アルゼンチン暮らしIROIRO

アルゼンチン在住ライターの日々の想いイロイロ

ムスメの手の手術報告

去る9月18日(火)、ムスメの手の手術が予定通り行われました。

メールやブログ、フェイスブックへの励ましのメッセージをくださった方、本当にありがとうございます。

これまで人生で関わってきた素敵な友人達、まだ直接はお会いしたことはないけれど自分と共通の何かを持っている方達が、世界のいろいろな場所から応援してくれていると感じられることが本当に心強くて、毎回支えられています。

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ムスメ、手術直前の数日間。

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あちこち歩いては雨戸の影に隠れたり、ひたすらドアを開けたり閉めたりと遊び倒していました。

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ママの新しい鉢植えの横で。なにやら小さな小さなゴミくずを見つけたよう。

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赤ちゃんをお散歩させたりしてご機嫌だったのにねぇ・・・。

実は今回の手術は所要時間3時間、入院期間1日未満、しかも家から10ブロックの公立病院で行うなど、これまでにムスメが受けてきた手術に比べると比較的心配事の少ないはずの手術でした。でも、実際に蓋を開けてみたら、これまでになかったようなハプニングが続き、親子共々心身の疲労の激しい経験となりました。やっぱり手術は侮れない。毎回色々とあるものです。

まずは手術に至るまでの経緯から。

ブエノスのガラハム病院では手術前の子供は前日入院の上、3回消毒液でお風呂にいれなければなりませんが、ここの公立病院では前夜に1回、当日早朝に1回、自宅でこれをやります。当日の朝5時半にはムスメを起こしてお風呂に入れ、急激に気温が下ったうえに冷たい雨の降る中、7時には公立病院の入院施設第1病棟に到着しました。

ここで最初のハプニングが・・・。

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今は両腕肘までギブスでこんなことになっています。

それでも笑ってる~~~~!!!ミアモール!!!ママの宝物よ~~~~~!!!

実はアルゼンチンの医療システムってとても複雑で分かりにくいんですが(と、医療関係者も口を揃えて言う)、ざっくり説明すると、何らかの保険に入っている人は各保険会社が契約しているプライベートの医療機関を使い、保険のない人が公立病院を使用することになっています。

でも、私立病院よりも公立病院の医者、専門医のレベルが圧倒的に高いため、うちのムスメのように珍しい症状を持っている子供や重度疾患児は公立病院へ行くことになります。私達も保険に入っているので、セオリー上は私立病院へ行くところですが、今回の手術は執刀医自身が公立病院でやりたいと言い、私立病院に不信感のあった私達も賛同し、公立病院での手術が決まったのでした。

この場合、通常は保険会社が手術の承認をする必要があります。その承認書を持って公立病院へ行き、手続きをし、手術終了後に公立病院から保険会社へ請求書が送られることになります。ところが手術前日になって保険会社が承認はしないと言ってきたのです。

理由は「公立病院は無条件で手術をすべきであり、手術後に請求書を保険会社に送付すれば良い。事前の承認は必要ない」というもの。でもこの言い分、病院側の説明とは異なります。ダーリンがだいぶ長いこと粘って議論しても埒は明かず、結局その旨書面にしたものに担当者のサインを入れてもらって帰ってきたのでした。

こうして懸念事項を抱えて向かった病院では、病棟入り口にていきなり入院拒否されました・・・。保険会社の承認がなければ病棟には通せない、とのこと。少なくとも病院内の事務所で承認をもらってこいと廊下に放り出されたのですが、早朝7時では事務所に誰もおらず、寒い中親子3人途方にくれていたところ、普段から仲良くしていた看護婦さんAが偶然私達を見つけて、一日入院病棟へ通してくれました。

そこで待つこと1時間。いつまで経っても事務所に人はやって来ず、やってきたと思ったらダーリンはあちこちたらい回しに。行く先々で違うことを言われ、あっちへ行け、こっちへ行け、行った先でまた元のところに戻れと言われ、最終的にぶちきれたダーリンが事務所の担当者に直接保険会社と話すよう強く促し、結果、ようやく手術可能ということになったのでした。

