絶妙だったと言えるでしょう。もっと言えば、キューバだけでなく全世界が今、新しいステージに立たされているように感じます。

 

私は社会主義を信奉するものでは全くありませんが、中南米に長年暮らしてきて、大国、特にアメリカから徹底したコントロールを長いこと受け、富を搾取され続けて来たこの地域の歴史とその結果を目の当たりにし、多くのラ米諸国で反米左派政権が生まれてきた背景を理解する機会を山ほど得ました。その先駆けとなったカストロと、アルゼンチン人革命家のチェ・ゲバラ。大国支配に反旗を翻し、米国に癒着した腐敗政権を倒し、独自の政権を敷いた彼らが世界に与えた衝撃は、今更私が書くまでもありません。

 

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たてがみのような髭がシンボルだったカストロ。何時間にも渡る演説は既に伝説と言えるでしょう。

 

 

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チェ・ゲバラが革命を起こしたキューバに行き、彼が命を落としたボリビアで、しかも処刑されたサンタクルス県の担当として2年間仕事をし、なんと今、彼の生誕の地であるここアルゼンチンR市で暮らしていると言う不思議な縁が私にはあります。

 

革命後、国民の識字率を急速に引き上げ、医療に関しては先進国に負けないレベルにまで達することに成功したキューバは、ある部分確かに奇跡を起こしたと言えます。キューバにはこれまでに2度ほど行きましたが、オンボロ乗合タクシーの運転手までもが博士号を持っていたりするほど国民は全般的に高学歴で、どこへ行っても誰もが列に並んで待つように公衆道徳が徹底していて、夜間に1人で歩いていても比較的安全と言える治安の良さもありました。ただ、米国主導の世界的経済封鎖を受けて、国民はひたすら貧しかった。国から配給される食品、衣料品の内容を聞いて、あまりの少なさに愕然としたものです。雇用も無いから、高学歴でもタクシーの運転手をせざるを得ない現実があった訳です。

 

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2006年のハバナには、こうしたブッシュ批判の看板が至る所にありました。

それにしても改めて見ると凄い、口から血がしたたってます(汗)。「El asesino=人殺し」。

 

現地のジャーナリストと話してみれば、厳しい言論の弾圧やイデオロギーの対立から解雇された人も多く、医師たちからは医療レベルが高くても貧しくて縫合用の糸がないため盲腸の手術すらできないという現実も聞かされました。経済危機が最も深刻だった頃は、人々はグレープフルーツの皮の白い部分まで食べ、街にはピザの上にプラスチックを載せて溶かしたまがい物まで出回ったそうです。

 

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さすがに今はもうこういうプロパガンダってないんでしょうが、トランプ政権に移行したらまた出現しそう。

 

神聖視されたキューバ革命も、アメリカのお膝元に社会主義国家を作ろうとした旧ソ連の一大国家プロジェクトだったという側面も時と共に明るみになり、印象は明らかに変わりつつあります。革命後のキューバと、指導者としてのカストロへの評価も大きく二分します。彼の死後、「自国民に圧政をしいてきた残忍な独裁者」とドナルド・トランプが弾劾したように批判的な見方もあれば、ほとんどの社会主義国が権力者の横暴、汚職、富の一極化の結果を受けて崩壊する中、キューバにそれがなかったのはカストロが高潔な指導者だったから、という考え方もあるはずです。

 

最終的に何が正義で、何が正解だったかを判断することは極めて難しい。きっとそれは、生前カストロ本人が裁判所で言い放った「歴史が私に無罪を宣告するだろう」という名台詞と、彼の死後米国のオバマ大統領が表明した「歴史が彼の影響力を記憶し判断するだろう」の言葉通り、いつか歴史を振り返った時に初めて答えらしきものが見つかるのでしょう。

 

それでも私は、カストロが命をかけて成し遂げたキューバ革命が、あの時代のラテンアメリカの人々を勇気付けたことは間違い無いと思うし、政治家、指導者としてよりも、”蛮勇の闘士”であったカストロの安らかな旅立ちを祈りつつ、去りゆく時代を見送りたい。

 

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私の庭の一角には、18年間連れ添った愛猫コゲのお墓があり、その上には名も知らない紫色の可憐な花を咲かせる植物が2株植えてあります。いつもなら冬の間も葉っぱは青いままなのに、今年はだいぶ枯れてしまって、やっぱりお墓が下にあるからかなと気にしていたのですが、春の暖かさが訪れたある日、枯れかけた葉っぱの下から青々とした若い葉が勢いよく伸びてきて、いつの間にか枯れた葉っぱを覆い隠していることに気がつきました。

 

