カストロという革命家の死、そして再生
今年も短い春と初夏があっと言う前に過ぎ去り、本格的な暑さが到来したアルゼンチンR市です。庭ではダーリンの叔母さんからいただいたマルガリータが驚くほど一気に成長して、初めて花を咲かせました。それにしてもマルガリータって花自体は小ぶりで可憐ですが、植物としてはすっごくデッカい!どんだけ場所取るんだろうと、ぐんぐん育つ様を見て少々焦りました。
これでもだいぶ切りました。すごく背が高くてびっくり。
アガパンサスも続々花を付けています。ひょろ〜っと1本だけ花を付け、しかもその貴重な1本をセドリックに折られて鬼に豹変した数年前の夏が懐かしく思い出されます(笑)。
花自体が大きいので、10数本も咲くと豪華絢爛!
そしてこちら、先日ご紹介した通称「一日蘭」ですが、あれから色々と調べたところアヤメ科の一種で、「アメリカシャガ」、もしくは「ウォーキングアイリス」という名を持つメキシコ・中南米原産の花だと判明しました。開花しても1日で落ちてしまって寂しいと前回書きましたが、なんのなんの、春から初夏の間に何度も花をつけ、とっても賑やでした。
1枚の葉っぱの先からこうしていくつも蕾が出てきて花を咲かせます。蕾もふっくらしていて可愛らしい。
こちらはランタナ。クマツヅラ科の花で、種類によっては色々な色の混ざった華やかなのもありますが、我が家のはシンプルに黄色一色。縦に育って茂みになるタイプだと、うちの庭にはもうスペースがないので、地を這うタイプをミルクジャスミンの足元に植えました。マルガリータに続き、この花も今年初めて開花。新しい花がちゃんと咲いてくれると、育って良かった〜とホッとします。
咲いた花を見たダーリンが「おばあちゃんの家にも咲いていた!」。花が繋ぐ記憶ですね〜。
ミルクジャスミンも少し前に満開となりました。
その芳香を求めて、初夏の午後は庭の隅にテーブルを出すのが定番となります。
こちらはムスメが選んだ紫のペチュニア。赤い鉢を選ぶあたりのセンスがワタシとぴったり。
自分のお花を買ってもらえたことが嬉しくて仕方がない様子。あ、でもペチュニアは匂わないのよ、、(笑)。
春になって花が増えた途端、ハチドリが蜜を求めて頻繁にやって来るようになりました。時には水やりをしている私の側でホバリングし、ホースから飛び散る水を飲んだりしていきます。ヒュンヒュンと高速で動くので、写真を撮るのが難しいのですが、これは我が家上空の電線に止まった時を激写したもの。
色んな種類がいますが、我が家に来るのはこの青緑の玉虫色の綺麗なタイプ。
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一昨日、キューバのフィデル・カストロ前議長が亡くなり、一つの長い歴史が幕を閉じたなぁと、なんだかしみじみ考えてしまっています。折しも米国では例の新大統領が選出され物議を醸している真っ最中。このタイミングでカストロの時代が終わったことに不思議な一致を見る思いだし、タイミングとしては絶妙だったと言えるでしょう。もっと言えば、キューバだけでなく全世界が今、新しいステージに立たされているように感じます。
私は社会主義を信奉するものでは全くありませんが、中南米に長年暮らしてきて、大国、特にアメリカから徹底したコントロールを長いこと受け、富を搾取され続けて来たこの地域の歴史とその結果を目の当たりにし、多くのラ米諸国で反米左派政権が生まれてきた背景を理解する機会を山ほど得ました。その先駆けとなったカストロと、アルゼンチン人革命家のチェ・ゲバラ。大国支配に反旗を翻し、米国に癒着した腐敗政権を倒し、独自の政権を敷いた彼らが世界に与えた衝撃は、今更私が書くまでもありません。
たてがみのような髭がシンボルだったカストロ。何時間にも渡る演説は既に伝説と言えるでしょう。
チェ・ゲバラが革命を起こしたキューバに行き、彼が命を落としたボリビアで、しかも処刑されたサンタクルス県の担当として2年間仕事をし、なんと今、彼の生誕の地であるここアルゼンチンR市で暮らしていると言う不思議な縁が私にはあります。
