アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

報告2~ムスメの障害~

1月21日、出産翌日の午前10時、病室の1階上にある新生児集中治療室へ、激痛を堪えて車椅子に乗せてもらい向かいました。新生児集中治療室、通称NEOには20~30人ほどの赤ちゃんが、その症状の重さによって各セクションに分けられていましたが、ムスメは、その一番奥のセクション、つまり出入り口から最も遠い症状の重いセクションの保育器の一つに入れられていました。

初めてムスメを見た時のショックは、上手く言い表せません。茫然自失、と言うのでしょうか。何か自分とは全く関係のないものを見るような気持ちで、母親としての愛情なんて全く湧きませんでした。正直に告白すればむしろ、時間を巻き戻して欲しい、これを全て無かったことにして欲しい、とすら思いました。

保育器の前ではその後主治医となるイルダ医師が私たちを待っていました。そこで説明されたムスメの障害は、

両手両足の指が全てくっついていること、両腕の肘関節が動かないこと、上顎の中心に隙間が開いていること、おでこが異様に出ていることから分かる通り、頭蓋骨に異常がある可能性が高いことなどで、更にこの時はまだムスメの内臓や脳や各器官がどうなっているのか分からない状態、つまり生きられるかどうかもはっきりしない状態でした。また、障害児と一目で分かるのはその顔つきで、ダーリンにも私にも全く似たところのない、クルーゾン症候群とアペール症候群に共通する特徴的な顔をしていました。

これら二つの症候群は私には全く聞きなれないものでしたが、後に、ダーリンと同い年だった母方のいとこが重度のアペール疾患を持って生まれ、何度も手術を繰り返し15歳で亡くなったと聞かされました。また、姑の姉の孫がやはり指がくっついた状態で生まれたことも・・・。世界で10万人に1人、日本では50万人に1人と言われるこの疾患が、一つの家族でこれだけ生まれている事実。明らかな遺伝子疾患です。

私はあの時、イルダ医師の説明をほとんど聞いていなかったように思います。ただただ、ガラス越しに見える”我が子”の姿を、涙すら流すこともなく呆然と眺めていただけ。そして、こんなはずじゃない、私が待っていたのはこんな現実じゃないと胸の中でつぶやき続けていました。

あまりの衝撃に言葉もないまま沈黙で5階に戻ると、既に私用の個室が用意されていました。荷物を運び込み、ドアを閉めて初めてダーリンと2人きりになれたその瞬間、突然、ダーリンが堰を切ったように泣き出しました。それは、出会ってから初めて私に見せたダーリンの涙でした。出産当日、ボロボロに泣き崩れる私を励まし続けてくれていた彼は、一日中その涙を1人でこらえていたのだと、その時初めて私は気がつきました。

私が死んでしまうかもしれないと2時間もの間1人ぼっちで待っていたダーリン。出産直後のムスメの様子を既に見て胸を痛めていたダーリン。輸血の袋をぶら下げてガタガタ震える私を抱き続けてくれたダーリン。ずっと一緒に頑張っていこうと励ましてくれていたそのダーリンが今、目の前で崩れ落ちるように泣いている。ああ、私1人が悲しいんじゃないんだと、支えてもらうばかりじゃ駄目なんだと、もたれてくる彼の頭を抱えながら、昨日一日頑張ってこらえてくれてありがとうね、と感謝の気持ちで一杯になりながら、「絶対に1人にはしないからね。一緒に前向いて行こう」と、今度は私が励ます番でした。

その日の午後から看護婦の指導に従って、早く身体が回復して動けるようにと自力で起き上がったり、トイレへ立ったり、廊下を歩いたりするようになりました。まずは自分がきちんと踏ん張れるようにならないと、と力が湧いてきたのです。

その翌日、1月22日午前10時。再びNEOに上がった私たちは、保育器の小窓から初めてムスメに触れました。指のくっついた手の平に恐る恐る触り、思いがけずムスメに力強く握り返された時、ようやく私は「ああ、こんな不自由な手をしながらも、この子は私のお腹をあんなにもボンボンと叩いていたんだ」と、ムスメと私の繋がりを感じることができました。帝王切開後、初めて出産の感動に涙が溢れ出てきたのはこの時です。

1月23日の正午には退院することが決まり、病室を後にする前にNEOへ上がりました。その日ムスメは酸素吸入のためのドームを外され、代わりに鼻に管を通してもらっていたおかげで、保育器から出して抱かせてもらうことができました。初めて抱くムスメの小さな体の確かな重みと、しっとりした暖かさを胸と両腕に受けた時、この命が私のお腹の中に10ヶ月間いたのだと強く強く感じることができ、身体が震えるほど泣きました。

保育器の中ではずっと目を閉じて眠っていたムスメは、私の腕に抱かれた瞬間ぱっと大きな目を見開き、大人しくじ~っと私とダーリンを見つめ始めました。突然こんな世界に放り出され、たった1人で保育器の中、3日間もママにもパパにも抱かれずに過ごしたムスメ。どこにいるの?って、きっと思っていたことでしょう。そう思ったらもうボロボロに泣けてきて、「ちゃんと迎えてあげられなくてごめんねぇ」って、「悪いママだねぇ」って、ムスメに何度も何度も謝りました。

