アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

はじめの一歩

ムスメの保育園が先週からいよいよ本格開始となりました!

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ジャーン!初めてのマイリュックで通園開始!

保育園は昨年末に縁あって素晴らしいところと出会っていたのですが、その後、実は今日に至るまで色々とありました。と言うのも、ムスメが通園するにあたり、専門の付き添いさんを見つける必要があったのですが、これが難航して・・・。

もともと付き添いさんを見るけるのは時間がかかるだろうとは思っていました。なぜなら付き添いさんに求められる要素は幾つかあって、誰にでもできることでは決してないから↓。

①気管カニューレが外れた時に対処ができる、②おやつの時間に胃ろうから食べ物を与えられる、③気管カニューレの吸い取りが必要に応じてできる、ことなどです。

①は通常ほとんど起こる可能性がありませんが、保育園では他の子供たちが引っ張ったりして外れるアクシデントが想定できます。もっとも、こうした事故が起こらないよう常にムスメから目を離さないでいてもらう、というのがむしろ一番のお仕事になります。

②は、最近では少量なら口からも食べられるようになったムスメではありますが、まだある程度の量は胃ろうから流してあげる必要があり、それを大勢の子供達を抱えた保育園の先生にお願いするわけにはいかないので、やっぱり付き添いさんが必要になります。

③は、スピーキングバルブを使っているいる今、カニューレの吸い取りはほとんどする必要がありませんが、冬になって気温が下がったり、風邪が流行りだしたりした時にはまた事情が変わってくるだろうと・・・。

と言うことで、リハビリセンターの方たちが付き添いさん志望の養護の先生を探してくれたところ、最初に名乗りを挙げたのが29歳のP(女性)でした。

直ぐに彼女と面談し、やる気があるとのことだったのでお願いすることを決め、手続きを開始しましたが、なんとこのP、口こそ達者だったものの、とんでもなくルーズだと早々にわかってきました。なにしろ携帯にメッセージを送っても返事が来ない、電話しても出ない、約束した日に連絡ナシのドタキャンをするなど驚きの無責任振り。

でも、私がドタキャンされた日に仕事を断ると宣言したところ、彼女を断ったら他の人が見つからないかもと弱気になったダーリンが「アルゼンチン人の仕事の仕方なんてこんなものだよ(どんなんよ??)」なんて助け舟を入れやがったので、この時点では結局断りきれず、、、。断る代わりにきっちり彼女に私の不満を伝えて翌日再度会う約束をしたのですが、、、その日もまた2時間遅れでやって来る始末

その後1週間のバケーションに行ってしまったPでしたが、バケーション前に保育園の園長先生とミーティングをする約束だったところ、それすらドタキャンして姿を現さなかったと園長先生から聞かされたところで私の堪忍袋の緒がブッチギレました。この2年間、私の生活全て投げ打って面倒見てきたムスメを、こんないい加減なヤカラに預けられるか~~~!!とバッサリ切り捨てました。

このPのお陰で大幅に時間をロスしてしまったのですが、早速次に名乗りを挙げてくれたのがFという超可愛らしい20代の女の子。でも・・・・・・実際ムスメに会いに我が家にやってきたところ、気管カニューレと胃ろうのボタンを見て顔面蒼白に。翌日、向こうから早々にお断りを入れてきました。

そうこうしている間、ムスメは私と二人で保育園通いを開始し、1日1時間二人でお教室に入らせてもらって活動に参加。私たちを暖かく受け入れてくれた園長先生は3人目のお子さんの出産でちょうど産休に入ってしまったところでしたが、若いのに感心するぐらいしっかりしたロミーナ先生がとっても親身になってアテンドしてくれて本当に助かりました。

1時間のうち40分ぐらいは私もムスメに同伴していましたが、後半数10分はロミーナ先生に預けてお教室を出て、ムスメが一人で残る訓練も始めました。私がお教室を出るたびに嫌がって泣いて泣いて、しまいには吐いたりもして大騒ぎするムスメの対処にてんてこ舞いだったはずのロミーナ先生ですが、ただの一度も嫌な顔を見せず。終始「お母さん、大丈夫ですよ」と笑顔で私の肩を叩いてくれた、そのガッツと懐の深さには頭が下がりました。