もう本当に酷かったです。ダーリンたらい回しの間、色んな担当者が私達のところへ来ては、「この子は手術できないんだから連れて帰って」とか言うし、いざ手術が決まったと思ったら、今度は突然ものすごく乱暴なおじさんがガラガラと移動用ベッドを運んで来て、いきなり有無を言わさずムスメをベッドに乗せようとしたものだから、ムスメはびっくりして泣き出すし・・・。

こんなに小さな子を移動ベッドに乗っけて運ぶ理由なんて全くありません。現に、これまで6回も手術を受けてきましたけど、どの病院でもいつも私が抱っこして手術室まで運んでいましたし、どの病院でもまずは私の抱っこの中で軽く麻酔ガスをかけて、コロンと寝たところをそっと手術室へ運んでいきました。

でも、ものすごく驚いたことに、この町の公立病院にはそんなシステムすらなかったのです。この粗暴なおじさんを振り切って、ムスメを抱っこして手術室へと向かいましたが、向こうへ着いたとたん乱暴にムスメを奪われて、パニックになって泣き叫ぶムスメにキスをしてあげる間もなく無理やり手術室の中へと連れて行かれてしまいました・・・・・・・。

私、人生で初めて「地団駄」というものを踏みました。

手術室の前で。

ムスメにあんなトラウマが残るような酷い経験をさせてしまった己の非力さが許せなくて。

そして、”小児”病院ともあろう場所が、子供の心に傷を残すような経験に関して全く無知無関心なこと、途上国丸出しの粗暴で無神経、非人間的な扱いを平気ですることに対して怒り以上のものを感じて、床を踏み鳴らして号泣しました。

これまで8時間にも及ぶ頭の手術など、もっと深刻で大変な手術を数回受けてきたけれど、今回ほど酷い思いをしたことはなかった。ムスメの泣き叫ぶ声が耳に残って離れず、1時間半もの間涙が止まらずに泣き続けました。ムスメの手術は、これからも何度もある。これが唯一でもなければ最後の手術でもない。ムスメがあれほど怖がるのはこれまでに経験してきたことを思えば当然だし、次回の手術の時に一体どんな風に感じるのかと想像すると、不憫で可哀想で涙が止まらなかった。

私自身にもトラウマが残りました。こんな酷い想いをさせて、いつかムスメはなんと言うのだろう、と初めて考えました。「ママ、産んでくれてありがとう」と果して思ってくれるんだろうか、もしかしたら「こんなことなら産んでくれなければ良かったのに」と言うんじゃないだろうか。思考は果てしなくネガティブになり、時計の針は一向に進まず・・・。

結局手術は3時間ほど掛かり、出てきた執刀医からは、予定通り人差し指と小指は切り離せたけれど、親指を立てるには至らなかったと説明を受けました。手の手術は細い血管や神経までそれぞれの指に分けてあげる必要があり(もし必要な本数の血管や神経がない場合は切り離せない)、細かい作業が大変なのだそうです。なので親指はまだ短いまま、次回の手術に持ち越しとなりました。皮膚の移植は同じ手のひらから一部、右耳の裏から一部切り取ったとのことでした。

麻酔から覚めて、青い顔をして泣きながら手術室から連れて来られたムスメに飛びついてキスをして、病室までベッドの横に付き添って戻りましたが、いざベッドに寝かせてみてもムスメはひたすら泣くばかりでちっとも眠れませんでした。今回は短い入院だったため、15台もベッドの入った大部屋に通され、各ベッドの間にはカーテンもなく、一日中明かりもつけっぱなしで、騒音もひっきりなしの状態だったので、当然と言えば当然でした。麻酔の効果と疲れで、瞼がひっつくぐらい眠いのに、ガタンというドアの音や他の子供達の叫び声でびくんと飛び起きては泣き出してしまうのです。

私はムスメの顔にキスをし続け、ほんの少しでも顔を離そうものならまた目を覚まして泣き始めるので、何時間もの間ムスメにぴたっとくっついたまま姿勢を崩せずに過ごしました。私はムスメの手術前夜はどれだけ頑張っても一睡も出来ないもので、この日も体力的にかなりきていたのですが、泣き続けるムスメの横でひたすら退院の許可を待ちました。