そんな「再生」を目の当たりにした感動は、不思議なほど大きかった。たったそれだけのことだったのに、不意に、3年前に逝ってしまったコゲと、昨年他界した友人、数ヶ月前に失ったNINAを立て続けに思い出し、死にかけながらも生き延びたムスメのこれまでや、遠くに暮らす高齢の両親のこと、そして少し前に我が家にやって来た新しい命の存在が胸をよぎり、去って行く命とやって来る命と、それら全てを受け入れ再生する大地の底なしの力強さを感じて、庭で1人、込み上げてくるものを抑えきれなくなって泣きました。堅い木の皮を破って蕾が芽吹き花が開くように、私の中に閉じ込めていた悲しみと感動と、そして感謝にも似たものが平常心を破ってほとばしったかのようでした。

 

強大な影響力を持つ非凡な指導者が逝き、これから再生するであろうキューバにも、新しい健康な葉がのびやかに育つ土壌があり、その上に降り注ぐ雨と見守る環境が世界にありますように。

 

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”我が家にやってきた新しい命”についてはまた次回。

 

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春うらら

すっかり御無沙汰しています。気がつけば最後の更新から既に2ヶ月以上も経っていました(汗)。が、何があったと言うわけでもなく、家族みんな元気です。

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先日じいじとばあばから届いた荷物の中に大好物”うまか棒”を発見。制服のままさっそく食べるの図。

こちらでは短い冬も終わり、すっかり春めいた陽気になりました。庭のカラーも完全復活して綺麗に花を咲かせ、辺りにはご近所さんで咲いたらしいジャスミンの香りが漂っています。我が家のミルクジャスミンとスイカズラもだんだん蕾が膨らんできて、私的にはその芳香が楽しみで待ちきれない気分です。この感覚は、日本で金木犀が咲く季節に感じていたのとよく似ています。

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昨年、日本帰国中に初めて咲いた正体不明の不思議な花も数日前に開花し、今年はこの目で実物を見ることができました。

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インディゴブルーの模様がポルトガルのタイルのようでうっとり見惚れてしまいます。

この花、1日で花が落ちてしまうことから「Orquídea por un día (1日蘭)」と呼ばれていますが、科学者の友人に言わせると蘭は花弁が5枚という特徴があるから、6枚の花弁を持つこの花は蘭ではないとのこと。調べて見たら、ユリ科の植物と判明しました。長い葉っぱは1年中青く、春になるとその何枚かの葉っぱの先にひょこっと芽が出て、そこから開花します。不思議〜!!今は5つほど蕾があるので楽しみですが、こんなに美しい花が1日で散ってしまうのはやっぱりとってももったいない。

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これが蕾。咲いた翌日は右写真のように小さく丸まってしまいました。儚い、、。

不思議な花といえば、丸いポンポン状の花を咲かせるアガパンサスも、今年は早々に花が咲きそうな気配です。昨年ダーリンの叔母さんから4株新しく頂いて植え足したのですが、その4株が早速蕾を付けました。それ以前に植えたいわゆる”古株”達はどっしり構えてまだまだ蕾を付けていません。”新人”は気が早いのかな。

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この5cmぐらいの大きな蕾から紫色の花弁がぽろぽろと飛び出してきて、円いボール状の花になります。

この春はクリビア(君子蘭)も満開となり、カラーの白とオレンジ色のクリビアの饗宴が艶やかな春の訪れとなりました。

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実物はもっと濃いオレンジ色だったのですが。

本当はお庭にもっと手を入れて、この春にはオレンジの木を植えたいと思っていましたが、うかうかしている内に暑くなってきてしまい、もう時期的に間に合わないかも??庭でもぎたての果物を食べるという夢を見続けて早数年。果実を付ける木が一本欲しいかったんですが、来年になりそうかな。

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8月を振り返ると、私の誕生日があって、以前から欲しかった室内用のヤシの木をダーリンにプレゼントしてもらいました。

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でも、ヤシの木隣の特等席に陣取るのはこの方。ひとの携帯でかっこつけてボイスメッセージを送っています。

ちょっと前まで、室内の一部を改造して温室を作ろうと目論んでいたのですが、色々と計算してみたところ、予算の関係上あっけなく保留となってしまいました(号泣)。なので今はちょっとずつ観葉植物を増やして、地道にジャングル化を目指そうかな、と思っています。

室内にもプランターを吊るしてみました(写真)グリーンが増えると断然テンションが上がります。

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お誕生日当日は実は風邪でものすごく体調が悪くて、なんとか定番の巻き寿司とケーキだけは作れましたが、本当にそれだけの食卓でお惣菜とか一切なし!しかも当の本人は風邪の影響で全く味覚なし、、、(涙)。せっかく作ったのに虚しい結果となりましたが、お友達家族とのんびり楽しく過ごせたから良かったかな。

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ムスメからはバースディカードのプレゼント。ワタシは風邪っぴきのヘロヘロ顔。

8月にはアルゼンチンの子どもの日もありました。おっきくなったお兄ちゃんは最近ちっとも家族と出かけようとしてくれませんが、この日は珍しく一緒に公園に行って、ムスメと子供用コースターにも乗ってくれたりして(って言うか、率先して乗りたがってたかな。笑)、ムスメも大喜びでした。

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公園内で大好きなPEPPA PIGにも遭遇!