ダーリンは、そんなボロ泣きする私と、私たちを交互に見つめるムスメを背後から抱きしめながら「僕は幸せだ、幸せだ」と、「10万人に1人の特別な子だ」と肩を震わせて泣いていました。あの時やっと、母としての自分と、家族としての私たちが生まれたように思います。触れること、暖かさやぬくもりを感じ合うことの大切さを実感した瞬間でもありました。

あれから今日に至るまでの間ムスメは様々な検査を受け、その障害の実態もややはっきりしてきました。

幸い、今のところの検査では、懸念されていた内臓系の疾患は見つかっていません。また、この疾患を抱えて生まれる赤ちゃんの多くが頭蓋骨が癒着し、脳の育つスペースがなく、早急に手術する必要があるのに対し、ムスメの頭蓋骨は健常児と同様きちんと分かれていて問題ありませんでした。視力にも聴覚にも異常はなく、指の癒着もレントゲン写真では手の中にちゃんと5本分の骨がくっつかずに入っていたので、1歳になるぐらいには手術で離してあげられると分かりました。上顎も同様に1歳半ごろには塞ぐ手術ができるそうです。それまでの間は、シリコンでできた入れ歯ならぬ入れ顎(??)をつけることで、自力で母乳を飲めることも判明しました。

ただ、こうして色々な手術をすることで、なんとか”形を整えて”あげることは出来ても、その機能までどうかは現時点ではまだ分からりません。指は離してあげることはできても、果たして普通に使えるようになるかは分かりませんし、脳も今のところ大きな懸念事項はエコーでは見つかっていませんが、実際の機能は何年も掛けてみていかないとやっぱり分かりません。上顎も物は吸えたり飲み込めたりできるけれど、言葉の発音がどうなるかは何とも言えません。

今のところ確実に言えることは、私たちには一生この彼女の病気と付き合っていく覚悟が必要であり、彼女は今後たくさんの手術を経験することになる、と言うことです。

とは言え、誕生後15日を経た今、ムスメは格段に元気になっています。その生命力と変化にはイルダ医師も目を見張るほどで「全く別の赤ちゃんを見ているようだわ」と言われました。未だ保育器にはいますが、酸素吸入はもう必要なくなりました。一時的に減った体重を取り戻す為、哺乳瓶を使うことは中断となりましたが、管を通じてちゃんと母乳も飲んでいます。ママとパパの抱っこが大好きで、毎回面会時間の終わりに保育器に戻されるたび、手足をバタつかせて大暴れ&大泣きする姿には、なんだか呆れるほど頼もしい力強さを感じます。

親しい人達に送ったムスメ誕生メールに対して、早速世界中の色んな人からお返事をもらいました。私たちのために心配してくれたり、泣いてくれたり、暖かい言葉を送ってくれたり。そんなメールを読むたびに、みんなの気持ちが嬉しくて感動して泣きましたが、ムスメが障害児であることで泣くことはもうありません。今はこの子が自分のムスメであることがとてもしっくりしています。

初めて見た時はぶっさいくで衝撃を受けた犬のチンのような顔(!)も、今となっては私にもダーリンにもとっても可愛く見えるから不思議です。指の閉じた手をヒラヒラさせる仕草は優雅にすら見え、いつかこの指を切り離してあげた時には、きっとこの手を懐かしく思うんだろうな、と思ったりします。うつ伏せに寝かされ熟睡しながら、くの字に曲がったまま動かない腕を時折パタパタと上げ下げするムスメの姿はまるで小鳥のようで、「飛んでる飛んでる」とダーリンと笑ったりします。それを「ムスメの翼」と私たちは呼んでいます。今ではこうして障害そのものまで愛おしく思ったり、笑ったりできるようになりました。

私には残念ながら、自然分娩で出産して、2日後には赤ちゃんと共に退院して、自宅で直接母乳をあげる、という現実はありませんでしたし、障害のない娘もいません。今この現実が唯一の現実で、これしかないから比べようもないですし、NEOにせっせと通う毎日は忙しくて体力的にはかなりしんどいですが、精神的には慣れてきました。当初は「どう”受け入れる”べきか」と考えたりしましたが、力づくで”受け入れる”、”理解する”というよりも、毎日の生活の中でこれがリアルな日常になって”慣れていく”、というとても自然な流れとなりました。

私たちの今の状況は、きっとはたから見るほど悲劇的でもなければ、悲壮感もないと思います。それは例えば、紛争地帯の瓦礫の山で遊ぶ子供達の映像が第三者には悲劇的に映るのに反して、その現実を実際に生きている人たちは、ちゃんと笑ったり、喜んだり、楽しんだりして生きているように。意外と当事者というのはそんなものかもしれません。

そして、「可愛い可愛い」とムスメにべた惚れのダーリンに負けないぐらい親バカなことを恥ずかしげもなく言ってしまうと、なんだかムスメにとっても魅力を感じています。もし神様が、可愛い健康な赤ちゃんとムスメを交換してあげましょう、と言ったとしても、今の私はやっぱりムスメを選ぶだろうな、と思うのです。

この先、たくさん心配することも、大変な思いをすることも、そしてもしかしたら悲しいこともあるかもしれませんが、こんな風にムスメと共に手探りで歩き出した私たちを、これからもどうぞ暖かく見守ってやってください。

まずは早期退院を目指して!