午後4時半ごろになってようやく水を飲ませるようにと指示が出て、その1時間後には液状の食事を食べさせることができました。発熱がなく、食事をしても吐かないようなら夜には退院と言われ、祈るような気持ちでご飯を少しずつ与えたところ、21時ごろには規定の量を食べ終わり、医者から退院の許可をもらうことができました。

自宅に戻ったのは21時半。騒音のない静かな部屋で、ムスメをそっとベッドに横たえると、ものの2分もしないうちに眠りに落ち、その横で私もほとんど気を失うように眠りに引きづられていきました。目が覚めたのは朝5時のこと。一晩ぐっすり眠れたお陰で、だいぶ疲れが取れていました。

さて、両腕肘までギブスのムスメ。事前に何の説明も受けていなかったので、何を着せたら良いのか途方にくれましたが、実家の母の提案で以前もらった甚平さんを着せてみたらぴったり!

本人は両手が使えなくて不自由そうではありますが、手術の翌朝とても自然にピアノのおもちゃを足で弾き始める姿を見て、不憫やら、逞しいやら。母はこっそり涙を拭いました。しまいには体をかがめて口で弾き始め、それを見るに至っては、本当に子供って凄い!!柔軟だし、不屈だし、ああ私も可哀想可哀想ばっかり言ってないでしゃんとしないと、と思わされました。

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ピアノを足で弾いたり、歌の絵本でママと一緒に歌ったり。

でもやっぱり大変です。術後こんなに不自由な生活を強いられたことはないし、まだ言葉の話せないムスメにとって、両手というのは重要なコミュニケーションツールだったのだと改めて思い知らされました。歩き方もまだ危なっかしい上に、ギブスの重みで更によろよろしているので、もう一瞬たりとも目が離せません。床に座らせておいても、ちょっと余所見をした瞬間に自力で立ち上がろうとするし、毎日ハラハラです。遊べることも少ない上に、雨が降った日には外にも出られず、母子二人して時間を持て余してしまったり・・・。

術後2日目には一度病院に連れて行きました。と言うのも、指先あたりに血の染みが出てきて、それがどんどん大きくなっていったので・・・。執刀医には、この程度なら普通のことだから大丈夫と言われ、ほっとしてつれて帰りましたが、病院の廊下で医者を見るなりものすごい勢いで泣き出して大変でした。

そしてやっぱりトラウマが残ったのか、はたまた痛みからなのか、きっと実際はその両方なのでしょうが、自宅でも時折ものすごい勢いで泣き出します。ギブスの両腕をバタバタと振り回すので、一度なんて私の目元に当たって青痰ができたほど(DVの跡みたい!)。そんな時はパパがあやしても全然駄目で、私が抱っこして「大丈夫大丈夫」とゆらゆらしてあげたり、お庭に連れて行って気分を変えてあげないと収まりません。

幸い仲のよい友人達が駆けつけてくれて、手が不自由でも遊べるおもちゃやDVDをプレゼントしてくれたり、ムスメの相手をしてくれたり、車で公園に連れて行ってくれたりしたお陰で、1週間のギブス期間も割りと早く過ぎて、明日にはいよいよギブスを外す日を迎えます。まだ指がどうなっているのか見ていないので、この町の公立病院で手術をして良かったかどうかの最終判断は出来ていませんが、酷い経験をしたけれどせめてその結果だけは良いものであって欲しい。そして明日からは包帯ぐるぐる巻きの生活が始まります。

どのような内容でも、手術は侮れない、と悟った今回。もう二度とこの町の公立病院では手術はさせません。ブエノスまで行くのが大変でも、予約が一杯でどれだけ待たされたとしても、次回からは絶対にガラハム病院に連れて行きます。

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それでも、こんな満面の笑顔を見せてくれる我が子が本当に愛しい[emoji:e-266]ママのパワーの源だよ。

幼稚園ではムスメのために先生とクラスのお友達がサプライズを用意してくれたそう。一日も早く元気になって、お友達と遊べる日常生活に戻れるといいね。そのためにママも頑張るよ[emoji:e-271]