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こうしてあっと言う間に8月が終わり、9月は、、、一体何をしていたのかもよく思い出せない、、、。

告白すると、ムスメの治療ラッシュが昨年の手術で一段落して、恐らく今、人生で最も平穏な時を過ごしていると思うのです。週に一回、アーティストの友人宅でベネチアンモザイクを習ったり、これまで放置してきた家の内装・改装に少しずつ手を着けたり、何年もの間出来なかったことが、ちょっとずつ出来るようになりました。

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ベネチアンモザイクのフォトフレーム。これが初めて作ったもの。

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ガラスの板を切って貼り付けていきます。

でもそうなると、今度は自分自身に向き合わなくてはならなくなり、ものすごく久しぶりに私のことについて色々と考えてしまっています。これまでの人生とこれからの人生をどう繋げていったら良いのか、頭の中にごちゃごちゃと沢山のアイデアが浮かんでは消え、浮かんでは消えしていて、日々の生活は落ち着いているのに心は常にがざわめいていて、ちっとも考えがまとまらないまま今日に至ります。2ヶ月近くもブログを更新できなかったのも、たぶんそのせい。

激動の6年間を乗り越えた今、少しぐらいのんびりして心と体を休めたら、とダーリンや友人たちからは言われていて、確かにそうかもと思う半面、我が家の家計を考えるとそうのん気にも構えていられない(苦笑)。自分の中では常に仕事をして社会復帰をしなくちゃという焦りもあり、それが出来ていない自分を責めてしまう。でもこの第3世界の地方都市で自分の特技を生かせる仕事って一体何なんだろうと思い悩み、いや、それ以前に私の”特技”って一体何なんだろう、そんなもの果たしてあるのかな、と自信がなくなって一人で落ち込んだり。

そんな矢先、首都ブエノスアイレスでのお仕事の可能性が浮上したこともあって、ますます迷いに拍車が掛かりました。まだ全く不確実な話ではありますが、もし万が一お仕事をさせていただけるようになったら、家族を引き連れて首都へ引っ越すことになります。自分だけのことを考えれば、そのお仕事自体は絶対にやりたいし、このチャンスを逃したくない。でも、せっかく仲良しのお友達がいるムスメの学校や、2歳の時からお世話になってきたリハビリを変えると共に、母が一日中不在になるという突然の大変化は、ムスメにとって幸せな結果になるのかな、と考えてしまう自分もいます。

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ブエノスアイレスにて。あいにくの曇り空!でもブエノスの街並みには曇り空が似合う気がします。

セドリックはR市にお母さんと残ることになるので、今ほど頻繁に会えなくなり、それはダーリンにとっても辛い決断になることでしょう。そのダーリンも仕事は転職という形になって一からスタートで、更に仕事が変わるということは保険会社も変わるということで、ムスメのお医者さん関係も総入れ替えの可能性が高く、家族全員の環境がガラリと変わる事態となります。果たして、私の仕事を理由にそこまでの大移動をするべきなのかどうなのか。それともR市に残って、あまり発展性はないけれどのんびりした田舎暮らしの今の生活を維持しつつ、育児と両立できる範囲で日本語教師の仕事などを復活させるべきなのか。

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仲良しの4人組。それぞれ個性的で成長が楽しみな4人娘は「一生一緒にいる」んだそうです(笑)。

あー、いつまでもうだうだ考えてもいられない。そろそろ詰め腹を切らなくては。

いくつになっても、地球を半周しても、自分探しの旅はまだまだ続きます。

さよならNINA

7月28日、夕方外へ飛び出して行ったNINAが夜になっても帰ってこなくて、一晩眠れずに過ごしました。翌朝、屋上からいくら名前を呼んでも、街は静まり返っていてニャァと鳴く声も聞こえない。この世界からNINAの気配がすっかり消えていて、前の晩から予感していた”永遠の喪失感”に、この時はっきりと気がつきました。

半ば諦めながらもダーリンを急いて外を探してもらったりしましたが、しばらくして望遠鏡を片手に現れた彼に「ちょっと来て」と呼ばれて再び屋上に上がりました。「NINAはあそこにいると思う」と、沈んだ顔をした彼が指を指したのは、お隣さんの大きなプールでした。