リハビリセンターから3人目の候補が見つかったと連絡が入ったのは、そんなある日のこと。それが今、ムスメと通園してくれているラウラでした。私より一才年上のラウラは3歳の女の子のお母さんでもあり、暖かい笑顔と真剣に説明を聞く姿に安心感と誠意を感じました。また、養護の先生ではなく言語聴覚士さんであったことも幸いでした。

言語聴覚士は、ウィキペディアには「音声機能、言語機能、摂食・嚥下機能、又は聴覚に障害のある者に対し、その機能の維持向上を図ることと言語訓練その他の訓練、これに必要な検査及び助言、指導その他の援助をする者」とあります。この職業を日本語で聞いたことはありませんでしたが、こちらの国では割とよく聞く職業です(実は私の姑もそう)。

例えばアルゼンチンではスペイン語の巻き舌R音ができない子供が実は意外と沢山いて、この言語聴覚士さんの指導を受けたりします。セドリックも確か、R音がピカ(お母さん)の影響でオランダ語っぽい訛りになってしまって、それを直すためにしばらく通っていたことがありました。

ムスメが現在抱えている主な課題も、発話(音声機能、言語機能)と摂食・嚥下機能の改善なので、リハビリセンターの方が養護の先生よりも言語聴覚士が同伴した方が良いと判断した上で、ラウラを紹介してくれたのです。

ラウラにはまず何度か我が家に足を運んでもらい、ムスメの障害やこれまでの経緯、今後の予定を一通り話してから、カニューレについて、胃ろうについて、各種機材について実物を見せながら説明していきました。実際にムスメと数時間遊んでもらったり、ご飯を食べさせてもらったりしたところ、ムスメもクマさんみたいにふっくらして優しい笑顔を見せるラウラと直ぐに仲良くなりました。

こうして、先々週からラウラと1日1時間保育園に通う日々が始まりました。私は最初の5分間ぐらい二人と同伴してからお教室を出て、緊急事態に備えて保育園内のキッチンで待機。ムスメは私がお教室を出る時こそ号泣していましたが、ひとしきり泣いた後は聞き分けよく他の子たちやラウラと遊ぶようになりました。

そんな姿をドアの影からこっそり眺めては、一人涙する星 飛雄馬のお姉さん状態の私・・・(巨人の星のね。年齢ばれますか?)。ああぁ、こんな日が来ようとは、1年前には想像することすら難しかったのに・・・母感動!!!

さて、アルゼンチンでは2月の第3週目までが学校などの夏休み期間だったので、この保育園もその間は、仕事が休めない親達が子供を連れてくる託児所(サマースクールと言うのかな)となっていました。なので正式な年齢別のクラス分けで、時間割に沿って活動が行われるようになったのは先週のこと。ユニフォームの着用も先週からでした。

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このTシャツが保育園のユニフォーム。

赤いズボンはまだ仕上がって来ませんが、

Tシャツだけでも着せてみたら、なんか

ピカピカの1年生って感じでした。

それに合わせてムスメも1日2時間ラウラとお教室に残ることにしました。更に、私も園内にはもう留まらず、一応緊急事態のために数日間だけ保育園の前にあるカフェテリアで待機することに。

ムスメはと言えば、すっかり保育園好きになりました。朝も6時には一人でぱっちりと目を覚まし、「保育園行く?」と聞くと満面の笑みで「うんうん」と。私がラウラとバトンタッチしてお教室を出る時にも、もう泣きもせず、余裕でバイバイと手を振ってくるのにはびっくりしました(母の方が密かに号泣)。

こうしてムスメは母の手を離して、しっかりとはじめの一歩を果たしました。むしろ、手をなかなか離せずにぐずぐずしていたのは私の方。心配なのもあるけれど、これまで一心同体で苦難を乗り越えてきた分、愛しいムスメに手を離される寂しさもまた人一倍という感じでした。これからは、私の知らないムスメの世界があるんだな。

ふ~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

でも告白すると、この後一人でカフェテリアに入り、ゆっくりとコーヒーを飲みながら1時間かけて新聞を読みました。そして、こんな時間を過ごしたのは一体何年振りだったか、としみじみ自由をかみ締めました。その感覚は、決して悪いものじゃなかった。

母と子の”別離”は、それぞれに新しい世界の扉を開いてくれたようです。そして何より、迎えに行った私を見つけた時のムスメの顔中に広がる笑顔は、これまでの人生でただの一度も目にしたことのない、幸せのかたまりのように輝いていました。

さ、ムスメが未来に向けて歩き出したことだし、私も私の人生をしっかり見つめ直さないと。