アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

手術の詳細 その3

気がつけば今日でムスメの手術からちょうど2ヶ月が経ちます。こんなに時間が経っちゃって、あの当時のことがきちんと思い出せるかなぁ・・・という気もしますが、やっぱり記録には残しておきたい(なら早く書こうよ・・)と思うので、当時の日記をめくりながら続きを書いてみます。

でも、その前に2つ近況報告が。

1つ目は我が家のカラーが初めて花を咲かせたこと。

クラウディアにもらった時はとっても小さかったカラーでしたが、その後すくすくと元気に育ってくれて、じゃーん、これが最初のお花の写真。

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神々しい姿に見とれる日々です。お庭の雰囲気もがらりと変わって、急に華やかになりました。今までは切花でしか扱ったことのなかったカラーですが、植木だと2週間以上花ももち、ぴんと空に向かったその姿は綺麗なだけじゃなく力強くすらありました。

ちょうどムスメが術後驚くぐらい順調に回復して、日々新しいことを沢山覚え、まるでぱっと花を咲かせてくれたように見えたのと同時期のことで、私の中ではこのカラーの最初の姿とムスメの健やかな成長が重なって見え、より感動したのでした。

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じゃん!術後のお顔、初公開です。

2ヶ月経った今のお顔ですが、手術直後と比べると、

だいぶ自然になりました。

それでも前のお顔とはやっぱり全然違うかな。

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本人がこんなに元気に笑っていてくれるのが

何よりですが、私的にはムスメの新しいお顔に

見慣れるまで相当時間が掛かりました。

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でもこのヒト、鏡で自分の姿に見とれているよ

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こちらは手術直前のお顔。

あ~やっぱり見慣れているのはこのお顔。懐かし~・・・。

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このお顔に会いたくて、写真を見ると泣けてしまうので、

密かにアルバムを封印してきましたが、、、

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久々に開いてみたら、こんな猫君との仲睦まじいツーショットも

ありました。

2つ目は、そんなムスメの次の手術日程が決まったこと。

今月の23日の予定です。

次の手術は後頭部に入っているバネを外すだけの簡単な手術と執刀医からは言われていて、所要時間も2時間、入院も通常なら一泊のみだそうです。

とは言え、再び手術室へ送ること、前回と同じ傷を再度開くことを考えると、やはり親としては心穏やかではいられません。せっかく元気になったのに、また痛い思いをさせるのか・・・と胸も痛みます。アペール症の子は本当に手術続きで可哀想。どれか私が代わってあげられたらいいのに。

20日にブエノスへ上京し、21日早朝にレントゲンを撮って状態を確認して全てOKなら23日に手術という流れになる予定で、早ければ同じ週の週末には自宅に戻ってこれると思うのですが、術後の検診があるようだと前回同様数日間ブエノスに残ることになるかもしれません。

またお家を離れてしばしのホテル暮らし。正直に言えば今から気が重いですが、一番大変なのはまたムスメ。せめて私は明るくムスメをサポートしてあげないとです。

では手術の詳細の続きを・・・。

9月17日(術後3日目)

病院内の施設で数時間の仮眠を取った後、午前7時過ぎには再びICUへ向かいましたが入室は許可されず、そのまま8時半ごろやって来たダーリンにバトンタッチして私はホテルへ戻ることにしました。

ガラハム病院はホテルのある町の中心地から少し離れているため、地下鉄を乗り継いで行き来する必要があります。朝、外の空気を吸って、寝不足の頭でぼんやりと考えごとをしながら駅まで歩き、途中一度だけ乗り換えてホテルに向かう、この片道30分の小旅行は私にとって毎日のちょっとした息抜きになりました。

ムスメの入院中は夕方から翌日朝までムスメに付き添い、連日このパターンで生活しましたが、日中寝る習慣がないためホテルに戻っても2時間程度しか眠れず、日を追うごとに体が重くなっていきました。それでもバスタブに浸かって目を閉じ、休める時間があっただけでも幸運だったと思います。

この日、午後5時ごろ病院へ戻るとムスメが目を覚ましていました。久しぶりに意識の戻ったムスメに会えたことが嬉しくて色々と話しかけてみましたが、まだ顔全体に腫れがあり、両目を半分開けるのがやっと。そんな半開きの目で私を見て、少しぐずついて泣きそうになったので、ムスメの好きなお歌を沢山歌ってあげたらすうっと落ち着きました。