冬の間も水が入れっぱなしになっているそのプールは、NINAが我が家にやって来た当初から私の心配のタネでした。茂った木の陰になって、水面の半分は私の身長では見えませんでしたが、長身の彼は木の葉の向うまで見えたようで、うんと背を伸ばしてみたところ、汚れた水面にポツンと浮かんだ黄色い浮き輪と一緒に、ぼんやりと白とグレーのモノが沈んでいるのが見えました。

お隣さんに電話をかけて事情を話すと、顔見知りのお手伝いさんが庭に出てきてくれてプールに近づいて行くのが見えました。最初は首を横に振りながら「何もないわよ」とゼスチャーしたので一瞬ホッとしかけたところ、次の瞬間、顔を歪めると首を縦に振るのが見えました。私は堪えきれずに泣き出し、ダーリンは黙って下を向きました。

水から引き上げてもらってようやくNINAの姿がはっきりと見えた時には、悲しみにのみ込まれて息が苦しくなりました。きっとNINAはお隣の庭で遊んでいるところ、その家の大きな猫に挑まれて慌てて逃げようとして水に落ちたのでしょう。固く強ばった体は腕をうんと伸ばしていて、必死に何かにつかまろうとしたようでした。寒い寒い冬の夜、一晩中あんなに冷たい水の中にいたのかと思うと、可哀想で涙が止まりませんでした。

「死」とは厳然たる別れであって、そこには「終わり」を受け入れる以外どんな選択肢も用意されていないのだと、NINAの死を目の当たりにして改めて思いました。どれだけ愛しんでも、恋しがっても、もうNINAはいない。あのグンニャリと柔らかくて、いつも暖かくて、撫でるとグルグルと喉を鳴らすNINAの体を抱きしめることはもうできない。手の打ちようがない。諦めるしかない。助けてあげられなかったから。

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我が家の周辺にはデッカい半野良猫がたくさんいるので、小さなNINAをもらい受ける時にだいぶ躊躇しました。NINAもそんな猫たちの存在に直ぐに気がつき、最初は無邪気に近づいて行きましたが、早速縄張り争いの洗礼を受けて、引っかき傷を付けられて戻ってきました。最初のうちは、せめてもう少し大きくなるまでは外にあまり出したくなくて、私とムスメはドアや窓の開閉に気を配っていましたが、たとえ冬でも換気のために空けておいた窓から出てしまったり、私の帰宅時に玄関を開けた瞬間飛び出して行ったりと、閉じ込めておくことはできませんでした。

一度外に出始めたら、小さなNINAには目にする全てが新しくて、外の世界を知りたくて、好奇心に突き動かされるまま木に登り、芝を駆け回り、本当に生き生きと動き回っていました。その姿があまりにも生命力に満ちていて、閉じ込めておくのも可哀想だと思うようになりました。外から戻ってくるたびに体の傷が増えていくのを見て心配でたまらなかったけれど、危険もリクスも含めてそれがNINAの世界であり、学んでいかなければならないもの だと割り切ろうとしていました。

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NINAの小さな体を、八重のハイビスカスの下、私の愛猫のコゲの隣にダーリンが埋めてくれました。今頃はきっと、喧嘩王だったコゲがきっちりNINAを守ってくれているはずです。だからもう安心だよ、NINA。

ダーリンはNINAの死をムスメには言いたがらず「遠くに行っちゃったんだよ」と話していましたが、数日経ってもNINAの名前を呼んで探そうとするムスメを見て、私がことの次第を話しました。”死ぬ”ということが何を指すのか、ムスメがどんな風に理解したのかは分かりません。それでも、もう会えないということははっきりと認識したようでした。

「でも今はコゲちゃんと一緒にいるから大丈夫。コゲちゃんがしっかりNINAの面倒をみてあげているからね」と話すと、ムスメも安心したように笑って、いつものように言いました。「もう、まったくNINAったら!」

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10数年は一緒に暮らすだろうと思っていた”NINAというオス猫”の人生は、私の予想に反してこんな風に突然幕を閉じました。ダーリンはオス猫と分かっても”NINA”と呼び続け、私は”NICKY”、セドリックは”NINO”、ムスメは「NINA!それともNINI、それともNINO、それともNICKY」とあらゆる名前で呼びました。

決まった名前すらまだ持たなかったNINAの存在は、名前のごとくどこかおぼろげで、儚くて、蜃気楼のようにある日突然すうっと消えてしまったけれど、それでもこの小さな愛しい命と一緒に過ごした1ヶ月間は、家族みんなが浮かれて毎日がお祭りのように楽しかった。あんなに嬉しそうなムスメの姿を見たのも初めてだった。それはたった4ヶ月間しか生きられなかったNINAがくれた贈り物だったのだと思います。

私達家族の幸せの真ん中にいてくれたNINA。膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしながら私をじっと見つめていた、あの不思議な色合いを持つ蒼い瞳を、きっと一生忘れないでしょう。

さよなら、NINA。

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