革命後、国民の識字率を急速に引き上げ、医療に関しては先進国に負けないレベルにまで達することに成功したキューバは、ある部分確かに奇跡を起こしたと言えます。キューバにはこれまでに2度ほど行きましたが、オンボロ乗合タクシーの運転手までもが博士号を持っていたりするほど国民は全般的に高学歴で、どこへ行っても誰もが列に並んで待つように公衆道徳が徹底していて、夜間に1人で歩いていても比較的安全と言える治安の良さもありました。ただ、米国主導の世界的経済封鎖を受けて、国民はひたすら貧しかった。国から配給される食品、衣料品の内容を聞いて、あまりの少なさに愕然としたものです。雇用も無いから、高学歴でもタクシーの運転手をせざるを得ない現実があった訳です。
2006年のハバナには、こうしたブッシュ批判の看板が至る所にありました。
それにしても改めて見ると凄い、口から血がしたたってます(汗)。「El asesino=人殺し」。
現地のジャーナリストと話してみれば、厳しい言論の弾圧やイデオロギーの対立から解雇された人も多く、医師たちからは医療レベルが高くても貧しくて縫合用の糸がないため盲腸の手術すらできないという現実も聞かされました。経済危機が最も深刻だった頃は、人々はグレープフルーツの皮の白い部分まで食べ、街にはピザの上にプラスチックを載せて溶かしたまがい物まで出回ったそうです。
さすがに今はもうこういうプロパガンダってないんでしょうが、トランプ政権に移行したらまた出現しそう。
神聖視されたキューバ革命も、アメリカのお膝元に社会主義国家を作ろうとした旧ソ連の一大国家プロジェクトだったという側面も時と共に明るみになり、印象は明らかに変わりつつあります。革命後のキューバと、指導者としてのカストロへの評価も大きく二分します。彼の死後、「自国民に圧政をしいてきた残忍な独裁者」とドナルド・トランプが弾劾したように批判的な見方もあれば、ほとんどの社会主義国が権力者の横暴、汚職、富の一極化の結果を受けて崩壊する中、キューバにそれがなかったのはカストロが高潔な指導者だったから、という考え方もあるはずです。
最終的に何が正義で、何が正解だったかを判断することは極めて難しい。きっとそれは、生前カストロ本人が裁判所で言い放った「歴史が私に無罪を宣告するだろう」という名台詞と、彼の死後米国のオバマ大統領が表明した「歴史が彼の影響力を記憶し判断するだろう」の言葉通り、いつか歴史を振り返った時に初めて答えらしきものが見つかるのでしょう。
それでも私は、カストロが命をかけて成し遂げたキューバ革命が、あの時代のラテンアメリカの人々を勇気付けたことは間違い無いと思うし、政治家、指導者としてよりも、”蛮勇の闘士”であったカストロの安らかな旅立ちを祈りつつ、去りゆく時代を見送りたい。
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私の庭の一角には、18年間連れ添った愛猫コゲのお墓があり、その上には名も知らない紫色の可憐な花を咲かせる植物が2株植えてあります。いつもなら冬の間も葉っぱは青いままなのに、今年はだいぶ枯れてしまって、やっぱりお墓が下にあるからかなと気にしていたのですが、春の暖かさが訪れたある日、枯れかけた葉っぱの下から青々とした若い葉が勢いよく伸びてきて、いつの間にか枯れた葉っぱを覆い隠していることに気がつきました。
そんな「再生」を目の当たりにした感動は、不思議なほど大きかった。たったそれだけのことだったのに、不意に、3年前に逝ってしまったコゲと、昨年他界した友人、数ヶ月前に失ったNINAを立て続けに思い出し、死にかけながらも生き延びたムスメのこれまでや、遠くに暮らす高齢の両親のこと、そして少し前に我が家にやって来た新しい命の存在が胸をよぎり、去って行く命とやって来る命と、それら全てを受け入れ再生する大地の底なしの力強さを感じて、庭で1人、込み上げてくるものを抑えきれなくなって泣きました。堅い木の皮を破って蕾が芽吹き花が開くように、私の中に閉じ込めていた悲しみと感動と、そして感謝にも似たものが平常心を破ってほとばしったかのようでした。
強大な影響力を持つ非凡な指導者が逝き、これから再生するであろうキューバにも、新しい健康な葉がのびやかに育つ土壌があり、その上に降り注ぐ雨と見守る環境が世界にありますように。
”我が家にやってきた新しい命”についてはまた次回。