アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

報告1~出産当日の経緯~

出産からあっという間に9日が経ちました。

先週土曜日の退院当日からこの1週間、痛む傷を抱えて毎日ムスメに会いに病院へ通う日々でした。この間、数えきれないほどの出来事があり、ご報告したいことは山ほどありますが、まずは出産当日の経緯から。

2010年1月20日午前8時。

入院仕度を整えて病院に到着した私とダーリン。当初はまず病室に連れて行かれ、そこで荷物を解いて着替え、陣痛促進剤を開始する時間まで待機するのかと勝手に想像していましたが、入院窓口からそのまま連れて行かれた部屋はPreparto(分娩待機室)でした。そこで病院の寝巻きに着替え、内診の後、いきなり9時には促進剤開始となりました。

実は入院前日の夜に病院から電話があり、新生児ルームの確保ができたので朝食を取らずに早めに入院するよう指示を受けていました。ムスメに何らかの問題があると見越した病院側の対応は完璧で、また同時に、いつも満員の新生児ルームを確保したからには、何が何でも20日中に産ませるという計画だったようです。

約5時間ほど陣痛促進剤の投与が続けられましたが、微弱陣痛が起るだけで一向に子宮口は開かず、午後2時半には医師が帝王切開を決めました。あれよあれよと言う間に決まってしまった手術に戸惑う間もなく、その30分後には私は手術室へ。帝王切開にも同伴するつもりだったダーリンはそこで、まさかの同伴禁止を告げられ呆然。慌しく寝台に乗せられ運ばれる私を見送ることになりました。

手術室に入ると、ラテンポップがガンガンに流れる中、年若い看護士たちがなにやら楽しそうにお喋りしていました。この9ヶ月間、自然分娩を願って一生懸命逆子体操をしたり、呼吸法を練習したりしてきた私の想いは全く役に立たなかったと悔しい思いを噛締めながら、しかもダーリンと出産の瞬間も共有できずにこんなところでいきなり手術か・・・と半ば信じられない思いで手術台に上がり、背中に麻酔を打たれて数分後には手術開始。

なかなか聞こえないムスメの泣き声にハラハラしながらも、段々と意識は薄れ、遠くでようやく赤ちゃんの泣き声を聞いたのを最後に、完全に眠り込んでしまった私。目が覚めたのは、体の芯まで凍るような寒さと、伸ばした腕がガタガタと飛び上がるほどの震えのせいでした。

そこには既にムスメの姿はなく、執刀医も退室した後で、例の若い看護士たちが週末の計画を話しながら楽しげに笑っているのが見えました。ガランとした手術室は、公演が終わった後の舞台を片付けているような寂しい空っぽな印象で、自分が待ち望んでいた「出産」という大切な瞬間が既に終わってしまっていることが信じられませんでした。

ムスメの障害をずっとどこかで予感していた私が、近くにいた看護士を捕まえて真っ先にした質問は、「ムスメは”普通の”子だったか?」でした。そして看護士の答えは、「いや、普通の子じゃなかったよ」、だったのです。その時私は朦朧とする意識の中で、それでも「ああ、やっぱりそうだったか」と思ったことを覚えています。

こうして私は、ムスメが障害を持って生まれたことを知ったのでした。

歯の根が合わないほどガタガタと震えるまま、真っ青な顔で寝台に乗せられ病室に運び込まれてしばらくした後、ダーリンが私を探して部屋に飛び込んできました。その時の彼の切羽詰った辛そうな顔は、きっと一生忘れられないでしょう。

「ムスメを見た?ムスメは普通じゃないって本当?何があるの?どんなだったの?」と搾り出すようなかすれ声で尋ねる私の震える手を握ってダーリンは、「まず最初に言いたいことは、僕が君をとても愛してるということ。そして今僕にとって一番大事なのは君で、君には一日も早く回復するよう専念して欲しいこと。君はこの出産のためにもう十分過ぎるほど頑張ったし、もっともっと幸せになるべきだと思うこと。そして何があっても一生君と一緒にいるということ」と・・・。

ダーリンは私の気持ちをまず落ち着けようと切り出したのでしょうが、それを聞いて私は逆に、きたる不幸な知らせを予感したのでした。そしてその予感どおり、手術室から運び出される際にダーリンが見たムスメは、手足の指が全て癒着した状態で、おでこが異様に出ていたことを知らされたのでした。

その後、執刀医が病室へ尋ねてきて、通常45分で終わる帝王切開が私の場合2時間半にも及んだことも知りました。そんな大手術になったのも、実はお腹を開いてみたら大きな大きな筋腫があったから。その筋腫は外から触っても分かるものでしたが、恐らく脂肪の塊だろうと言われていました。どちらにしても胎児の成長には影響なしと放置されていたこの塊、実はかなり危険な筋腫に育っていて、急遽摘出手術となったそうです。その手術中に大量失血し、目が覚めた時には輸血の袋2つと点滴2つの合計4本の管が腕に通されていたというわけです。

可哀想だったのはダーリンで、手術開始後30分でムスメは出てきたものの、その後2時間にも渡って私は出てこず、その理由を誰も彼に知らせてくれなかったのだそうです。更に待っていたPrepartoの部屋から出るように言われ、たらい回しにされた挙句に一階の一般ロビーまで下ろされ、もしかしたら私が瀕死なんじゃないか、私を失うことになるんじゃないかと思い続けた暗黒の2時間を一人ぼっちで過ごしたのだそうです。

手術当日は3人部屋に入れられたため、ひっきりなしに人の出入りがあり、また、痛みとショックで眠ることもできず、時折どうしようもなく泣き出す私の横でダーリンは一晩中手を握って話しかけてくれました。それは、人生で一番長い、体も心も痛い夜でした。

翌朝、私の主治医だったマラム医師が訪ねて来てくれました。全ての事情を知っていた彼は、3人部屋の真ん中のベッドで青い顔で泣いている私を見つけ、直ぐに個室を用意するよう看護士に指示を出し、「今はゆっくり休むことが必要だからね」と励ましてくれました。

でも私は、個室に移る前にどうしてもムスメが見たかった。現実に直面する怖さもあったけれど、この目でムスメの状態を確認したかった。そこで車椅子を頼み、痛みにきしむ体を起こしてベッドから降り、一つ上の階にある新生児ルームへとダーリンと共に向かったのでした。