その後も何度か目を覚ましましたが、いずれも長い時間ではなく、すぐに眠りに引き戻されていきました。手術後はいつもそうですが、肺にたまった痰をカニューレからひっきりなしに吸い取りをしてあげなければならず、私は座る時間もないほどでした。

「しゃぼん玉歌おうか?」と聞いた時にこっくり頷いたのが、術後ムスメが最初に見せてくれた意思表示でした。お歌が大好きなムスメらしい、とその時は思わず笑みがこぼれましたが、その後目を覚ましても無表情でほとんどリアクションがなく、その普段と全く異なる姿にまた悲しくなるやら、不安になるやら・・・。痛みを感じないようにとモルヒネを投与されていたので当然だったのでしょうが。

そしてこんこんと眠り続けるムスメを改めてじっと眺めては、そのすっかり変わってしまったお顔に強い違和感を覚えたのでした。果してこれほどまでに額を広げ、更に前に突き出さなければならなかったのか。手術前のお顔の方が圧倒的に自然だったし可愛かったと、激しい後悔の念が湧き上がってきました。私の判断でムスメのお顔を台無しにしてしまった気がしたのです。

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術後3日目のムスメ。

手術前に比べて額が横に広くて突き出しているため、

お鼻との高さの差が凄いことになっています。

そう、今回の手術後に私が受けたショックは、実はムスメが障害を持って産まれた時以上のものでした。それはなぜだったのかと後日考えてみたところ、ムスメの障害が不可抗力で私には何もできなかったのに対し、今回の手術は他ならぬ私自身(とダーリン)が考え、判断し、決断したからだったのだろうと思います。

手術する場所を私達の住んでいる町にするのか、ブエノスのガラハム病院にするのか、日本へ帰国してするのか。前回の執刀医シルバ先生にお願いするのか、ガラハムの専門医チームを信じるのか、日本の医療機関と医師を探すのか。幾つかの選択肢があった中で私とダーリンはガラハム病院での手術を決めました。その結果の責任が重く重くのしかかってきたのです。

私は果してムスメのために最善の選択をしてあげられたのだろうか。ムスメ誕生以来常に自分に突きつけてきたこの問いを、何度も何度も繰り返しました。

そもそもこんなに大きくお顔が変わってしまう手術なら、事前にそうと説明があっても良かったのに・・・。このことは何度か質問していましたが、「顔はほとんど変わらない手術だから」と執刀医のエマ先生に言われていたことが今となっては信じられず、いつしか強い不信感が芽生えていました。

週に1~2人のアペール症児を治療している彼らにとってはこんな手術は日常と化していて、いちいち親に細かい説明なんてしていられないのかもしれない。そんな個別対応をしてくれない病院を選んだことが間違いだったのか。それならば手術前後に丁寧な説明をしてくれたシルバ先生に今回もお願いすべきだったんじゃないか。もしくは美容面にも配慮してくれる日本の医療機関をあたるべきだったんじゃないか-。

だいたいムスメは半分アジア人なのだし、あまり凹凸の激しくない前のお顔の方が自然だったのに、アルゼンチンで手術をしたばっかりに欧米人ベースの彫りの深い顔に無理やりされてしまったのだ、と思い込み、今回の手術を決めたことを後悔して止みませんでした。

この子はこの先ずっとこんな不自然なお顔で生きていかなくちゃいけなくて、それは私のせいだ。やっぱりおかしいからやり直してください、と言える問題じゃないし、私が直してあげられることでもない、もう取り返しがつかない・・・。そんな今更考えてもしょうがないことをぐるぐると考え続けては途方に暮れました。

医学的には圧迫されていた脳が開放されてずっと良い状態になったと理解しつつも、ムスメの変わりように動揺が隠せず、もう二度と会うことの出来ないムスメの前のお顔をとても恋しく思ったり、デジカメの中にあった手術前の写真をしがみつくように眺めては涙を流したり、こんな姿にしてしまってムスメに申し訳ないと自分を責めたり、激しく胸に渦巻く感情の嵐に心が千切れてしまいそうでした。

一晩中寝ずに吸い取りをし、起きている間中こんなどうにもならないことを考え続け、翌朝8時には心身ともにすっかり疲弊した状態でダーリンと交代し、また取りとめもないことを考えながらふらつく足で地下鉄の駅へと向かったのでした。

続く